無月の月

シノ ユウコ

第1話

寛永(1789〜1801年)六年の江戸の町。

 とある床屋にて奇妙な声あり。

「ねぇぇ〜無月ちゃーぁん。一緒にぃ朝風呂しようよぉ〜。ねっ、この私の鍛えぬいた体を見たら、そのかたくなまでに固い私を拒む心も柔らかーくなると思うのよ。あ、もちろん私の分身は柔らかくなったりはしないのよ。固いほうがいいでしょそこは。ああどうにでもしてって必ずなること請け合いよぉ〜。圭介の分身で私を貫いてぇ〜って言う事になるのよ。ねぇ〜」

「邪魔。大体なんてぇ事いうんだ。あさっぱらだし、子供もいるんだぞ、いいかげんにしねぇか。」

 客の座る板間に雑巾をかけていた無月は、朝六つ半(朝七時)から店の板間前でふしだらな言葉で風呂に誘い続ける男を押しのけた。

「ううんもーう。無月ちゃんのイジワルゥ。でもぉ〜、そんなあなたがだ・い・す・き。 きゃっ言っちゃったぁ。」

「うっ」

 店にいた無月、弟子のはじめと八重は言葉に詰まった。

 誰が見たいであろうか、朝も早くから身長175センチの男が女言葉を喋りつつ、くねくねと身もだえする姿を。

 今の時刻は朝五つ(朝八時)だから、一時間もくねくねし続けているのである。

「もう店を開けてぇんだよ。お前がいたらお客が気を悪くするだろう。お前もさっさと仕事を始めたらどうだ。」

「でもでもでもでも、お店ははじめちゃんたちだけでも大丈夫でしょ、ちょっと付き合っても罰は当たらないと思うわけよぉ、ねっ、はじめちゃん。」

 悪びれもせず食い下がる圭介に話を振られたはじめは

「駄目ですよ。私に助け舟を出してもらおうとしたって。さっ、親方はしつこい方はお嫌いですよ、お仕事にいかれてくださいな。」

 店の開店準備に忙しいはじめは顔も上げず動かす手も止めずにそういった。

「…わかりました。わかったわよ。仕事に行きゃいいんでしょ。いいわよ。ええ、いいわよ。ふんっ。私こんなことじゃ諦めないんだから。いいわまた後で来るわよ。」

 さすがに分が悪いと思ったのか圭介はツンツンと威張った感じでやっと店から出て行った。

 やり取りを店の娯楽品をそろえながら聞いていた八重は

「毎日毎日圭介さんもこりませんねぇ。親方も随分なのに好かれたもんだ。」

「ははは。子供のお前に言われちゃ圭介も形無しだな。お前にも分かるか、私の苦悩が。」

 と、無月は笑いながら言った。


 さて、このころの床屋というのは今と随分違う。

 店の広さは九尺二間(六畳ほど)程で狭い。

 表通りに面した間口(入り口)、少しの土間があり、部屋への上がり口が板間になっていてココが客の腰掛になる。

 あるじは板間の先にある四畳ほどの部屋に立ち、腰をかがめるように作業をした。

 この四畳ほどの部屋の奥は主の住まいになっており、こことつながっていて入り口にはなじみからの暖簾などがかかっていた。

 客もただ座っているだけではなく、切った髪などが下に落ちないように毛受けの板などを持たされていた。  

 大概店には小僧・中床・親方の三人がいて、それぞれの役割が決まっていた。

 初めに小僧が客の元結(丁髷をとめている糸)を切って毛を梳く。

 次に中床が月代(丁髷下の毛の無い部分)と顔を剃り、紙を仮元結で結う。

 最後の仕上げを親方がした。

 待ち客はあるじが立つ部屋に上がり用意された囲碁をやったり、置いてある本を読んだり、客同士で話したり、親方と話したりと社交場的な一面を持っていた。

 無月は二十歳で親方。

 身長160センチの華奢な体で神秘的な眼差しを持つ不思議な感じの男だ。髪は月代も髷もなくただ長い髪を後ろにひとまとめにしている。

 店を譲りうけたのは三年前だから随分若い店主といえよう。

