彼の人生だとしても主役で在れ

 今でも偶に――思い出す事がある。まだ俺が中学生の頃、同じクラスに飛びっきりに可愛い子がいた。名前は桜子さくらこちゃん。性格は明朗快活。常に前向きな彼女はクラスで一番の、いや学校でも一番の人気な女子だった。誰とでも仲良くなるし、元気だし、男子からも女子からも好かれていたっけか。部活は女子バレーボール部。それも主将ときた。頭もよく成績は常にトップだった。正に才色兼備、文武両道。『人を惹き付ける人』とは彼女の事だと思った。

 そんな彼女だから、桜子ちゃんを好きな男子は沢山いて、多くの男子が告白しては無残に散っていた。まるで桜の花のように。中には女子からも告白されたと聞いたことがある。無論、この俺も散った桜の花の一人であった。


 しかし俺は諦めなかった。諦めたら何もかもがここで終わってしまうのである。まだ何も為してもいないというのに。たった一度や二度の失敗が何だというのだ。一度、振られたからって何だと言うのだ。例え俺は何度失敗しようとも、何度君に振られようとも、君の横にいるのがこの俺だと、俺でなければならないと、大願成就の為にと、日々己を磨き精進するのだ。流行のワックスとかもつけてみた。今思えば、変な髪形だったろう。自分でもそう思うのだから。とにかく、俺はイケていない男子ながらもかなり頑張っていたのである。そう、当時の俺はかなりイケていない男子の一部だった。それでも童貞は早く卒業したかったし、その相手は桜子ちゃんしかいないと決め付けていた。正にもてない男子の妄想である。言うな、僕が可笑しいのは分かっている。でもね、それ程に彼女が好きだったのだ。



垂水たるみ。お前、何の役を希望するのか決めたのか?」

「――ああ? 何だって?」

「だから希望の役だよ。呆けた顔をしやがって。これから合同オーディションだろうが」

「ああ、役ねぇ。石田いしだは?」

「んあー、主役級は無理だろう。まぁ本音は永井英介ながいえいすけ役をやりたいけどな」

「それこそ無理だろう。永井さん本人がこの劇の脚本なんだぜ。でもまぁ石田は好きだったけか。永井脚本」

「そりゃあ好きだ! 大友映画の真髄は脚本家でもある永井英介だ!」

「んじゃあー、狙えば」

「無理だろ……俺達まだ舞台を初めて半年も経っちゃいねぇ。どうせ主役級は“ブラックボックス”の奴等が持っていくんだろうなぁ」

「でも、大全たいぜん。お前結構良かったと思うぜ、この前の公演。津田つださんも認めてたしよ」

「なんで急に下の名前呼びなんだよ。こそ、津田のおっさんに偉い誉められていたじゃねーか。で、垂水は何の役希望すんだよ」

「……そうさなぁ。大友映画おおともえいがの主役って、大友監督なのかなぁ」

「お前、マジでどうした。オーディションだから緊張してるとか? まぁー、敵は芹沢新菜せりざわにいなとか、河上進かわかみすすむだもんなぁ。後はブラックボックスのちょーベテラン舞台役者。勝ち目はねぇべ。河上と芹沢に関しては大河の主役とヒロインだ」

「……ヒロインなぁ」

「お前、マジでどうした。なんかこの前から様子が変だぞ」

「なぁ、主役ってなんだ」

「なんだって、そりゃあ中心的な?」

「大友映画の中心は、大友監督が中心だった」

「ああ、そりゃ大友映画はな。ん?」

「実は違ったら、どうする? 俺は大友勝利おおともかつとし役をやりたいんだよ。でもよ、それが違ったら? 石田はどう思うよ」

「だったら。群像劇だよ。登場人物皆が主役だ。それが大友ファミリーなんじゃねぇの? 知らないけどな」

「で、今回は。少し納得。群像劇かぁ」

「お前、真剣に頭大丈夫か? それになんで最近津田のおっさんを“さん付け”なんだよ。何かあったのか」

「おおー、気付くねぇ。さすが石田大全君だ。――お前さ、永井役を希望しろよ。石田なら余裕だろ」

「言われなくても一応はそうするさ。垂水、お前はどうするんだ?」


――『ゆうぐれ突撃隊』と『ブラックボックス』。年末に開催される双方合同演目の役決めのオーディション会場に入る前、あいつは、垂水さくらは、笑いながら「秘密」と言い残してその会場の扉を開けやがった。何故だかは分からないが、その光景は今でも脳裏に焼き付いている――。





