おかえり

兎谷あおい

おかえり

お泊まり会をした記憶がある。


10年も前のことだからもう細かいところは曖昧だけれども、覚えている光景が、みっつだけある。

画面にぼうっと浮かぶ、澄み渡った夜空。

画面に夢中なあいつの、キラキラした眼。

そして――




日付が変わってしまって日曜日になっても、僕は自室の机に向かって座っていた。本棚の横のところに置きっぱなしの長傘を、手に取ってみたり戻したり、振り回してみたり。


「うーん……」


椅子から立ち上がる。

シミュレーションをする。腕を伸ばして、隣の家の子供部屋の窓枠を傘の先っぽでつんつんとする。開けてもらう。話す。誘う。

それだけのはずなのに、どうも踏ん切りがつかない。

久しぶりだし、なんとなく後ろめたい気持ちもあるし、用件が用件だからなんとなく恥ずかしいし、外寒いだろうし、笑われたらいやだし。

そもそも顔を見る機会くらい高校でいくらでもあったのに、なんでその時に話をしておかなかったんだろう。いや、それは話をほとんどしなくなっていたからで、逆に高校で話しかける方がハードル高い説もあるけれど、じゃあこんな直前になる前にLINEでもいいから話をしておくべきで。ぐるぐる先延ばしにしているうちに、こんな直前になってしまって余計話しづらくなって。


あー、もう。

どれもこれも、元をたどれば高1の時のクラスメイトが憎い。あいつらがひゅーひゅーしてくるからなんとなく仲良くしづらくなっちゃったんだよ。僕と星奈とは幼馴染で、それ以上でもそれ以下でもないってのに。

どうしてこうなっちゃったんだろうなあ。


そんなことを考えているうち、外の空気が吸いたくなった。冷たい風に当たれば、頭も冴えるだろう。

あまり大きい音を立てないように、ゆっくりと鍵を解除してから窓のサッシをそろそろと引っ張る。少し隙間があくと、すぐに夜の空気が流れ込んできて気持ちいい。

そのまま目を閉じ、大きく息を吸い込みながら窓を全開にしたあたりで、聞き慣れた息を呑む音がした。


窓枠2つ隔てた向こうに、久しぶりに真正面から見る幼馴染の顔があった。


記憶にある部屋着姿よりいくぶん大人びた格好で、普段の学校とは違って髪を下ろした星奈もまた、まったく同じタイミングで自室の窓を開いたらしい。当然と言うべきか、彼女の左手にもやっぱり傘が握られている。

驚きから戻ってきた星奈は、僕の左手に目を落としてから、むうっと口を尖らせる。


「待ってたんだよ」


「……うん」


「今日も学校で会ったのに、声もかけてくれなくて」


「……うん」


「LINEはずっと既読無視だし」


「ごめん」


「それどころか最近全然話してくれないし」


「それは」


口答えのしようもない。ぜんぶ事実だから。


「『約束』のことも忘れちゃったのかなって思って」


「そんな」


でも、『約束』だけは。


「でも、『約束』だから。ハヤトが言ったことだから、待ってたんだよ」


「……うん」


だったら、最後の最後くらい、待たせないできちんと言うべきだろう。一緒に観るのなら、星奈と以外なんてあり得ないのだけれど。


「セナ」


「なあに、ハヤト?」


「屋上来ない?」


10年前のあの晩にも、一緒に我が家の屋上に登って星を見ようとした。あの時は梅雨の時季であいにく曇っていたのだけれど、その分だけ、後で見た画面の向こうの夜空がとっても綺麗に見えたのだ。


だから、きっと今日も。

僕たちには、屋上からやり直すのがふさわしい。


「えー、寒いからやだ」


「えっ」


「うそうそ。あったかいの着ていくからちょっと待って」




「おまたせー」


もこもこの上着を羽織ってきたこちらにやってきた星奈を促し、屋上へ繋がる階段を登る。ふわふわなのが不思議と似合っていて、やっぱり女の子なんだよなあと想像してしまうのを必死に振り払う。そんなんじゃないんだって。


「いや、別に。こっちこそ急だったし」


「それは言いっこなし」


「え?」


「10年前からの約束でしょ?」


「……ぐ」


……まあ、確かに。

10年前、インターネットの生放送を見終えた僕は、隣で画面にかじりついていた星奈にこう言った。


 『次も、ぜったい、一緒に見ようね』


 『うん! 約束だよ!』


だから、決して急な話ではなく、10年前から決めていたこと……と言ってしまえばそれまでなんだけれど。

そんなんで許されてしまって、いいのか?


