第44話 光差す庭園
【光差す庭園】
薔薇が咲き誇る庭園から一輪の黒薔薇を摘むのは白い肌、白い髪、白い服の図書館長だ。美しい顔の右半分には白薔薇の刻印が刻まれ、胸元には白薔薇が飾られている。館長は毎日一輪、屋上庭園で黒薔薇を摘み、執務室の窓辺に飾る。
広大な王国の中でも、真に黒い花弁を持つ黒薔薇は大図書館の屋上にしか咲かない。
そこは悠久庭園と呼ばれる場所に建っている。遙か昔は公爵領として栄えていたが、今は世界のあらゆるものを観測保管する王国大図書館となっている。中央に温室と管理棟を据え、四方に伸びる廊下で繋がれた円形の巨大建造物が大図書館だ。年々増築を重ね今も大きくなってる。
「叔父上」
館長が大図書館の最上階、日当たりのよい執務室に戻ると客が待っていた。
普段から見ればだいぶ簡素な服をまとっているが、金髪に深海色の瞳をもった美形の壮年男性は、一目で高貴な身分と知れた。
「立派になったね、セドリック」
「私をいくつだとおもっているんですか?」
稀代の賢君と呼ばれるセドリック王だ。いつの間にかアルよりも年上に見えるようになった。セドリックと弟のオスカー、末の妹アリエル、三兄妹の治世も1300年目に入っている。その間、王国は少しずつ広がっている。アルが外に出られるようになり、記憶している国土よりも広いことがわかり測量が始まったことで明らかになった。東にある海の向こうに島が発見され、世界の果てと呼ばれていた西の雲海の先へも調査の手を伸ばしている。紛争も暴動も時々起こるが、王国は平和を謳歌し繁栄している。
「またサボりかい? 陛下」
二人は応接室に移動しアルが淹れたお茶を飲む。中央に広がる庭園と随所に設けられた中庭が見下ろせる広い窓が設えられた明るい部屋だ。。
「サボっているわけじゃありません。観測者様のご機嫌伺いです」
「私の機嫌を伺ったところでこの世界にはなんの影響もないよ」
「国王たる私の気分に影響します」
「他人に左右されるのは感心しないな」
笑い合う。ふと、セドリックの笑顔が消えた。浮かぶのは悲しみではない。
「父上が、王と王妃の水晶が溶けました」
アルはカップを置き温室を見下ろした。視線の先には世界を支える彼女たちがいる。
「やっとか……兄さんは、カレンさんに会えただろうか」
「私たちが見つけた時にはもう、なにも残っていませんでした。でも、彼女のことですから、なんかめちゃくちゃな理屈をつけて会わせてくれたんだと信じています」
「彼女がしそうなことだ」
いつだって例外で、突拍子もないことを言って実際やってみせる。何度も救われた。アルはいつだって忘れることない彼女の顔を思い浮かべ静かに笑う。
「もう少しの辛抱ですよ。叔父上」
「辛抱、だとはおもっていないんだよセドリック」
胸の薔薇を撫でる。
「強がりではない。毎日毎日彼女に話したいことが積み重なっていくんだ。ただ無為に過ごす日々ではなく私は生きている。誰かのために動ける足も伸ばせる手もある。その積み重ねがとても嬉しいんだよ」
セドリックが感動して泣きそうになっているとその胸元からアリエルの声が響いた。
「セドリックお兄様どこにいますの!?」
セドリックは慌てて通信機を取り出す。この千年でただの鉱石だった通信機は指輪ほどのサイズになり、任意の形に加工できるようになった。セドリックは赤い薔薇の刻印が入ったペンダントの形状に細工している。
「アリエル、どうしたんだい? はしたないよ」
「私のことはどうでもよろしいのです! お義姉様が産気づきましたわよ!」
「すぐ戻る!」
「今度、落ち着いた頃にこちらから出向こう」
「必ずですよ! 叔父上!」
国王は飛び出していった。ようやく王妃を迎えて父になる決意をつけた男の宝は、どうにも双子らしい。名前の候補の中に、ニコール、カレン、アルフォンス、真夜が含まれていたのでやんわりと否定したのは最近の出来事だ。
応接室と執務室は繋がっているが廊下にでた。室内から見下ろすのとは反対側、円の外側には廻廊に沿って屋上庭園が作られている。中庭と中央の温室、屋上庭園には今も白薔薇と黒薔薇しか咲かない。
薔薇の冠をかぶり鎮座するのは世界の全てを記録する記憶の館だ。待ち続ける黒薔薇に報告したいことの山。アルが生きてきた証でもある。
「よくもまあこれほど積み上げたもんだ。こじらせすぎじゃないか?」
脳内で想像した声が耳に飛び込んできて振り返った。誰もいない。自嘲して執務室の扉を開ける。朝生けたはずの黒薔薇がなくなっている。
とにかく走り出した。廻廊に等間隔である出入り口から屋上庭園に出る。美しい螺旋を描くアーチをくぐり、憩いの噴水を尻目に走る。小川に架かる橋を飛び越え、丘の東屋を覗くが誰もいない。
東屋が作る影はひんやりとしている。小鳥はくるが、人影はひとつきり。
「私の黒薔薇」
「ユアグレイス、ここに」
光差す東屋の外に黒髪騎士服の女性がいた。人を食った笑顔で立っている。
「偉くなると高いところに住みたくなるのはアンタもなんだな」
眩しい光景に足を動かせずにいた。
手には黒薔薇が握られている。
「薔薇を一輪もらえるか?」
胸元にはいつでもその黒髪を飾れるように白薔薇が用意してあった。
アルは光へ踏み出す。
「ああ、おはよう。私の黒薔薇」
噛み合わない会話と熱い抱擁が二人の時を動かした。
【Fin】
黒薔薇は悠久の園に眠る 織夜 @ori_beru_ya
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