天真を穿つ竹光 ~生意気な女剣客が剣聖に喧嘩を売った結果~

天野維人

天真を穿つ竹光・前編


 おれの名は、白井しらい こう

 江戸の剣士だ。

 女に生まれた身だが、病で没した父の遺言により幼少から剣を取り、各地を巡って強い剣士達と仕合ってきた。

 そしておれはそのことごとくを打倒し、勝ってきた。

 子供だから、小せえから、女だから――そう馬鹿にする奴らも全てブッ倒し、武者修行の旅を繰り返して剣の道を極め続けた。

 強者を倒すことが、最強の剣士になる道だと信じて。


 ――しかしある日、おれは出会ってしまった。おれの信じた道を一刀両断する者と。


 それは、幕府の将軍サマが十一代目の頃。

 おれが齢二十の頃の話だ。

 お天道様の光を浴びながら甲斐から江戸へ通じる大道をのんびり歩いていると、向いからやって来るおきなに気付いた。

 身なりが良いうえに腰には刀が見える。

 で、いよいよ目前まで来たところで翁は道の脇にある大岩の側で歩を止めた。

 かと思うと、その場にしゃがみ込んで草履ぞうりの紐を直しはじめる。


 カラン――。


 ふとそんな感じの耳心地の良い音が聞こえて、音の方を見やる。

 すると、翁の足元には『竹光たけみつ』が落ちていた。

 続けて翁の腰の鞘に目を向ければ、鯉が口を開けている。

 その竹光が翁の得物だと分かった瞬間、おれは吹き出さずにはいられなかった。


「ぶふっ! なんだよ爺さん、その玩具はっ! 侍の猿真似かぁ? くくっ……」


 そうあざけったのがおれの運の尽きだったと、今では心底思う。

 紐を結び直し、竹光を拾い上げながら、翁はすくっと立ち上がって言った。 


「運が良かったな、小娘」


 妙に出で立ちが凛然としている翁は、苛立ちもせず、逆におれの嘲笑を一蹴しやがった。

 武士崩れの老いぼれ風情が生意気な――と睨むが、翁は意に介さず言葉を続ける。


「儂は気に入らぬ者があると、首を斬り落とす癖がある。故、旅の時は真刀を差さぬのだ」

「へぇ……そりゃおっかねえ。おかげでおれは死なずに済んだって?」


 眉をつり上げてまた嘲ると、今度は翁も小さく鼻で笑った。


「どうだかな。竹光とて、儂が振るえば正宗まさむねの名刀と変わらぬ。たとえばこの様に――」


 翁は近くにあった人の背丈ぐらいの大岩に近寄り、それ目掛けて竹光を振った。

 何をやってんのかと呆れながら見ていたら、次の瞬間、信じられない光景が目に入って来た。


 バギンッ――。


 仰々しい音が聞こえたかと思ったその直後、大岩が、真っ二つに割れたのだ。

 一切歪みのない真っ直ぐの亀裂が大岩を縦断し、左右に分かたれて、地面に転がった。


「一刀岩砕も容易たやすい」


 二つになった大岩を背にして、翁は竹光を素早く鞘に収める。

 おれはひどく混乱した。

 翁が何をしたのか、全く理解出来なかったからだ。

 真刀を用いたとて、一刀の極意を修めた剣士でなければ大岩は斬れない。

 悔しいが、腕に覚えがあるおれでも出来るかどうか怪しい芸当だ。

 だがこの翁はその極意を易々と、それも竹光でやりやがった。

 一流どころか、間違いなく天下無双の剣士だ。


 ――底が知れない。


 おれは眼前にたたずむ翁が恐ろしくなり、心の臓がきゅっと縮む。

 同時に、おれの右手が震え出す。

 だがこれは恐怖で震えているわけではない。

 武者震いだ。


 ――仕合いたい。


 強者を前にして、そう思わずにはいられないのだ。自然と口がにやける。

 おれは左足を少し下げ、鯉口を切る。

 すると翁はすぐに気付いた。


「……何のつもりか、小娘」

「知れたこと! 目の前に強えやつがいれば、斬り合いたくなるのが剣士の性ってもんだ!」

「儂とお主、差が分からぬわけでもあるまい」

「関係ねえ! たとえおれの勝機が閃く光の如くだとしても、おれの『八寸ののぶ曲尺かね』で斬る!」


 八寸の伸曲尺――故剣術『八寸の延金』を再現するなかで編み出した、心剣具象の秘技だ。

