醜くも美しいもの

普段の生活において、これはエゴだと認識することは少ないと思われる。
エゴとは自己や自我といった意味で、頻繁に使うとすれば利己主義――エゴイズムや利己主義者――エゴイストとして使うくらいだろうか。

本作の主人公と彼女の上司ともいえる亡くなった男は、そういう意味ではエゴイストなのである。

「プロになる」という夢を追いかけ、破れた二人は、主人公の実家で出会うこによって交流が始まる。
そして起こった、彼の突然の死。
何を思い写真を撮っていたのかと、彼が撮り溜めた写真や動画を見て、主人公は思いを馳せる。

写真と歌というそれぞれの夢に違いはあれど、その根底にあったのはエゴ。
人によっては醜く、そして美しく感じるそれは、彼の行動を真似て同じ場所で動画を配信し、その場所で歌うことで彼の内面や交わした言葉の意味に気づいていく。

北海道の雄大な自然と、日々変わる同じものがない景色。画面の向こうにいる人々に訴えかけるのは、彼女のエゴ、あるいは彼のエゴなのだろうか。

エゴが昇華した先にあるもの――それは、自己満足という肯定感なのかもしれない。

それを感じさせる、ある種の感動とほろりとくる作品だった。