 育ての親であり、髪結いの師匠だった先代店主雅が隠居するにあたり店主を譲ったのだ。

はじめは二十三歳で中床を務める。

 身長170センチで痩せてはいるが肩幅が広いため恰幅がよく見える。

 無月の修行仲間で、腕もよく自分で店を持てというのが先代の言い残した言葉だったが、まだ若い無月の為店に残りたいといった。

 八重は十二歳で小僧。

 身長は125センチと小柄で色が黒く、細身で身軽。

 はじめの息子だが血のつながりはない。

「ごめんよ。開いてるかい?」

 朝一の客がやってきた。

「へぇいらっしゃい。」

 と、三人は声を合わせた。



 追い払われた圭介はぶつぶつ言いながら自分の長屋に商売道具を取りに向かっていた。

「駄目ね。これで千回目の誘いよ。あたし・・・悲しいわ。もう泣いちゃおうかしら。そうね。いっそのこと泣いたらいいのよ。・・・涙でないわ。」

 道行く人々は皆圭介を見ていた。

 別に圭介がぶつぶつ言っているからではない。

 圭介は見た人が全員必ず二度見するほどの美しい容姿を持っていた。

 長屋の入り口にはいつも圭介を慕うものが男女を問わずたむろっていたが圭介は気づいた事が無い。

 圭介の仕事は地紙売り。

 地紙とは扇子形に切った紙を売る仕事である。

 一般的に地紙売りは美男が多いとされ、中には地紙売りは表向きで身を売るものもいたそうだ。

 天明の末に京の扇子に押されてすっかり姿を消してしまったと思われているが、圭介は自らの美しい身体や美しい仕事でただ一人続ける事が出来ている。

 圭介の場合、身を売ったりしない。

 深川の美人芸者に誘われても、

「紙の色は売っても自分の色はたった一人にしかうらねぇんだよ。」

 と、啖呵を切った事はしばらく町内での噂になった。

 圭介は身なりを流行の着こなしにして、地紙の入った地紙型の五段につんだ箱を肩に担いで長屋を後にした。

 表通りへ出ようとした瞬間、表通りを歩いていた男に出会いがしらでぶつかりそうになり、圭介はとっさの事で目をつぶった。

 が、何も起こらなかった。

 恐る恐る開けると男の姿は無い。

 よけたのかと思い通りを見たがそれらしい人物さえいない。

「へんねぇ。確かに男が・・・・?」

 と、首をかしげた。



 そのころ他にも首をかしげているもの達がいた。

 先だっての無月たちである。

「今日はどうしたって言うんでしょうねぇ〜。」

 八重は店の入り口に立って表通りを行く人々を目で追いつつそうつぶやいた。

 朝一の客以降、客足がぱたりと止まってしまったからだ。

 こんな事は開業以来はじめてである。

 いつもであれば既に店の中は客であふれ、中に入りきれ無い客のために店の表に長腰掛を出しているはずなのだ。

「まぁ、こんな日もあらなぁ。・・・珍しいことだし、のんびりしろやってお天道様が言ってんだろう。そうだお前ら飯にでも行ってこいや。な、八重」

 無月はそういうと八重を手招きして袂から金子をいくらか取り出して、近づいてきた八重に握らせた。

 すると八重は

「うわぁーい。お父様行きましょう。行きましょう。」

 顔を輝かせてぴょんぴょんとび跳ねるとそのまま表に出てしまった。

「こらぁー親方にお礼をいわねぇか!全く。すいません。」

 はじめはため息をつきつつ頭を下げた。

「ははは。かまわねぇさ。たまにゃいいさ。旨いモンでも食ってきな。」

「じゃぁお言葉に甘えます。」

 はじめは前掛けを取り、はしょっていた着物のすそを直して八重をおって店を出て行った。 はじめの後姿を見送って、すっかり親子になったなとふふっと下を向いて笑みをこぼした無月だったが、何か冷たい気配を感じ顔をハッと上げて驚いた。