「へへーん」


浮かんだ疑問も、ずいぶん久しぶりな彼女のしてやったり顔を見るうち、どうでもよくなってしまった。家々から漏れ出る白熱電球色のあたたかい光が、夜の空気の中の彼女を照らしている。

なんていうんだろう――やり込められないように気を張っているのに、やっぱりリラックスしているというか。気が抜けないのに気は抜いているというか。

ちょっとうまく言葉にできないけれど、まるで、はじめから"こうあるべき"と定められていたような。そんな気分だ。


「相変わらずで安心したよ」


「あら、いつも通りよ?」


「そうだね!」


こんなに近くで話すのは久しぶりなのに、ぜんぜん久しぶりの感じがしない。


「……ふふ」


「……ふふふ」


どちらからともなく笑い出した僕らは、どちらからともなく肩を寄せ合い、夜空を見上げる。


「ハヤト」


10年前と違い、よく晴れている。空気が澄んでいて一番星が見やすい季節。


「なに?」


オリオン座を辿る。リゲル、ベテルギウス、三つ星、ベラトリックス……


「ヘタレ」


「発音寄せても一文字も合ってない件」


「ヘタレ」


「連呼しないで」


「ヘタレ」


「悪かった悪かった!!」


「ヘタレさん、どうしたの?」


ただなじられているわけではなく、これくらいで僕は傷付かないって分かった上でじゃれるように言葉を投げてきている。

まったくもう。わかるよ。ひとことくらい謝ってってことでしょ。


「……ごめん」


だから。

星奈の方に向き直り、2年弱のもろもろを全部込めて、精一杯のひとことを絞り出す。


「いいよ」


しかたないなあ、とばかりに、星奈が笑う。

これくらいで許されてしまうのだから、幼馴染ってのは得だ。


「きれいな星に免じて許してあげる」


「……晴れてなかったら危なかった?」


「そうかもね?」


「っぶねー!」


久しぶりに軽口を叩き合いながら、空を眺める。

オリオン座。おうし座。ふたご座。ぎょしゃ座。おおいぬ座。

空の反対側、春の星座が浮かぶあたりには真ん丸からやや欠け始めたくらいの月が昇っていて、空に少しだけ浮かぶ雲を照らしていた。


「一緒に見れてよかった」


星奈のことばに、ちょっと生意気なことばを返してやる。


「これからがメインイベントだろ?」


僕のことばに合わせたように、事前に設定していたタイマーがスマホから鳴る。生放送の始まる時間だ。


「ここで見たいな」


「寒くない?」


「ふたりなら、大丈夫でしょう?」


……そういうことになった。




僕のスマホで、JAXA公式のライブ番組を開く。時間は午前2時。"その時"は2時28分頃の予定。

それまでは、プロジェクトに関わった人たちが技術的なことを解説してくれている。探査機本体の動き。カプセルの動き。回収する人々の動き。僕も星奈もとっくに知っていることではあるけれど、ひとつひとつ、頷きながら聞いていく。

初号機と違って、今回の「2」にはまだお仕事が残っている。

リュウグウから持ってきたカプセルを無事に地球に送り届けたら、自分は大気圏に突入せずに地球を掠め、次の小惑星へと探査へ向かうのだ。

「前回ほど明るい流れ星は見られません」と、番組の方でも解説がある。




初代の時を思い出す。


10年も前のことだからもう細かいところは曖昧だけれども、覚えている光景が、みっつだけある。

画面にぼうっと浮かぶ、澄み渡った夜空。

画面に夢中なあいつの、キラキラした眼。

そして――

「はやぶさおかえりー!」の叫びとともに、まばゆい光跡が画面を切り裂き、明るさを増して弾け、消え、ひとつだけ――カプセルだけが残り、空を駆けていく様子。



それが今、再演される。

画面の中にも、オリオン座が見える。シリウスが見える。

空は、つながっている。


右側から、ゆっくりと光点がカットインしてきた。

前回のように光が炸裂することはない。彼が身を切ることはない。

往復50万kmの長い長いおつかいを終え、しっかりと封をしたカプセルを地球に届けるだけだ。


光点は、ゆっくりと空を動く。

アルデバランの横を通り、リゲルをかすめ、ケンタウルス座に達する。

約束の流れ星が、美麗な尾を残し、すうっと消えていく。


軌跡を見ているだけで、ほろりと涙がこぼれた。


「おかえり」


画面の向こう側のカプセルだけれど、空だけはつながっているから、きっと信じて声をかける。


「はやぶさ、おかえり」




隼人はやともね。おかえり」






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2020年12月6日――「はやぶさ2」と「はやぶさ」に寄せて。


おかえりなさい。


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