天真を穿つ竹光・後編


 センセイは一見すると穏やかな人だが、中身は研ぎ澄まされた刃よりも苛烈だ。

 その証拠に……修行がとにかくツライ。

 死ぬほどツライ。

 運の尽きと思ったのはそういうわけだ。


 例えば、心身を追い込むかかり稽古――。


「刃は心の在り様を写す。一振り一振りに魂を込めよ」

「だからって、うぐッ! 返しの、刀がっ、いぎッ! 重すぎっ……いてえええええええ!」


 例えば、感性を磨く肉食断絶――。


「肉は食うな。食らえば心が淀む。肉食を断ち、六感を開かねばならぬ」

「せ、せめて鳥を……いや、魚だけでも……うぅ……肉……肉が食いてえよぉ……」


 例えば、昼夜と寒暖を問わない水行――。


「冷水を浴び、体を清めよ。心頭滅却すれば微温湯ぬるまゆと同じ」

「さささささぶいいいいいいいいい! じぬうううううう! ぼとけがびえるうううう!」


 ……真冬の沐浴もくよくは、本気で仏が見えた。

 運どころか命が尽きるかと思った。

 だがおれはセンセイの教えを守り、これらの修行を続けた。

 あの苛烈爺の修行によくも耐えられたものだと、我ながら感心する。

 己の成長を実感し、修行に楽しさを覚えていたのもあるだろう。


 また中西道場で共に学ぶ剣士達との試合も、おれの剣を磨く一助となった。

 はじめは「女だから」と連中に揶揄からかわれて、散々喧嘩を吹っ掛けられたが、いつも通り誰も彼も伸してやった。

 しかし、さすがは江戸随一の道場。なかなかどうして粒揃い。

 一筋縄ではいかないやつが多く、一度や二度やりあっただけじゃ満足しない輩も多かった。

 特に師範代の高柳たかやなぎはめっぽう強く、何度負けたか覚えていない。もちろんおれが勝ち越しているけどな!

 そんな門下生達と互いに認め合い、共に剣を学んだ結果、おれはセンセイや高柳と並んで「中西道場の三羽烏」なんて呼ばれるほどに成長した。


 そうやってひたすら修行を続けていた――が、六年目の春頃のことだ。

 センセイが唐突に言った。


「大阪へ行く藩主のお供をするため、中西を去る」




 *




「へへっ、久しぶりだな……センセイと本気で仕合うのはよ!」


 興奮で震える手を必死に抑え、木刀を握り直す。

 相対するは我が師――天真翁てんしんのおきな

 いよいよ師が道場を去る日の前日、おれは師に最後の仕合を申し込んだのだ。

 師がそれに快く応じてくれたのは、己がもう二度と江戸に戻らないと悟っていたからだろう。

 この時、師のよわいは既に七十を超えていた。

 だが、そんな老いなど感じさせないほどに師は壮健だ。

 師が剣気をまと刀尖とうせんをこちらに向けると、それだけでおれの体が震え、見物の連中も騒めく。


こう。お主の剣、天真に如何いかほど近付いたか試させてもらう」

「望むところだ! 学んだ全てをこの剣に込め、そして今日こそセンセイを……あんたを超えるッ!」


 おれも木刀に剣気をまとい、全力の気迫をセンセイに向ける。

 するとセンセイは楽しそうに笑みを浮かべた。

 両者共に、あとは開始の合図を待つだけ。

 睨み合い、互いの呼吸を計る。


 そして、空気が止まった様な錯覚を覚えた瞬間――ついに立会人がさけぶ。


「東方、天真一刀流・寺田てらだ宗有むねあり! 西方、天真一刀流・白井しらいこう! いざ、尋常に――」


 勝負!


 合図の直後、俺の目に燃え盛る炎が映る。

 心剣『道楽天真どうらくてんしん』――師の剣気の具象だ。


 前のおれは、この炎に手も足も出なかった。

 そして今だからこそ、師の剣がより理解出来る。

 刀を振らずして相手を斬る――それは五十年を超える歳月を修行した末に、天真へと通じた師だからこそ成し得る絶技なのだ。

 正体が分かるからこそ、おれは師の剣に畏怖の念を抱くのだ。

 額から滲んだ汗が頬を伝う。

 本物の炎を目前にしているかの如く、汗が止まらない。

 はじめから師に勝てる道理など、どこにもない。


 しかし、おれもあの頃のままではないのだ。

 師の教えが剣道の究極であることを、おれは示さねばならない。


 ――いや、示して見せる。


 この五年間でおれが編み出した心剣。


嚇機天真かっきてんしん』で――!


