第3話 思い出のひと

「結局、私は十三になった年にさらわれてしまったから、火祭りには参加できずじまいだったんですけど」

「……そうか」


 そうやって締め括った華々の話に、男は息を深く吐いた。黙り込んでなにか思案する男の横顔を見ながら、三年前の記憶に思いをはせる。


(アルタンには……あのあと一度も出会えなかった)


 華々はもう一度彼に出会えないかと期待して、何度も母にねだっては夜族の集落を訪ねた。参加できる歳になっていなくても、毎年火祭りの様子を見に出かけたが、どこを探してもアルタンの姿はなく、彼のことを知る人はいなかった。


「もう夜も遅い。早く中へ入って寝ろ」


 ぽん、と幼子をあやすように頭を軽く叩いたあと、男はくるりと背を向けて歩いていった。


 どうしてこの人は捕虜の自分に優しくしてくれるのだろう。なぜ、何度も声をかけてくれるのだろう。その真意をつかめないまま、華々はただその背中を見送ったのだった。




 見張りの男と火祭りの話をした次の朝。

 

 捕虜たちが身を寄せあう石室は騒然となっていた。見張り役ではない、別の男が捕虜たちの移動を告げたからである。


 とうとうこの日が来たのだ。これから捕虜たちは別の場所へ移され、烏族や匈露の男達へと下げ渡される。そうなればもう、家族の元へは一生帰れないだろう。一度奴隷に身を落とせば、主がその身分から解放しない限りもとの身分には戻れないからだ。


 一人ずつ縄で縛られ逃げられないように繋がれたあと、華々たちは粗末な荷台にのせられて運ばれた。砂漠の強い光が肌を焼き、立ち上る熱が喉を焼く。ようやく日が暮れて隊列が足を止めたときには気力が尽き果て、意識が朦朧とし始めていた。


 縄をはずされ、ほとんど汁だけのスープを貪るようにすすると、ほんの少しだけ楽になった。その後石室よりも狭い簡易な天幕に入るように指示をされたので、重い腰を上げて移動する。捕虜達の列の最後に並んだ華々が天幕の入り口をくぐろうとしたとき、誰かにぐいっと肩を捕まれた。


「待て」

「な、なんですか……あっ」

「今夜月が沈んだら外に出てこい」


 そう華々に耳打ちをして何か手に握らせたのは、あの見張り役の男だった。意図を聞き返すまもなく、男は足早に離れていく。なんだかよくわからないまま天幕に入って端の方で横になり、上掛けに隠れてそうっと手を開いた。中にあったのは、小さく折り畳まれた手巾だった。


「これ……あの人が、どうして」


 いびつな黒い鷹の刺繍。まだ手習いを始めたばかりの少女が縫い込んだようなものだ。見覚えのある手巾にゆるりと記憶が蘇り、涙が一粒こぼれ落ちる。


 見間違えるはずがなかった。それは、華々がアルタンにあげたものだった。





 夜族の火祭りを見に行った次の日。母と共に帰路に着いた華々は、しばらくして後ろから追いかけてくる一騎の影に気づいた。猛然と馬を駆るその人影は、アルタンだった。


「見送れなくてごめん。これを取りに行ってたんだ」

「赤い花? もしかしてこれって……」

「ハリファの花だ。な、髪の色とよく似てるだろ」


 差し出されたのは、ふわふわと波打つ大ぶりの赤い花びらが幾重にも中心の黒い花芯を取り巻いている花だった。朱赤の花弁はアルタンの言うとおり、華々の髪の色にそっくりだ。


 はにかみながらお礼を言った少女は、何かかわりにあげられるものはあっただろうかと荷の中を探る。しばらくして華々が引っ張り出したのは、小さな手巾だった。


 刺繍を母に習い始めて半年ほど、華々がようやく初めて満足いくかたちで縫えたものである。まだまだ他人にお礼としてあげられる出来でないことは分かっていたが、華々があげられるものといえばこれくらいしかなかった。


「あげる」

「いや、俺は花をあげただけだしそんな――」

「昨日の夜と今日のお礼よ。私が縫ったからそんなに上手じゃないかもしれないけど……」

「そんなことはない。ありがとう、大事にする」


 いびつな黒い鷹の衣装が刺繍された手巾をまるで宝物のようにぎゅっと握りしめて、アルタンは真剣な瞳で華々を見つめた。


 ざぁ、と砂を巻き上げながら風が吹き抜けていく。またね、と断腸の思いで華々が手を振ると、アルタンは馬首を返して去っていった。





(見張りの人にはここまで話していなかったのに……)


 赤い花をくれたひと。その思い出を知るのは華々と母、そしてアルタンしかいない。何よりこの手巾が、彼なのだと告げている。ずっと会いたいと思っていた人にこんな形で再会するとは思わず、心は乱れるばかりだった。


(どうして私のすむ町を襲ったの。なぜ私をさらったの。あんなに優しくしてくれたのに――)


 胸が引き裂かれたように痛い。華々は声をあげることもできず、ただ声を殺して泣き続けたのだった。




 月が沈んだら外に来い――そういった男の言葉通り、皆が寝静まったあと華々は天幕を抜け出して外に出た。細月は日が沈むと同時に地平線の向こうへ沈み、あたりはすっかり闇に塗りつぶされている。暗闇のなかに目を凝らして彼の姿を探すと、こっちだと言う声と共に手を引かれた。


「黙ってついてこい。一言もしゃべるなよ」


 男はただそれだけをささやいて、華々をどこかへつれていく。彼の足の速度に合わせ、一生懸命小走りでついていった少女の息があがりきったころ、ようやく男は足を止めた。


「馬を用意した。ここから逃げろ」

「……あなたは」

「今はその話をする時間はない。お前、星は読めるな」


 感傷に浸るまもなく華々を鞍の上へ押し上げた男は、空を指差して問う。いくつかの星だけならと震える声で答える少女に、男はほんの少しだけ微笑んで背中をぽんぽんとあやすように叩いた。


鷹の尾ルマのある方角へいけ。そうすれば、お前の両親に会える」


 男の指差す方角に目を向けると、天を羽ばたく大鷲の尾先に青白く輝く星が見えた。その温かくも懐かしい声音をどうして忘れていたのだろう。一ヶ月以上も近くにいたのに。


「ハリファ。もし……お前がもう一度、俺に会いたいと望んでくれるなら――」


 耳元に囁きが届くと同時に馬が走り出した。


 彼がどんな表情でその言葉を伝えたのか、見ることができないまま。華々はただひたすら鷹の尾の方角を目指して馬を駆ったのだった。

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