 いつの間に入ってきたのか男が無月の顔を覗き込むように立っていた。

 男の目は無月をじっと見ているがその目は冷たく光の差さない井戸の底の様だと無月はぞくっとした。

 だが、こんなふうに思ったのを相手が知ると気を悪くすると思い、平常を装って

「いらっしゃい」

 と、明るく言った。

「いきなりで悪いが床屋の客じゃねぇんだ。無月ってぇのはあんたの事か?」

 声を発すると少しだけ男の目の感じが和らいだ。

「へぇ、そうですが・・・。」

 男の身なりは酷いもので月代は伸び放題、丁髷がわずかに覗いている。

髭もぼうぼうで、着物も随分長い事着たままになっているようだ。

「長屋であんたの噂をきいてな、で、一つ頼まれちゃくれないかと尋ねたんだがよ。あんた、人を探すのが上手いんだって?。」

 男はどうやら無月の副業の客らしかった。

 無月の副業。

 それは床屋である無月だからできることだった。

 床屋には様々な人が集まるため色々な話を聞く事ができる。

 無月はそれを利用して今で言う探偵のような副業を行っていた。

 と、言っても仕事柄日中は床屋を留守にするわけにはいかないので、圭介の助けも借りつつ行っていた。

 つまりは無月と圭介の副業といったほうがいいのかもしれない。

「ええまぁ、そんなモンですがね。まま、こっちへあがってくんなさい。話し聞こうじゃないですか。」

 と、無月は上がるように言った。

 男はその言葉に素直に従った。

「で、早速ですがどなたを探してぇんですか?」

 男は下を向いて言葉を選んでいるようだった。

 大抵男が人を探す時は仇か女、あまり人様に言いたくないものだと無月が思っていると、男の口から意外な返答があった。

「・・・桜、桜丸を。私の友人の桜丸を探して欲しいんだ。」

「わかった。で、まずあんたの事教えてくんねぇか?」

「私の名は藤田。今は定職も無い。住まいも無い。その日暮らしだ。」

「では桜丸さんって言うのは?」

「桜丸は歳の離れた友人で・・・どこか遠くの町からかどわかされてこの江戸に来たらしいが、病に冒されたため町中に捨てられて死にそうになってたのを拾ったんだ。たまたま私がそのとき世話になってた米屋の主がそれを知ってもっていた長屋を一室貸してくれて一緒に暮らしていたんだ。あの日まで。」

 藤田の顔は懐かしむような目で桜丸のいなくなった日の事を話し出した。

「あれは、少し前の長雨の時、私は昼は米屋、夜は用心棒などして働いていた為、家にまるで戻らない事などしょっちゅうだった。桜丸はどんなに私が遅くなっても火を灯しておいてくれた。ところがあの日・・・外に漏れる明かりも無く長屋には誰もいなかった。」

「桜丸さんはどんな感じのお人で?」

「歳は十五、背が高く大人びた感じで・・・人の目を引く容姿で、女に間違われる事も珍しくないほどで。」

「ほう。」

「そのうえ、気がよくつき、病身だというのに家の事をしてくれて・・・。さめた飯を食った事がねぇんですよ。・・・。きっと、きっと私に愛想が尽きたんですよ。十五といやぁいろいろ知りてぇ年頃だし、私じゃあいつを満足させる事はできなかったんですよ。」

 藤田は下を向いていた。

 肩が小刻みに震えている。

 無月はそっと藤田の手に触れた。

 藤田が跳ねるようにびくっとして顔を勢いよく上げた。

「大丈夫ですよ。今まで献身的だったのはあなたが強制した訳ではないってことなんですからあなたを好きでしてくれていたんではないでしょうか?あなたが信じなかったら彼は悲しむと思いますよ。ね、」