『勝つのは……おれだッッッ!』


 心内で発した威嚇と気迫を、剣気に変える!


 それらを刀に宿し、全身全霊の一刀を振るった!


 おれの刃と師の刃、二つが神速に達する速度で交わる!


 直後、木刀が衝突する乾いた音が響き渡った!


 


 ……そして片方の刀が弾き飛び、床にこぼれ落ちて空虚な音を残す。


 勝者は――。




 *




 ――お主の剣はすでに道を捉えている。もはや、我が道統どうとうが途絶えることはあるまい。


 そう言い残したセンセイは、おれに天真一刀流を継承させて中西道場を去って行った。

 最後の仕合、刀を弾き飛ばされたのは……おれの方だった。

 天真翁に勝つことは叶わなかったのだ。

 悔しかった。

 だが、師は仕合の後に微笑んで言った。


『一瞬だが、お主の刀尖より日輪が出ずるのを見た。あれほど右手が震えたのは初めてだ』


 おれはその言葉を聞いて、歓喜に打ち震えた。

 涙が溢れて止まらなかった。

 おれの『嚇機天真かっきてんしん』は、未だ完成には至っていない。

 だが、おれはあの時に確信した。

 この心剣の真髄に至るべく修行を続けること――それが、天真に通ずる道であると。


「待ってろよ、センセイ……おれは必ず、あんたが待つ天真を穿つぜ」


 師と出会った大道を十数年ぶりに訪れたおれは、天に向かって拳を突き上げる。

 おれの剣は道半ば。

 だが、今のおれには歩むべき道がしっかりと見えている。

 だから恐れも、迷いもない。

 おれはしっかりとした足で大地を踏みしめ、延々と続く大道を歩き始める。


「よし! まずは徳本行者とくほんぎょうじゃを訪ねるか。念仏行とはこれ如何なるものか、ってな。実に楽しみ――」

「いってえ!」


 振り返った瞬間、若い男と肩がぶつかった。

 いや、正しくは

 こんなだだっ広い道で避けられないわけはない。

 因縁でも付けるつもりなのだろう。


「おい! 女! てめえ、いったいどこに目ぇ付けて――」


 やはり。

 まあこちらもわざと避けなかったわけだし、ここは軽く捻ってやろうか。


 カラン――。


 その時、おれの腰に差していた『竹光』が鯉口を滑り、地面に落ちた。

 師にならって普段から真刀は差していないのだ。

 それを見た男は目をぱちくりさせ、次の瞬間――大笑いした。


「ぶっはははははは! なんだ女ァ! そんな玩具引っ提げて、侍の真似事かぁ?」


 男はこれでもかと嘲る。

 阿呆面に怒り心頭に達しそうになるが、おれはこの光景に既視感を覚え、そして師と出会った日を思い出した。

 ならば――おれは竹光を拾い、そして一笑する。

 すると男は首を傾げた。


「あぁ? なにがおかしいんだ、女ァ!」

「いやなに。おれが振るえば竹光も、正宗の名刀も、大差ねえのさ。たとえばこんな風に――」


 おれは道端にあった人の背丈ほどの大岩に近寄り、それ目掛けて竹光を水平に振るう。


 ビキッ――。


 落雷に似た音が鳴り、大岩に横一閃の亀裂が走る。

 おれは岩の上側を蹴飛ばす。


「一刀岩砕も容易い……ってなァ!」


 すると大岩は中腹から真っ二つに割れ、蹴った上半分が地面に落ちて仰々しい音を生んだ。

 あの日、師が見せた極意――おれもついにそれを成し得たのだ。

 喜びのあまり内心で飛び跳ねる。


「て、てて、てめえ! な、ななな、なにもんだぁッ!?」


 満足して振り返れば、男は可哀想なぐらい縮み上がっていた。

 知りたいならば、我が名を教えてやろう。


「おれの名は白井……天真一刀流二代目、白井亨しらいこうだ!」




 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天真を穿つ竹光 ~生意気な女剣客が剣聖に喧嘩を売った結果~ 天野維人 @herbert_a3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