第6話

 愛梨は翌朝もいつもと同じように起きて、いつもと同じように食事をし、いつもと同じように登校した。


 しかし教室はいつもとは違っていた。ざわざわと騒がしく落ち着きがない。いつもいるはずの鞠子の姿がない。愛梨は近くにいた女生徒をつかまえた。


「鞠子、どうしたの?」


 聞いた相手の女生徒は、涙混じりで答える。


「昨日の夜……、公園で……、変質者に襲われて……、殺されて……」


 愛梨の隣の席には、花瓶に花が活けられていた。


 教室の後ろのドアから真弥の姿が去るのが見えた。


 廊下を走って真弥を追いかける。肩を掴んで振り向かせた真弥の顔は、土色をしていた。


「鞠子が……」


「そうよ、鞠子が死んだのよ」


「昨日公園で待っていたんだ、きっとその時だ」


「そうね。あんたが鞠子を放っておいたから鞠子は殺されたのね」


「僕……が? だって昨日は愛梨ちゃんに呼び出されて」


「私のせいだって言うの? 冗談じゃないわ。あなたのせいよ。あんたは断ることだって出来たはずなのよ。全てを捨てて鞠子のところに行くことも出来たはずよ。でもあんたはそれをしなかったじゃない。あんたが選択した結果、鞠子が死んだんじゃない。全部あなたのせいよ。あなたがわたしのところに来ずに、鞠子のところに行っていれば、彼女は死なずにすんだのよ」


「僕が……殺したのか……?」


「そうよ」


 愛梨は断定した。全く根拠のない論理だが、愛梨は断定した。


 真弥の瞳孔が開き、膝から崩れ落ちる。


「———————————————--っ!」


 言葉にならない叫び声を上げた。


 その姿を前に愛梨は視線を落す。だがそれは表情を隠すためだ。愛梨は母親が死んだ時と同じ表情をしていた。


「ただいま」


 アパートの部屋のドアを閉めて、靴を脱ぐ。愛梨はいつものようにカーテンを閉めて、部屋の照明を点けた。


「イリア? いる?」


 しかし返事はなかった。イリアが外出するなんてことはありえない。どうして返事がないのだろう。


 ふとプリンタに目が留まる。真弥が印刷した最後の一枚が入っていた。


 アリスが結婚して十年が経ちました。アリスはすべてを手に入れました。それはもう、この上なく満足でした。


 しかしアリスは、結婚してからというもの、鉢植えにお茶を注ぐことをやめてしまいました。やがて鉢植えのアザミは枯れてしまい、庭師の手によって土に返されました。もう魔法使いのカラスに出会うことはありませんでした。


 だけどアリスはカラスの力なんか必要ないと思っていました。欲しいものはすべて手に入れてしまったからです。財産も地位も、何より幼い頃の辛苦の元凶に復讐ができたのですから。


 アリスはその後も幸せに暮らしました。さて、アリスは本当に幸せになれたのでしょうか。何もかも手に入れて、本当に幸せになったのでしょうか。それは誰にも分かりません。


 イリアに始めて出会った時のことが思い出される。あの日イリアはこう言った。


「憎しみの心を忘れてはいけないわ。あなたの憎しみが私の力になるの。憎しみを持つ限り、復讐を渇望する限り、私はあなたを守り続けるから」


 今はもう、イリアはいない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤い目の影が笑う 木本雅彦 @kmtmshk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