松竹梅
子供の頃、親戚の人たちに名前を聞かれる機会が度々あった。そのたびに決まって大人たちは「あら~縁起がいい兄弟ね」と言いながら俺らの頭をなでた。
他にも、正月には縁起がいいからといった理由で名前も知らない近所のおじさんやおばさんからお年玉をもらうことがたくさんあった。それもあって小学校までは誰も気にせず、ただ三人でいれば大人たちから好かれることに喜んでいた。
中学生になっても変わらず三人でよく遊んだ。俺らが三人で遊ぶときは毎回兄の松(しょう)輝(き)が言い出しっぺだった。
その夏の日は学校も終わり、外で火照った体を冷やすべく、家で俺と小梅はリビングのエアコンで涼んでいた。
そこに松兄がバタバタと帰ってくると、スクールバッグをテーブル横に放り投げて、目を輝かせながら言った。
「おい! 竹(たけ)広(ひろ)! 小梅(こうめ)! 外に来いよ!」
本人はめちゃくちゃ汗だくでカッターシャツも透けていた。外で運動でもしてたのだろうか。
「えー、こんな暑いのになんでわざわざ……」
「松兄また楽しいこと思いついたの?」
小梅はまんざらでもないといった表情だ。昔は松兄は俺だけを遊びに誘っていたが、一人だけ仲間外れなのを嫌って小梅が「私も行く!」と言って以降、小梅は俺らについてくるようになった。そして気づけば三人で遊ぶのが当たり前になっていた。
「おう! そりゃもう夏に最高の遊びだ」
「もう、仕方ないなー。ほら竹兄も行くでしょ?」
「わかったよ……」
俺は小梅に手を引かれて渋々立ち上がった。
外に出るとすぐに酷暑が生み出した温風がねっとりと体に巻き付いてきた。けれど今日のような猛暑日はこれだけでは許してくれない。
今度は上から太陽がうっとうしいくらいに自己主張を強めてきた。これで雲があればまだ幾分かマシだったのだろうが生憎今日は雲一つない快晴だった。
「で、どこに行くのさ松兄」
「いい質問だ竹広! それは行ってからのお楽しみだ」
「わかった! 市民プール!」
松兄の話を無視して小梅が元気に言った。
「不正解! 小梅行ってからのお楽しみって言ったろ~?」
「ちぇっ」
隣で小梅が不服そうに口をとんがらせている。
その後俺たちは言われるまま竹兄に付いていくと、いつも通学路で通りかかる公園に着いた。
ここは、塗装が剥げていてところどころ錆びついてる一台の滑り台だけが、この場を公園として成り立たせている。こんなところで一体何をする気だろう、これで今から鬼ごっこするとか言い出したら速攻で帰ろう。
「こっちだ!」
松兄は公園端にある水道蛇口の方に走って行くと、こちらに手を振った。
松兄の方に駆け寄ると蛇口の下に水色のバケツが置かれており、中には赤青緑黄ピンクといったカラフルな水風船がぎっしり敷き詰められていた。
「じゃあ、今から水風船合戦だ! ルールは簡単! 先に多くぶつけた奴の勝ちな!」
「ちょっ、まってよ松兄。俺ら今制服だし、そもそも濡れて帰ったら母さんに叱られちゃうよ」
「スキあり!」
パシャッと音を立て背中に軽い衝撃が走った。そしてナメクジの歩行のようにじわじわと水が背中を伝っていく。松兄は今俺の目の前にいる。犯人はもう一人しかいない。
「あははっ」
「小梅~っ!」
俺は後先考えずに、すぐさまバケツから青色の水風船を手に取って反撃した。これによって水風船合戦の火蓋が切られた。
あとはもうやりたい放題。松兄が「二刀流!」とかいいながら水風船を二つ持ちしだしたけど、両方いっぺんに投げるから全然当たってなかった。俺はできるだけ被弾を抑えようと滑り台を上手く遮蔽物にしていたけど、最後には小梅がバケツに直接水を注いでぶっかけてきたので全身もれなく濡れた。
なんだかんだで三人ともずぶ濡れになった後はみんなで笑いあった。
帰る頃には、日が落ちかけていて西から綺麗な黄金色の夕焼けが俺らを照らしていた。
中学二年なると漢詩の授業があった。そこでようやく松竹梅が登場して、俺は子供の頃に大人たちに可愛がられていた理由を知った。
その授業から数日間は同級生からからかわれたりもしたが、特に関係は変わることなく仲の良い兄妹だったと思う。
むしろ関係が明確に変わったのは松兄が一足先に高校生になってからだった。それまでは兄妹で遊ぶことが多かったが、高校になると松兄は友達と遊ぶようになった。
俺は松兄が小学校から中学校に最初にあがった時だって変わらなかったのだから、今回も大丈夫と、心のどこかで思っていた。
けれど小学校との距離が近く、ほぼ全員が顔見知りの中学校とはわけが違った。
高校はほとんどが知らない人で構成され、家から歩きで行ける距離ではなくなったため電車通いになった。松兄はその環境に適応すべく変わらざるを得なかった。
兄妹の舵取りがいなくなり、俺と小梅は同じ中学に在籍していたものの、前のように交わることはなくなった。
俺たちは松兄をきっかけにそれぞれ大人の階段を上った。
一年後、俺は松輝と同じ高校に入学し、その翌年に小梅は都会に一番近い女子高に行った。
俺が小梅の気持ちを知ったのは高校二年の十二月、その年は暖冬と言われるくらい冬には似つかわしくない気温が続いていた。
「なんでわかんないの⁉」
