妻のレシピ
むらもんた
第1話
「よし、これで完成だな」
妻の残してくれたレシピ。
その最後のページに書かれている肉じゃがを作り終えると、懐かしい香りによって、口内に唾液が広がっていった。
食事の時間が不定期になりやすい、物書きである私の為に妻が考案した、冷めても美味しい肉じゃが。
妻の一番の得意料理だった。
レシピの最後に相応しい料理。
料理を盛りつける為、レシピを片付けようとすると、ページの隅に【もう一ページあります】と書かれていることに気が付いた。
『あなたへ
このページを読んでいるということは、レシピに書いてある料理を全て作ったんですね。そして私はもう死んでしまっているんですよね。
あなたの作った料理、食べてみたかったです。
とまぁ、無理なことを言っても仕方ありませんので本題に移りたいと思います。
私が今こうして文章を書いているのはあなたに伝えたいことがあるからです。』
ヨシエのやつ、こんなものを用意していたのか。
『まず、あなたはずっと気にしていましたよね。私達の間に子供ができなかったことを。』
子供好きだった妻は、夢だった保育士として三十六年間職務を全うした。
だが、私達は子を授かることができなかった。
行為がなかったわけではない。
原因は私にあった。
『もちろん子供を欲しくなかったと言えば嘘になるけれど、幼稚園の子供達は本当にみんな可愛くて、そんな子供達と三十六年間も一緒に過ごし、成長をそばで見れたことはとても幸せでした。
子供がいないからこそとれた二人の時間や行けた旅行。それらも私にとって宝物です。
覚えてますか? 京都の渡月橋の近くにある雑貨屋さん。そこであなたが私の誕生日に唯一プレゼントしてくれた、青い花柄の風鈴。
本当に嬉しかったんですよ。あなたそういうことあまりしてくれたことなかったから。』
青い花柄の風鈴。
今も縁側に吊るされ、風が吹く度にチリンと小気味の良い音を鳴らしている。
『それにあなた、小説を書いていると子供みたいに手がかかりましたし、子供がいたらあなたの面倒を見ている余裕なんてなかったかもしれませんね。』
「確かにな」
妻の軽口に思わず頬が緩む。
『もちろん冗談ですよ。あと、あなた。私が余命宣告されてからいつも聞いてきましたよね【私と結婚して幸せだったか?】って。その聞き方が毎回過去形だから、意地悪したくなって答えなかったんですよ。そのかわり【あなたは幸せですか?私と結婚して】って現在形で聞き返していたんです。』
過去形……だから答えてくれなかったのか。
『そうするとあなた【あぁ幸せだよ】と照れながら言ってくれましたよね。誰よりも大切な人が隣で幸せと言ってくれる人生。幸せに決まっているじゃないですか。私もずっと幸せでしたよ。』
「……」
ずっと聞きたかった質問の答え。
『幸せでしたよ』の文字に熱いものが込み上げ、レシピの文字が涙で滲んだ。
『最後にお願いがあります。こっちに来る時、あなたの書いた本を持ってくるのを忘れてしまいました。だからあなたがこっちに来るときに、沢山持ってきてください。出来たら私が読んだことない新しい本も沢山。それを読むのが私の今の楽しみというか夢です。
そうだ、亡くなった妻と書き残したレシピを通じて会話ができるファンタジー小説なんてどうかしら。きっと面白いと思います。よろしくお願いしますね』
まったく。
手がかかるのはどっちだと言うんだ。
私が得意なのは純文学小説であり、ファンタジー小説は得意分野ではないというのに。
とは言えヨシエにそんなことを言われたら叶えない訳にはいかないだろう。
ヨシエの夢。
私の夢。
二人の夢。
まさかこんな歳になって夢を持つことになるなんてな。
すっかり冷めてしまった肉じゃがを、二つの皿に盛り付ける。
仏壇にお供えし、自分の分に箸をつけた。
冷めていても美味しい。
ヨシエの肉じゃが。
「なぁヨシエ。案外美味いもんだろ?」
チリンチリンと風鈴が鳴った。
『そうですね』と言っている気がした。
妻のレシピ むらもんた @muramonta
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
どこか遠くの誰かの君へ/むらもんた
★6 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます