風と少女とオートバイ-2
狩野晃翔《かのうこうしょう》
星と少女とオートバイ
【1】
昔、東京の片隅で、奨学金をもらいながら新聞配達をしている19歳の少年がいました。
少年はある日オートバイ雑誌で、『流れ星を見る会』というイベントがあるのを知りました。
そのイベントは8月7日の朝、東京・竹芝桟橋に集合して赤いバンダナを受け取り、オートバイで十和田湖の乙女の像まで走り、その湖畔で流れ星を見ようというイベントでした。
でも少年はオートバイを持っていません。
やむなく少年は新聞専売店のオーナーから許可をもらい、新聞配達で使う90ccのスーパーカブにキャンプ道具を積んで、このイベントに参加することにしました。
【2】
8月7日の朝、少年は竹芝桟橋で赤いバンダナを受け取り、スーパーカブに乗って十和田湖を目指しました。
東京から十和田湖まではおよそ670kmです。
高速を使えば8時間ほどで現地に到着しますが、少年が乗っているスーパーカブは90ccなので高速は使えません。
やむなく少年は一般道を、トコトコ走るしかありませんでした。
少年は炎天下の中、国道4号線を黙々と走り続けます。
途中アスファルトが陽炎で揺れて見えました。
信号で止まるたび、熱波が少年を襲います。
けれど信号が青になってアクセルを開けると風が心地よく少年に当たり、新緑に彩られた景色が穏やかにその表情を変えていくので、少年は飽きることを知りませんでした。
【3】
そうして少年は国道4号線を北上し続けます。
そうこうしているうちに景色はいつしか夕方に変わり、やがて日が暮れてしまいました。
けれど少年がいる場所は、まだ宮城県です。
やむなく少年は仙台市にあるある公園で野宿をすることにしました。
少年はたったひとりで夜空を見上げながら、ここまでしか来れないんだから、
竹芝桟橋を1日早く出発すれば良かったな、と後悔しました。
そしてひとりつぶやきました。
「ぼくって、いつもこうなんだ。一緒にスタートしたって、途中で必ず取り残されてしまうんだ。今までだって、そして今日だって」
【4】
翌日、少年は再び十和田湖を目指して4号線を北上しました。
非力な90ccスーパーカブはそれでも発荷峠を超え、、やがて十和田湖湖畔にある乙女の像に到着します。
時刻は午後6時。もちろん乙女の像の前には、8月7日に一緒に竹芝桟橋をスタートした『流れ星を見る会』の参加者は誰もいません。
無理もないのです。だって『流れ星を見る会』は昨日ここで行なわれ、ここで流れ星を眺め、少年が到着した時間にはもう解散したに決まってるからなのです。
【5】
少年は子ノ口キャンプ場にテントを張り、暮れなずむ空を見上げていました。
やがて夜です。
十和田湖の夜空は、数えきれないほどの星々で埋め尽くされていました。
どうしてここには、こんなに星が集まっているんだろう。
強い光を放つ星。今にも消え入りそうな星。何かの図形に見える配列。
そして天空を横切る天の川。
もしかしてここは、毎晩星たちが集う場所なんだろうか。
地上で暮らす人々と、会話を楽しんでいるんだろうか。
少年がそんなことを考えながら夜空を眺めていると、やがてオートバイの
音とヘッドライトの光が近づいてきました。
【6】
そのオートバイは少年の前で停まり、それに乗るライダーが、
「あのう、ハンドルに赤いバンダナを巻いてますよね。もしかして『流れ星を見る会』の人ですか」と訊ねてきました。
オートバイから降りてヘルメットを脱ぐと、そのライダーは背が低くて
顔にまだあどけなさが残る少女です。
少年がうなずくと少女は満面の笑みを浮かべて、
「わあ、嬉しい。私も『流れ星を見る会』に参加するためにきたんです」
そう言いながら、少女は言葉を続けました。
「今夜もあるんですか。『流れ星を見る会』」
少年は少し考えてから答えます。
「いや、今夜はやってない」
「じゃぁ、どうしてここにいるんですか」
畳みかけるように訊く少女に少年は、仕方ないかのように答えました。
「・・・着くのが遅れて、今日になっちゃったんだ」
少女は破顔しました。
