後ろのメリーさん

椰子草 奈那史

03-###-####

「メリーさん」って都市伝説があるじゃないですか。

 電話が何度も掛かってきて、そのたびに「今、●●にいるよ」といった感じで段々と近づいてきて、最後は「今あなたの後ろにいるよ」……でお終い、ていう類の話。


 ですがね、あれは最後振り返っちまうからいわゆるバッドエンドってやつで終わるわけで、もし意地でも振り返らなきゃなんとか乗り切れるんじゃないか、と思ってみたりするわけです。

 というのもね、実は、一度電話が掛かってきたことがあったんですよ。

 そう、メリーさんから俺にです。


 もうアラフィフと呼ばれそうな俺が高校生のときだから、30年以上は前の話になりますがね。

 たまたま両親が不在の夜に、家の電話が鳴ったんです。

 当時は、ナンバーディスプレイなんてものはついてなかったし、電話は鳴ったら取るのが当たり前の時代だったんですが、電話にでたら、小学生みたいな女の子の声で「私メリーさん、今神戸にいるの」って、言うんですよ。

 うちの実家は東京だったんですけどね、関西のほうには知り合いも親戚もいなかったから、なんかの間違いかイタズラだと思いましたね。

 しかも、こっちが何を言ってもオウムみたいに同じことしか言わないから、当然電話を切りましたよ。

 そしたらね。また十数分したら電話が掛かってきて、今度は名古屋にいる、て言うんです。

 で、それも無視して電話を切ったら、やっぱりまた電話が鳴って。

 それからは静岡、横浜、東京……って具合にどんどん近づいてくるから、さすがに気持ち悪くなって、どうしようか考えたんですが、その間も、●●区だ、●●町だ、もうすぐそこまで近づいてきている。

 で、最後にいよいよ言われたわけですよ。


「今、あなたの後ろにいるよ」って。


 流石に肝を冷やしましたが、その時、ふと思いついたんですよ。


 ――ここで振りかえったら、たぶん俺は殺される。だけど、振り返らなければ俺は何も見ないし、何も感じない。つまりは、それは存在しないものであり、存在しないものには俺に危害を加えることは出来ないはずだ!……と。


 まぁ、詭弁ですがね。実際その時は、それで何事もなく生き延びられたわけです。

 そして、その日以来、俺は一度も「振り返る」ことなく生きてきました。

 本当に、一度たりともです。


 学生時代、級友や先輩に話しかけられても、社会人になり上司に呼び止められても、家庭で妻や子供に呼ばれても、振りかえったことはありません。

 後ろから呼びかけられた時にどうするかというと、振り返らずに、身体ごとターンするんです。これはけっこう体に染み込むまで練習しましたよ。

 冗談みたいな話ですが、この解釈はアチラさんにも有効だったらしく、おかげでこうして今も生きながらえてる、ってわけです。


 ですが、人生というのはわからないもので、降ってわいたような新しい病原菌騒ぎで長年勤めた会社は業績が傾き、俺はといえばこの年になってリストラの憂き目に会いました。

 そうなると金の切れ目がなんとやらで、妻と子供には三行半を叩きつけられ、財産分与だなんだと手続きが終わった時には、手元に残った2百万位の金以外は、着の身着のまま放り出されちまいました。

 幸い、親切な大家さんに巡り会い、とある安アパートに転がり込むことが出来ましたが、仕事を探そうにもこんなオヤジにはロクな口もなく、もう探す気力もなくなって、今は細々と無為な日々を送ってるってわけです。