「ああー、みんな揃ったかな」

「永井さーん。揃いましたけど、時間ギリギリに来た人達がいますよぉ。まだ無名なのに。この世界は三十分前、一時間前とかに来るのが普通だと思うんですけどぉ、お咎めはしないのですかぁ?」


(うわー、口悪っ。あれが芹沢新菜か? TVとかと全然キャラ違うじゃん)

(そうだよ、あいつは、やばいやつだ。よく言うだろう、女優は嘘を吐いているって)

(いや、それ役者はみなそうだろう。そう教わったじゃねーか)

(あいつはマジで別格なんだよ)


「ちょっと、普通に聞こえているんですけど! 小声で喋るなら小声を徹しなよ! もう普通に落ちたっしょ、あいつら」


「芹沢、少し黙れ。時間ギリギリは許される事ではないが遅刻はしていない。勿論そういった部分は俺達も見ている。お前のその態度もな。それでも舞台は実力主義だ。大河にでているからって慢心していては困る。良い子ぶるのはTV業界だけにしておけ。。それが舞台演劇のオーディションだ」


(当たり前の事を、今更。言われなくても分かっているわよ。実力でも負けないもん。神木百合かみきゆり役は必ず私がいただくだもん)





 俺が桜子ちゃんにをした直後、朝の廊下で偶々すれ違った事があった。俺は何時ものように声を掛けた。すると彼女は若干引き気味の顔して、その場を去っていってしまった。なんでかなって思ったけど、今なら理由は分かる。俺は行き過ぎたのだ。ただでさえ、一方通行の恋に、俺は一方通行を重ねてしまった。何時の間にか周りからは目立たない男子だったのに、付き纏い男子と呼ばれていたっけ。学校内でも危ない奴呼ばわりされていた。でも当時はそんな自分の凶行に一切気付かなかった。何故なら好きなのだから。

 何時か必ずと、それでもと、折れる事無く前に突き進んだ。今になって振り返ると、大分ヤバい俺だったが気にはしない。周りの目も一切気にならなかった。しかし、現実は非常だった。とうとうあの桜子ちゃんに彼氏が出来たのである。相手は学校一の顔がいい男子。そして少しだけ不良だった。……何時だったけか、二人の逢引きを目撃したことがある。二人は公園のベンチに腰を掛け、互いに寄り添い、そして熱い抱擁をし、唇を交わした。俺の心はその時に壊れたのかもしれない。そして同時にはじめて湧き上がる感情。「ああ、俺は相手にもされず、そして嫌われ、何も出来ずこうしている。神様なんてこの世にいない」って。


 その瞬間に溢れ出る感情は、憎しみでもなく、己の不甲斐なさでもなく、過去を改めるでもなく、『たった一つの思い』だった。という感情。ただ純粋に、桜子ちゃんの横にいたかった。彼女の人生の中での主役になりたかった。


 中学を卒業後、俺はおとなしくなった。あまり人とも喋らず生きてきた。より一層無口になった。何度か好きになる子はいたが、俺ではない誰かと一緒になる日々。それは大学に進学しても一緒だった。そういや、この頃に石田大全いしだたいぜんと出会ったっけ。ちょーどうでもいいか。


 そして何時しかこう思うようになる。所詮、俺と言う存在は『何処まで行っても好きな人の主役にはなれない』のであると。でもねぇ、でもねぇ。

 君達が、普段何気なく歩いている道端に転がっているはあるのですよ。熱いアスファルトの上に咲く雑草もあれば、それすらにもなれず形壊れた石ころにだって人生はあるのです。何時か、何時かいつでもいい。俺を見てくれ。俺は此処にいる。いつか必ず――。



「オーディションを始める。先ずは大友勝利役から――。希望者は手を上げて――」

「演劇集団ブラックボックス所属の河上進かわかみすすです――!」

「次、永井英介役――」

「劇団ゆうぐれ突撃隊所属、石田大全いしだたいぜんと申し――」

「――次ー、神木百合役の」

「はいはい! 星野プロダクションに所属しています芹沢新菜せりざわにいなです! 精一っ――」 



――相変わらずうるさい奴。

 もしね、もし、人それぞれに物語があるのならば、俺は脇役にもなれない路傍ろぼうの石だったろう。もし僕があの時主役だったのならば、桜子ちゃんとあいつの間に割って入ることが許されたはずだろう。もしあの時と、後悔しない夜はない。その思いは今でも変わらない。でも、この俺にだって矜持がある。いつか、いつか必ず誰かの中心に、皆の中心になりたいんだ。皆の心の中で、やっぱりおれが主役だなって、言われたいんだ。だってだって、このままではあまりにも悔しいじゃないかぁ。