いつも通り学校から帰るとリビングから小梅の普段決して聞くことのないような荒々しい怒号が耳に入ってきた。
「そんなのわかるわけないだろ!」
間髪を入れずに松輝の怒鳴り声も聞こえてきた、俺は一体何事かとリビングに駆け足で向かった。
「どうした二人とも、何があった?」
リビングに着くと小梅と松輝がテレビの前でお互い睨み合っていた。松輝のほうは明らかに怒り絶頂と言った感じで顔を真っ赤にしていた。一方、小梅の方は涙を滲ませていながらもなんとか堪えている様子だったが、容量の限界を迎えた涙が一粒、頬を伝うとあらしのように二階に駆け上がっていった。
その一瞬、走り去る小梅の横顔から右耳にビーズくらいの小さなピンクのピアスが付けられていることに気づいた。
この場合、松輝に話を聞いたほうがよかったのかもしれないがピアスのこともあって、俺は迷わず小梅を追いかけた。
「小梅、入るぞ」
小梅の部屋をノックする、返事はない。俺は構わずにドアを開けると、小梅が布団にうつ伏せの形で泣いているのが目に入った。小梅がベッドに飛び込んだ影響だろうか、普段はベッド脇に立てかけてあっただろう茶色のアライグマのぬいぐるみも倒れていた。
俺は小梅のそばに行きベッドに腰を掛けた。
「小梅、そのピアスどうしたんだ?」
俺は叱ってると受け取られないようにできるだけ声を和らげて言った。
先ほどの一階とは打って変わり、二階は静寂に包まれている。
部屋は小梅の鼻水をすする音が響き渡っていたが、その音よりもずっと静かにカチッカチッと壁掛け時計の秒針の音が鳴っていることに気づいた。
それからしばらくして小梅は涙を出し切ると今度は絞り出すように話し始めた。
「……私はただ……松兄に可愛いって言ってもらいたくて……」
聞いた話を整理すると、小梅は初め、松輝に高校に上がった途端に相手にされなくなったことに嫉妬していたらしい。
小梅はその気持ちが募って松輝を振り向かせようとどんどん躍起になっていくうちに異性として好きにった。
ピアスはその過程で同じ女子高の友達に相談した時に「年上の男の人に好かれるには、自分もその人に見合うくらい大人になればいい」とアドバイスをもらって、自分なりに考えた結果だったというのが話の全容だった。
俺は小梅の話を肯定も否定もできなかった。本当は兄らしく正しい方向に導いてやるべきだったのかもしれない。けれど、俺の思う『正しい』は小梅の気持ちをないがしろにしてまでするべきことだろうか。
それは世間一般の兄妹はこうあるべきという認識に基づいた俺のエゴではないのか。
結局俺は話を聞いてやる以外に小梅にしてやれることが思いつかなかった。
そして最後、小梅は改めてきっぱりと言った。
「私、松兄のことが好きなの」
翌朝、冬は今まで我慢していた分を吐き出すかのようにこちらに寒波を寄越した。
あれから三年が経過した。松輝は高校卒業後、営業職に就くと同時に一人暮らしを始めた。最初こそ、家が恋しいなど言いながら頻繁に連絡を取っていたものの、半年も経つころには松輝からのメッセージは必要最低限のものに限るようになっていた。
小梅はといえばあの日以降、想いと比例して行動もさらに活発になっていった。
「ねぇ、竹兄! イエベ、ブルべって知ってる?」
「聞いてよ竹兄! 松兄って家庭的な人が好きらしいよ!」
「竹兄! 私卒業したら料理の専門学校に行く! それで松兄の胃袋をつかむんだ~!」
小梅は宣言通り今年の四月に料理の専門学校に入学した。
その一か月後だった。俺らの元に松輝から結婚すると連絡が届いた。
当日は雨の予報だったが、松輝たちの結婚を祝してか天気は見事に晴れた。
式のゲストは五十人を超えていた。俺の顔見知りなんてほんの数人、ほとんどが同僚や友達だろう。
次のプログラムはフラワーシャワーだが、俺の隣に佇む小梅だけ花びらとは違うものを手に握っていた。
式場から松輝と相手の女性が出てくると、辺りは一瞬にして黄色い歓声で埋め尽くされた。小梅はその歓声の渦をかき分けるように進み、松輝の目の前にまで行き着くと思いっきりクラッカーをぶちかました。
きっとみんなサプライズだと思ったのだろう、歓声に加わり笑い声がどっと湧いた。けれど俺は知っている。あれは小梅のささやかな仕返しなのだ。
この場にいる俺だけが新郎新婦ではなく小梅に目を向けていた。
小梅の恋が成就すると本気で思っていたわけではない。だけどあの日から松輝のためにと努力していた小梅を見ていた俺はもしかしたら、なんて勝手な願いを持つようになってしまっていた。
その後人混みから抜けて一人、式場から離れる小梅が目に入ったので後を追うと、小梅は
一人式場から離れた場所にある生い茂った草木と水道蛇口だけの簡素な広場で顔を洗っていた。
「竹兄、私……ちゃんと笑えてた?」
今の小梅に気の利いた言葉を掛けたりすることはできなかった、そんな言葉で小梅は報われないからだ。
結局俺は最後まで、何も言ってやれなかった。
流しきれなかった想いに同情するかのように降り出した雨が俺と小梅を打ち付けた。
物語を書く練習<短編> あくばね @akubane
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