 贅沢しなけりゃ、今の蓄えで1年や2年ぐらいは暮らせるかもしれませんが、それが尽きたら……まあ、そん時はお終いだろうな、なんて考えたりもします。

 今は、ダラダラと日がな一日、量だけは多い安酒を飲みながら、面白いとも思わないテレビを見ながら過ごす毎日です。

 時にはテレビも付けずに、しんとした部屋でひとり酒を飲んでいることもあります。


 そんな時でした。


 気付いてしまったんですよ。

 狭い安アパートのこの部屋の中には、俺以外の誰かがいるということを。


 そいつは、いつも俺の背後にいます。

 しかし、何かをしてくるようなことはありません。

 ただ、いるだけです。

 自分の目で確認すればいいことかもしれませんが、長年染みついた習性で、俺は後ろを振り返ることが出来ません。

 それに、なんとなく俺にはそいつの正体はわかっていたんです。


 そんな日々がしばらく続いた後でした。

 俺は、その日も昼から1人で安酒をあおっていました。

 背後には、相変わらずそいつの気配があります。


「……なぁ、お前、もしかしてメリーさん……なのか?」


 俺は、思いきって、ずっと心の内で考えていたことを口にしました。


 ……。


 何も、応えはありません。


「これはまぁ、独り言だ。……長いこと、無視し続けて悪かったな」


 やはり、何も応えはありません。


「いや、俺も前までは命を取られるのがイヤだったからな、絶対振り返らないように生きてきたんだが……。それも、もうあんまり意味がなくなってきたみたいなんだ」


 それでも、応えはありません。


「散々無視してきといて、こんなこと言うのは勝手なんだが……もし、もし今振り返ったら、俺の命、終わらせてくれるか?」


 その時、俺の首筋にチリッと火に晒されたような感触がしました。


「怒ってるのか?……なあ、俺はもう1人きりで、守るものも何にも持ってないショボいオヤジだ。お前が何ものでもいいし、俺をどうしてもいいから、振り返って、お前に会ってみたい」


 今度は、何も反応がありません。


「それじゃ……振り返るぞ。いいよな?」


 俺は、数十年振りにゆっくりと後を振り返りました。

 視界に入ったのは、真っ赤なコートを身にまとった長い黒髪の女の子でした。

 女の子は、俺の背後1メートルほどの距離に立っています。

 年の頃は小学校の高学年か中学生くらいでしょうか。

 女の子の肌は病的なほどに白く、対照的に唇は口紅でも塗ったかのように鮮やかな赤色を帯びています。

 燃えるような赤みを帯びた瞳が普通の人間とは違うことを窺わせましたが、何か引き込まれるような美しさをたたえていました。


 俺は女の子の方に向いて座り直しました。

 女の子は、俺の前にすっと膝を就くと、表情を変えないまま言いました。


「私、メリーさん」


「知ってるよ。もう30年以上も前からな」

 俺が笑うと、女の子も微かに口角を上げたように見えました。

「どうする? 俺を殺すか?」

 女の子は、小さく首を横に振ります。

 不意に、女の子の腕が俺の胸のあたりに絡みつきました。

「メリーさん、ずっと、待ってたの」

 そのまま、強く抱きついてきます。

「待ってた? いったい何を……」

 困惑する俺に追い討ちをかけるように、女の子は言いました。


「メリーさん、家族が欲しいの」


「家族……って、俺とか?」

 俺は女の子に抱きつかれたまま尋ねました。


「メリーさん、家族が欲しいの」


 女の子は、同じ言葉を繰り返します。

 俺は、女の子の肩を掴んで引き離しました。

「いいか? 俺は職もないしょぼくれたオヤジだ。お前さんを食わしてやることもできないし、俺と家族になんかなってもいいことなんてないぞ」


 しかし、女の子は首を横に振りました。


「メリーさん、ご飯はいらない」


「ええ? それじゃあ、いったい何を――」


 困惑する俺をよそに、女の子は部屋を見渡すと散らかったテーブルの一角を指差しました。


「メリーさん、あれがいい」


 女の子が指差したのは、俺が数日前に近所の店で買い物した時にもらった、クッキーやチョコがいくつか入った小さな袋でした。

「こんなもんでいいのか?」

 俺が袋からクッキーを取り出して渡すと、女の子はそれを両手で持ってかじり始めました。


 不思議なもんです。

 さっきまでは恐ろしく感じられた女の子が、まるで小動物のように無心でお菓子を食べる姿を見ているうちに、何か可愛らしいとさえ思えてきました。

 家族がいなくなり、人恋しさがどこかにあったのかもしれません。

 クッキーを食べ終えると、女の子はニッコリと微笑みました。

「もっと食べるか?」

 今度はチョコを手渡すと、女の子は頷いて再びかじり始めます。


「……いいよ。気に入ったんなら、好きなだけここにいればいい」

 俺がそう言うと、女の子は再び微笑みました。


「メリーさん、一緒にいる」


 そんな感じで、女の子――メリーさんとの暮らしが始まったわけですが、これが思いのほか居心地がいいんですよ。

 メリーさんは、俺と同じで基本なんにもしません。俺が酒を飲んでるときは横に座ってますし、俺がテレビを見てる時は……見てるのか見てないのかはわかりませんが、やっぱり横にいます。