『急に呼び出してなんの用だよ。あ、さち子さん俺いつものおでん盛り合わせね』

『お前よ、前から言ってたよな。全ての人の人生の主役になりたいって』

『ああ? その話しかよ。もういいよ。なれねーなれねー、何処まで行っても俺は――』

『路傍の石ころが、主役を掴む。良い話じゃねぇか』

『なに言ってんだ、おっさん。つーか、今日も顔色悪いぞ。もうお酒飲まない方がいいんじゃない?』

『飲まずにはいられるかよ。いいかぁ、よく聞け。垂水さくら』

『何だよ』

『俺はもう直に死ぬ』

『あー、はいはい。ちょーしね』

『マジだ』

『……意味分かんねぇな。笑えない冗談は嫌いだぜ、津田のおっさん』

『もう助からない』

『だから俺はそういう冗談は』

『お前は“俺になれ”』

『……死因は酒の飲み過ぎかぁ?』

『そんなところだ。俺もお前と一緒だった。今でも日陰者だ。でもお前は違う。お前はそろそろ主役になるべきだ。そのエネルギーがお前にはある』

『いやいや、死なねぇだろ。流石に。ここまで巻き込んだんだ』

『ああ、お前に俺の全てを託そうと思ってな。前にそう言ったろ? それにお前は――』

『五郎丸さぁん! お酒ないっすぉ!』

『はいはい、飲みな。今日のお酒はきっと不味いわよ』

『いいか、よく聞けよ。お前は俺をやれ。俺を演じろ。そして世界にこのがいたことを証明しろ。お前は俺で、お前が俺なんだよ。それがお前の演技力に欠かせないものにきっとなる』



「最後、井崎玄瑞役――」。

 あいつ。さっきから、この主役の俺を前にして。本当は辛くて嬉しいくせによ。


 この主役である俺の前にある机に偉そうに座っているが配役のオーディションを取り仕切っている頃。

 俺こと、垂水さくらは意の一番に手を挙げた。本当の希望は大友勝利役だった。何故なら俺は、俺は大友映画の崇拝者なのだから。『好きな人に何度も告白する』。それはとある、大友映画から学んだことだ。しかしながら、実はそれを押し通したのは永井英介でも大友監督でもない。

 透き通るような肌をした神木百合が劇中に演じる女学生に何度も告白したのは、紛れもない若いころの津田源三郎が無理やり押し通した演出と聞いてしまったのだから。場末のおでんの屋台で。

 過去の青春を、当時の映画で清算したのが、演出で叫んだのが、津田源三郎という男なのだ。まるで脇役の遠吠えだ。だがしかし。まだ終わっちゃいねぇ。


「はい。劇団ゆうぐれ突撃隊所属、垂水たるみさくらです」。俺は続けてこう叫んだ。そう、まだ終わっちゃいねぇんだよ。


 

(本当に、最高の馬鹿と阿保を見つけたよ。見せてやれ。お前の今までの人生を。全ての経験は役者の糧となる。『いよいよ、お前が全ての人生の主役になる時が来たんだよ』)



「――私は、井崎玄瑞いさきげんすいという人は知りませんが、尊敬する津田源三郎つだげんざぶろうという男は良く知っています! それを演じるのは私しかいません! どうぞ宜しくお願いを申し上げます!」



 の人の人生でも、貴様が主役になれ。貴様は天衣無縫てんいむほうの役者なのだから。と、昨日にさち子さんが営むおでん屋さんでの言葉を反芻していそうな顔をしてやがったので、俺は再度こう言った。



「名前は‟垂水さくら”と申します! え、もう言いましたっけ。何度でも言いますよ! だって主役になる為に来ましたから! もう俺しかいないでしょうに!!」と。就活は慣れっこなのだ。これで落ちたら見る目が無いぜ。何度でも言う。まだ俺達の就活こいは終わっちゃいねぇ。

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