「なあんだ、そうだったんですか。だったら私と同じですね」
少年は興味を示し、
「あれ、きみも遅れちゃったの。でもきみ、竹下桟橋にいたっけ」
その質問に少女は照れくさそうに答えました。
「私、実はね、竹下桟橋集合の1日前に家を出たんです。でも私、すっごくドンくさいから、着いたのが今になっちゃったんです」
少年は思わず笑ってしまいました。
上には上がいるもんだ。いや、下には下かな。
少年が2日かかった道のりを、この少女は3日もかかっていたなんて。
【7】
やがて少年と少女は同じ場所に座って、ふたりだけの『流れ星を見る会』を始めるのでした。
満天の星たち。けれど何も語らない星たち。そして夜空を埋め尽くすかのような天の川。
そんな星空の下で、少女はいろんな話を少年に話しました。
「私、去年、好きな人ができたんですよ。だからその人とうまく行きますようにって、成田山の新勝寺に行ってお参りしたことがあるんです」
「・・・・・・」
「でも成田山って、よく聞いてみると縁切りのお寺だったんですよね」
「・・・だから結局その恋はそこでジ・エンド」
少女がそんなエピソードをを笑いながら話すものだから、少年もつい、つられて笑ってしまいました。
少女の話はまだ続きます。
「でね。そのときから私は、トップランナーって呼ばれてるんですよ」
少女は目を輝かせ、少年の顔を覗き込むようにしながらながら話を続けます。
「私のオートバイはいつも、先頭を走ってるんです。と、いうか、私はいつも原付の制限速度30キロで走っているから、後ろはいつもクルマがゾロゾロ、ゾロゾロ。長蛇の列で数珠繋ぎ」
そんな話を身振り手振りです少女に、少年はお腹を抱えて笑いました。
【8】
少女はそんなたわいもない話を続けたあと、夜空を見上げて沈黙しました。
満天のお星さま。今の話を聞きましたか。笑いましたか。このことで少女を、好きになりましたか。大好きになりましたか。そしてこの少女を、見守ってあげたくなりましたか。
しばらくふたりに沈黙が続いたあと、少女は少年に訊ねました。
「ねえ、カブのお兄さん。お兄さんには、彼女とか、・・・いるんですか」
少年はしばし考えてから、答えます。
「いたよ。2年前まではね。その彼女がここ、十和田湖の星空の話をしてくれたことがあったんだ。だからぼくは雑誌で『流れ星を見る会』を知ったとき、絶対ここに来たいと思ってたんだ」
「・・・・・・」
【9】
会話が途絶え、ふたりに、つかの間の静けさが訪れました。
少年は夜空を見上げ、沈黙しています。
少女は何か考えているような表情を浮かべ黙り込んでいます。
やがて少女は急に何かを思いついたように明るい表情になり、少年に話しかけました。
「カブのお兄さん。『流れ星伝説』という話を知ってますか。流れ星を一緒に10固見つけたカップルは、必ず幸せになれるっていう伝説なんですけど」
少年は「知らない」という意味で、かぶりを振りました。
この『流れ星伝説』を、少年は知るはずはなかったのです。
いいえ。少年のみならず、世界中の誰もがこの伝説を、知るはずなんてなかったのです。なぜならこの『流れ星伝説』は、少女が、ちょっと前に思いついた作り話だったからなのです。
【10】
やがてふたりはそれぞれの小さなテントに潜り込み、頭だけ出して流れ星を捜すのでした。
「あ。今、光りましたね。あっちの方」
「おお。今度は反対側だ。見えたかな。見えなかったかな」
「あ。今度はすっごく明るい。一番明るかったかも」
そうしてふたりは流れ星を見るたび一緒になって、嬌声をあげてしまいます。
やがて二人は30以上もの流れ星を見つけ、深い眠りにつきました。
ふたりが深い眠りについたあとも、十和田湖ではいく筋もの流れ星が
地上に降り注ぎます。
それはあたかも夜空の星々が、ふたりの出会いを祝福しているかのようでもありました。
《了》
風と少女とオートバイ-2 狩野晃翔《かのうこうしょう》 @akeey7
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