 お菓子をあげれば喜んで食べますが、なくても空腹を訴えることもありません。

 あまり込み入った話しはできませんが、一応は話しかければ答えてくれますし、まあ、1人で鬱々と酒を飲んでるだけだった時に比べれば、ずいぶんと人間らしい生活になったと自分では思ってます。

 前は、酒と食い物が切れた時くらいしか外にはでなかったんですが、今ではこうして時折一緒に散歩にも出るようになりました。

 もっとも、他の人にはメリーさんは見えないみたいなんで、不審者と疑われないように黙って歩きまわるだけなんですがね。


 え? ああ、そうそう。アンタは気づいてくれたんでしたね。

「お代はいらないのでぜひ観させてください。後ろの方も一緒に」なんて言われたもんだから、普段なら絶対に占いなんてやらないのに、つい座っちまった。

 ええと、アンタの名前は何でしたっけ。

 マダ……マダム……。そう、マダムシオリ!

 で、どうですかね、マダムシオリ。

 こんな話だけで占えるもんですか?


 え? なんですか?

「それだけじゃないでしょう」って?

「それだけでは考えられないような強い癒着を感じます」って……。


 何言ってるんですか。

 これ以上は何も話すようなことは……。

 いや、そんなおっかない顔しないでくださいよ。


 …………言います、言いますから。


 たぶん、ひと月くらい前だったと思いますが、その日も俺は朝から飲み続けて、夜になるころには相当酔っぱらっていました。

 その時、ふと横にいるメリーさんを見て、気がついてしまったんです。

 メリーさんは、子どもだと思えばそう見えますが、よくよくみると、胸のあたりは少し膨らんでいるし、腰から下の線も、微かに女特有の丸みを帯びていて――。

 いや、普通だったら、そんな気にはなりませんよ! 誓って言いますが、本当にそんなつもりで一緒に住もうとしたんじゃなかったんです。

 でも、その時は……長い暮らしと、酒のせいもあったかもしれません。

 気がつくと、メリーさんを抱きしめてしまいました。

 メリーさんの首筋からは、微かな甘い香りがしました。

 その瞬間、長らく忘れていた欲情が蘇って来て……俺はメリーさんを畳に横たえさせました。

 メリーさんは、全く抵抗するそぶりを見せません。

 横たわったまま、下からメリーさんが微かに微笑みます。

 俺は、たまらずメリーさんのコートのボタンに手をかけ――。


「あなた、そんなことをしたのですか」って? 

 いや、すみません! ほんとに出来心だったんです。

 でも……でも、これが人間だったら犯罪かもしれませんが、メリーさんは他の人には見ることも出来ないものですよ! 俺をいったい何の罪に問えると言うんですか。


「あなたを罰する法律はありません」?

 ええ、そうですよ! 俺は、俺は何も――。


「でも、あなたとメリーさんの間は、木の根のように縁(えにし)が絡みついていて、断ち切るのは難しいと思います。それは、法で罰せられるよりも、悲惨な結末を迎えるかもしれません」……だって?

 いや、何を言ってるのかわかりませんが、俺は別にこのままでいいんですよ。どうせ先の知れた人生だし、たとえ人でなくても、こんな可愛い女の子と一緒にいられるなら――。


 ……どういうことですか?

「あなたには女の子に見えるのですね」とは。

 何言ってるんですか。じゃあアンタには何が見えてるんですか!?


「私には、年齢を推測するのも難しいくらいの赤いコートを着た老婆が見えます」……?


 俺は、思わず後ろを振り返った。


「メリーさん、家族が欲しいの」


 さっきまでメリーさんだったはずの「それ」は、禍々しい嗤いを浮かべてそこに立っていた。


 終

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後ろのメリーさん 椰子草 奈那史 @yashikusa

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