 藤田は年の頃28ぐらいだろうが、小さな子供のようにこくこくと何度もうなずいた。

 その時店先からものすごく強い視線を感じ無月はぎくりとした。

 そこには店の間口の障子が真っ二つに折れるんではないかというほどにぎりぎりと握り締めている圭介の姿があった。

「け・・・圭介・・」

「ちょぉっーーーーーーーとぉっ!!ちょっとちょっとあんたっ!。なにしてんのよっっっ。私の無月に手ぇ握らせるなんてどういう了見してんのさっ」

 そういうとずんずん近づいて来て、藤田と無月の重なった手を引き離した。

 あまりの悔しさなのか圭介は言葉が出てこない様子で肩をぶるぶる震わせ口は鯉のようにぱくぱくと動かしながら藤田を見つめた。

 藤田は圭介のあまりの様子にたじたじとはだしのまま店の出入り口に移動した。

 圭介はすごい鼻息でそれを睨みつけたままでいる。

「こらっ圭介やめねぇか。それで藤田さんこっちから分かったらあんたにどうやって連絡とりゃいいんだい?」

「ま、また来ます。」

 圭介は藤田のぞうりを藤田の足元に放り投げた。

 藤田は慌ててそのぞうりをつかむと転げるように通りに出て行った。

 圭介は無月の方を向いて文句を言おうとしたが

「圭介。頼んだよ」

 と言われ、文句言いたげのまま店を出て行った。

 圭介と入れ違いに客が入ってきた。

「いらっしゃい。」

 と、無月は客を迎えた。



 さて、頼まれた圭介は何をするかというと、人探しの依頼人の後を付けるのである。

 懐にもっていた手ぬぐいで顔を隠すようにほおかむりをして店の外に出ると、少し離れた所でぞうりを履いている藤田が見えた。

 藤田はぞうりを履くと通りを割りと早足で歩いていく。

 圭介は見失わないようそして目立たぬように腰をかがめ後を付けた。

 しばらく行くと日本橋に出た。

 藤田は橋を渡り始めた。

 圭介もそれに続く。

 橋の上見失うはずもなく、心のどこかで油断していたのか確かに橋を共に渡り終えた筈だったのに、橋を渡りきると圭介は藤田を見失っていた。

「くそっ」

 小さくしたうちするとほおかむりを外し背を伸ばしあたりを見回した。



「やれやれ、やっと終わったな」

 無月は腰を叩きながらゆっくりと背を伸ばした。

「朝の様子じゃ、店をたたむ様かと思いましたけど、昼からの様子はまるで正月明けみたいでしたからねぇ。」

 藤田が帰った後、入れ違いに来た客から後はいつもの倍以上の客で店の中はおろか店外の椅子、それにも座りきれず店伝いずらりと客の行列が出来るほどの忙しさが待っていた。

 毛受けで受けきれずに下に落ちた毛を箒ではわきながらはじめが笑った。

 その時表で暮れ六つ(夕方六時)の鐘の音がした。

「おお、もうこんな時間か。もう仕舞いにしようや」

「へえ。じゃ雨戸を・・」

「もういいぜ。後は私がやるから。いつもより半時も遅いんだそれに・・・」

 無月が部屋の隅をあごで差す。

 はじめがそちらを見ると、八重が座り込んで船をこいでいる。

 はじめと無月は顔を見合わせて微笑んだ。

「じゃお言葉に甘えまして。」

 八重を起こさないようにそうっと無月が抱え、はじめの背におぶわせた。

「あ、今日はご馳走様でした。」

「ふふっ。いいって。じゃ気をつけて帰りな。」

「へぇ。」

 はじめたちを見送ってから店の横に立てかけてある雨戸を取ってきて間口にはめ込む。

 雨戸には小さな木戸がついていて、雨戸は外からはめ、その木戸から中に入る。

 中に入って木戸、ふすまを閉める。

 部屋の入り口の暖簾をくぐり住まいへと入った。

 ちなみにこの暖簾は大層手の込んだ派手な竜の刺繍が施されていて、圭介が無月のために特別に注文し作らせ贈ったものだ。

「待たせたな。」

「お疲れ。」

 奥に入ると圭介が着物の袖をたすきがけでまとめ前掛けをして夕餉の支度をしていた。

「いつもすまねぇな。今日は待たせちまったし。」

「何言ってんの。私と無月の仲じゃなーい。いいってことよぉ。それに私待つのは慣れっこよ。だってだ・い・す・きな無月とごはんよぉ。」

「ぶっ。」

 妙なしなでくねくねと喋る圭介を見て思わず噴出した無月だった。


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