第4話 再会

「行ってきます」


 見送る母に短く別れを告げて、華々は馬にまたがる。夏人だとわからぬよう白布で頭を覆い、金具でとめる。まるで花嫁の被るベールのようだと内心思いながら、布をはためかせて華々は馬を駆った。


 彼に助けられてから今日でちょうど百日経った。


 彼の言葉通り両親と再会し、復興しつつある遼煌に戻った華々は忙しくも穏やかな日々を過ごしている。人々は堅固な城壁を築き、二度と襲撃を受けぬよう備えを固めており、もうあんなことは二度と起こらないはずだった。


 だが日常に戻った生活のなかでただひとつだけ、華々の心にずっと残っているものがあった。


 天高くのぼる満月アロ狼の瞳デラに見送られながら、ある場所へと向かう。リア湖と東亜山フアのあいだ――そこに華々の目指す場所はある。


『もし、お前がもう一度俺に会いたいと望んでくれるなら……昔の約束通り、会いに来てほしい』


 甘く風に溶けた声が蘇る。


 彼が告げたのは昔、戯れのように歌い合った言葉が指し示すところ。夜族の男女が月神に結婚の許しを請うといわれるあの場所だ。


 ひたすらに馬を駆っていると、やがて大きな岩が見えてきた。天高く鼻面を突き上げる狼岩ウル・ホゥと、それに寄り添う白鹿岩フィラ・ホゥ。その二つを合わせて夫婦岩ハゥという。あの夜、アルタンが教えてくれた通りの岩がそびえていた。


 その岩のあいだに一人たたずむ影を見つけて、華々は馬を飛び降りた。岩の影にぽつんと立つその人に近づき、顔を隠す布をとる。は、と息を飲む音が小さく響いた。


「ハリファ……本当に、来てくれたのか」

「やっぱりあなただったのね、アルタン」


 ごめん、と落とされた声に首を振る。辛い思いはしたけれど、いつだって彼は華々を気遣ってくれたし最終的に父母のもとへと返してくれた。それだけでもう十分だった。


 しばらく沈黙が流れたあと。アルタンはぽつぽつと自分のことを語り始めた。


 烏族の父から遼煌を襲撃すると聞き、華々を助けるために襲撃に参加したが、間に合わずさらわれてしまったこと。捕虜の見張りを申し出て、華々を逃がす機会を伺っていたこと。夜族の母を通じて華々の両親と連絡を取ってもらい、再会できるように手はずを整えたこと。


 そのどれもに華々はうなずき、最後にありがとうと頭を下げた。


「俺にお礼をいってもらう資格なんかない。お前を危険な目に遭わせてしまった」

「もういいのよ。あなたは私を助けてくれたわ。あと……これを大切に持っていてくれてありがとう」


 華々が懐から手巾を取り出すと、アルタンは少し恥ずかしそうに目を伏せて受け取った。ハリファがくれたものだから。そう言われて頬が熱くなる。彼もまた、あの出会いを大事に思ってくれていたことが何より嬉しかった。


「ハリファ。来年の火祭りで必ずお前を迎えにいく。それまで待っていてくれるか」

「三年間、ずっとあなたを探していたのよ。あと一年くらいどうってことないわ」


 嬉しそうに微笑む華々の手をとり、アルタンは小さくて固いものを握らせた。なんだろう、と首をかしげて手を開く。そこには木彫りの花のペンダントがあった。

 

 大ぶりの花びらが花芯を取り巻く赤い花。彼が華々につけてくれた名前と同じ花が彫り込まれた、美しい意匠のペンダントだった。


「ハリファの花……」

「俺が彫った。あんまりうまくないけど……ハリファに持っていてほしいんだ」


 脳裏に、見張りのあいだ背中を丸めて木を彫っていた男の姿が蘇る。もしかしてこれをずっと彫ってくれていたのだろうか。再会したとき、華々に贈ることができるように。


 胸がつまってなにも言えなくなった華々は、精一杯の気持ちを込めてアルタンの手をぎゅっと握り返した。不安げに揺らめいていた紫黒の瞳に、喜びの色が浮かぶ。今はまだそれ以上詰めることのできない距離が、ひどくもどかしかった。


 そうして、ひそやかに夜は更けていく。再び巡りあったふたりを祝福するように、夜空には満月アロ狼の瞳デラが煌々と輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幽藍の空に歌う さかな @sakana1127

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