エピローグ 誘いの魔女に微笑みを
#1
季節はめぐり、また、何度目かの冬がやってくる。
アルレクスは部屋の外に置いた椅子に座って、思いつく限りのありとあらゆる神に祈りを捧げていた。レネットの出産を前に、あまりにもおろおろとして役に立たないので追い出されたのだった。出産に立ち会うのはこれで二度目だが、今度は親という立場である。冷静になりきれずに、こうして今も祈ることしかできていない。
「父親になるのに、これではあまりにも情けない……」
思わずぼやいてしまうアルレクスに、グレイは「それ何度目ですか」と呆れ返った。
レネットとベルナとともにフォルドラを出て二年。一行はシルヴァンデールへと落ち延び、その辺境で糸を紡ぎながら暮らしを営むことにした。半年前に、〈塔〉を出て故国へと戻ってきたグレイを迎え、今は四人での暮らしだ。そこに、アルレクスとレネットの子供という五人目が加わろうとしている。
無事に生まれてきてくれ、と思う。もし母子のどちらか、あるいは両方が欠けるようなことがあれば、アルレクスの人生は闇に包まれたも同然だ。
そうして何十分か何時間か、日付も変わる頃、部屋の中から元気な産声が上がった。アルレクスは椅子を蹴って立ち上がり、扉を勢いよく開ける。
「レネット!」
「まだ近づかないでくださいませ、旦那様!」
駆け寄ろうとした矢先に、ベルナに鋭く叱責されて足が止まる。床には処置に使った布が散らばっていて、医者が臍の緒を切った赤子を産湯につけて洗っているところだった。
「元気な男の子ですよ。母子ともに健康です、よかったよかった」
医者の言葉に、アルレクスはほっと胸を撫で下ろす。清潔な布に包まれた赤子をレネットが抱きかかえると、それまで大きな声で泣き叫んでいたというのにぴたりと泣き止む。その様子を見て、レネットは笑みを深めた。
「アルル、見て。かわいい」
「ちょ、ちょっと待て。今行く」
用意された医療器具が乗ったテーブルや床の布を避けて歩きながら、アルレクスはレネットのそばまで行くと、赤子の顔を覗き込んだ。
「小さいな……」
そっと指を伸ばすと、小さな手に握り込まれる。それに、ふっと頬が緩んだ。
「あっ、ずるい、私が最初に握られたかった……」
「抱いたのは君が最初、ということで納得してくれ」
暖かい。握り込まれた手指から速い鼓動が伝わってくる。それに、思わず泣きそうになってしまって、アルレクスは瞑目した。
「アルル?」
「生命の尊さを味わっている」
愛しい人との子供が、無事に生まれてきてくれたことが、こんなにも嬉しい。すやすやと眠る我が子を前に、アルレクスはこれまでのことを思い出していた。
「あの吹雪の夜には、こんな未来が待っているとは思いもよらなかった」
裏切られたと、世に絶望してから始まった旅路。その途中でレネットと出会い、絆を深めた。再び人を愛することができた。弟と再会し、そして別れ、この地に流れ着いてからも、その愛を失ったことはなかった。
「君が、繋げてくれた」
レネットの手がのびて、アルレクスの頬を愛おしそうに撫でる。
「これからも、ね。レネットさんにお任せなさい」
「私も頼られたいんだが……」
「頼りにしてるよ。いつだって。私に会いにきてくれた、あの日からずっと」
お互いに見つめ合い、自然と顔が近づく。それを、ベルナが手を叩いて制した。
「そこまでです、旦那様。奥様も御子様も休まないといけません。旦那様と我々は片付けです」
「む……」
妻子から引き剥がされ、アルレクスは眉根を寄せる。それを見て、レネットが小さく笑った。
「レネット」
「ん? 何?」
アルレクスはその笑みにつられるように、微笑んだ。
「ありがとう。愛している、私の魔女」
誘いの魔女に口づけを こけもしん @a9744c
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