第2話

このころの食事はとても簡単で、味噌汁と白米。江戸ではどんな人も白米が食べられた。に漬物。さかながつけば御馳走だった。

 この日の食事も味噌汁、御飯、漬物。だが圭介はいつも違う内容になるように色々な野菜を使った。大根葉と無月の見た事のない野菜の漬物がある。

「で、どうだった?」

「うん・・・それがね。」

 歯切れの悪い圭介に

「もしかして・・・失敗したのか?」

「う、うん。ごめんなさぁい。」

 圭介は上目使いに口元で両手を拝むように合わせた。

「珍しい事もあるもんだな。まぁいいや。おっ。」

 そういいつつ口に放り込んだ漬物に無月は

「これ、うめぇななんて野菜だい?」

「ああそれ、西瓜よ。漬物私がつけたんだけど・・・。」

「おお。うまいよ。何だかんだいってお前器用だよな。」

「何だかんだって失礼ねっ。まぁ無月だから許すけど・・・っていうかさっきの続きだけど、それが妙なまかれ方なのよ。」

「へぇ。」

「日本橋までちゃんとつけてたの。橋を渡ったわ。ちゃんと背中だってずっと見えてた。でも、橋を渡ったらぱって。ぱって急に消えたの。」

「消える・・・。日本橋は人が多かったか?」

「んーどぅかしら。あ、でもやつの背中は常に見える程度だったからそうでもないわね。あいつ小汚いから見間違えるはずないし。」

 昼間無月と手を握り合っていたのが余程気に入らなかったらしく、圭介は悪態をついた。

「小汚いって・・・おいおい。ふぁぁ。」

 食事中だというのに無月は大あくびだ。

「あら、お疲れね。」

「ああ。今日は忙しかったからな。腰がいてぇし。」

 そう言いつつ無月は御飯に熱い味噌汁をかけてさらさらと流し込むように口に運ぶ。

「ああ、うまかった。ごっそうさん。」

 きちっと胸の辺りで手を合わせた無月に

「いえいえ。」

と、嬉しそうに微笑む圭介だった。

「わりいけど。」

 そういって無月は布団を敷いた。

 この頃は敷布団しかなく、上掛けは夜着といわれる掻巻き(半纏のすそが長くなったようなもの)だ。

 敷布団にごろりと横になった無月は

「お前はどう思う?」

 圭介は自分の御飯を食べ終え、茶碗を片付けている所だった。

「え?あいつのこと?」

「ああ。ぱっと見た感じどうよ。あ、小汚い以外だぞ。」

 圭介は片付けつつ

「そうねぇ。ずっともっと金のある暮らしをしていたのかなって感じかしら。」

「そりゃまたなんで。」

「立ち居振る舞いがちょっとね。歩き方もスッスッとしてて、あれは武士や役者、吉原の人間か。」

「ふぅーンそんなに違うモンかね歩き方が。」

「そうねぇ。まぁ人それぞれだから一概になんとも言えないけど。」

 圭介は片付けを終えてお茶を入れながらそういった。

「明日は外回りで、ちょうど日本橋に行くからその辺で探りいれてみるか。」

 圭介は、はいと無月に茶を渡した。体を布団の上で起こすとお茶を受け取り無月はそういった。

「じゃ私も日本橋に行くわ。」

 受け取ったお茶を一気に流し込んだ無月はまた横になった。

 「もんだげる。」

 そういって圭介が床に近づいてきた。

「いっいやいい。」

 何されるかわかったもんじゃないと無月は首をぶんぶん振ったが

「なぁに遠慮してんの。私と無月の仲じゃないの。ほら。ほら。」

 そういって逃げ腰の無月をうつぶせにして腰をぐいっと押した。

「うおっ・・・むむむむ・・・きくねぇ。」

 はじめは強張っていた無月だが段々と圭介の手管に体から力を抜いて、圭介の指圧を受けていった。無月はもまれながら初めて圭介とであった時の事を思い出していた。

 初めて会った圭介は無月が床屋になってから出会った人間の中で最も美しい思った。

 でも、それ以上の感情はわかなかった。

 それが圭介の癇に障ったらしい。いつもなら自分と目が合っていて話しかけてこない人間はいない。何だかんだいってかかわりを持ちたがるものと思っていた。

 常連になるから暖簾を作ってやると言い出した圭介はそれだけでは足らないようで毎日毎日無月を口説くようになってきた。

 無月は閉口し、迷惑だと追い帰す事も出来たのだが、圭介の明るい笑顔と自分を好いてくれているらしいその態度になぜかそうも出来ずにいた。

 疲れから薄れていく意識の中で無月は

 こいつ私のこと本当に・・・好きなのかな・・・と思った。


 もんでいると無月からスースーと規則正しい寝息が聞こえてきた。

「あらあら。無月ったら寝ちゃったのぉ?」

と、無月の顔を覗き込んだ。無月はピクリともせず目を閉じたままだ。

「しまったな・・・」

 圭介は小さくつぶやいた。

 行灯の明かりは今の電気のように明るくない。薄ぼんやりと周りを明るくするだけだ。

 その薄明かりに浮かんだ無月の寝顔はあまりに無防備で美しく圭介は欲情してしまったのだ。

「全く、俺にそんな顔さらすなんてどういう了見なんだ。俺のことどう思ってんだよ。」

 静にそういいながら圭介は結びきれない無月の遅れ髪をそうっとすくいあげる。そしてその指は触れるか触れないかの位置で無月の頬をすべる。

「俺、女だったら良かったな。・・・そしたらお前と所帯もてたのに。」

 つつっと圭介の頬に一筋涙が伝う。

 最初はただの意地だった。自分に媚を売らない無月が憎らしかった。

 でも、毎日嫌がらせのつもりで店に来て、顔を見ているうちに仕事を見ているうちに、まじめな無月や整った顔、細く長い指、どんどん無月に引かれいつしか本気で愛するようになった。そして、今まで周りからちやほやされて浮かれていたと圭介は反省し、無月に見合う人間になろうと決意した。

 近頃は自分が女だったらと思うことが多くなった。言葉もいつしか変わってきた。    

その上体をつなぎたいとまで思い始めた。

 指は唇で止まった。そして無月の頬に圭介は唇を落とした。

「好きだよ。俺は無月が好きだ。女じゃねぇけどお前が望めばこの体くれてやる。だからお前も俺を好きだって・・・言ってくれねぇかなぁ。」

 涙がもっとあふれてきて上を向いて我慢する。

 名残惜しいがこのまま無月のそばにいると無理やり犯してしまいそうな圭介は帰朝餉の準備をはじめた。どんなに遅くなっても無月が泊まっていけよと言ってくれるまではけじめとして帰ることに決めていた。

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