 おれの鋭気を刀尖に宿し、本来の刀身からさらに八寸伸ばした心の刃にて、相手の剣気ごと叩き斬る。

 今までこれを受けて立っていた者はいない。

 抜刀、そして刀尖とうせんを翁に向ける。


「構えな! おれはあんたを超えて、天剣を掴むッ!」

「……よかろう」


 ようやくおれの誘いに乗り、翁は再び抜刀する。

 その手に握られているのは、やはり竹光だ。

 真剣勝負ではないことだけは気に食わないが、この千載一遇の機を逃す手はない。


「手前、姓は白井しらい! 名はこう! 我流!」

天真てんしんのおきな。天真一刀流」


 互いに名乗り、そして構える。

 途端、空気がぴんと張り詰めた。

 見えない帳を切り落とせば、あとは互いに剣を交えるだけ。

 神経を研ぎ澄まし、鋭気を刃に纏わせ、仕合開始の合図をさけぶ。


「いざ、尋常に――」


 勝負!




 一流の剣士同士の勝負は、実力が拮抗して泥沼とならない限り、瞬きの間に終わる。

 それはおれと天真翁の勝負も例に漏れなかった。

 得意とする下段からの斬り上げで先手を取り、すかさず袈裟斬りで勝負をつけよう――そう意気込んで足先に力を込めた、その時だった。


 おれは、炎を見た。

 燃え盛る炎だ。

 炎は、翁の刀尖から迸っていた。


 そして炎を目にした瞬間、おれの手足はこわばり、まるで本物の炎にあてられたかの様に、全身からは汗が噴き出した。

 生類が火中に飛び込めない様に、それ以上前に進むことを躊躇ためらわずにはいられなかった。

 それが翁の心剣の具象だと気付いた時にはもう、翁は納刀していた。


しまいだ」

「なにを、言ってやがる……まだ、勝負は……!?」


 足が、動かない!

 腰から下が生まれたての小鹿の様に震えて、一歩も前に進めない。

 それどころか立っているのがやっとで、少しでも気を抜くと膝から崩れ落ちそうだ。


「我が心剣――『道楽どうらく天真てんしん』にて、お主の剣気を断った。もはや動くこともままならんだろう」


 おれは愕然とした。

 おれが渾身の一刀にて成そうとした秘技を、この翁は刀を一振りもせず、一歩も動くことなく、ただの気迫だけで成し得てしまったのだから。

 人間、老いれば剣技が衰える。

 それをこの数年間、相対する剣士達を通じて知った。

 だがこの翁の剣は、これまで仕合ったどの剣士よりも冴えている。


 正真正銘、天下無双の剣豪だ。

 格が違う――そう達観し、おれは倒れないよう、ただ耐えることしか出来なかった。


 けれど同時に、おれは己の口が段々と弧を描くのが分かった。

 最高の師を見つけたからだ。


「教えてくれ爺さん! どうしたら……どうしたら、あんたみたいに強くなれる!?」

「……知ってどうする」

「おれは世に示さなきゃならねえんだ! 剣道には、歳も背丈も性も関係ねえってことを!」


 それがおれの果たすべき夢にして、父の遺言。

 そのために十数年間修行をしてきたのだ。


「先の非礼はびる! だからッ、後生だから教えてくれ! あんたの強さをッ!」


 足が震えるせいで土下座も出来ない。

 だから、辛うじて動く頭だけを垂れる。

 すると翁は少し考える素振りをしてから、はっきりと告げた。


見性けんしょう悟道ごどうのほかなし」

「見性、悟道……?」

「己の本質を見極め、悟りを得て道を開くこと。天真に通ずる剣を成すのが、天真一刀流だ」

「……どうしたら、おれはそれに至ることが出来る?」

「お主がそこに至るには、今の邪道の剣を捨て、一から道を歩き直すしかあるまい」


 翁は踵を返し、そのまま江戸に通ずる道を歩み出す。


「儂に付いて来い。それがお主の新たな道となろう」


 そう言って、翁はゆったりとした歩みで江戸を目指し始めた。


 これがセンセイ――天真翁こと、中西道場筆頭剣士・寺田てらだ宗有むねありとの出会いだった。




 後編へ続く

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