第4話 ぬくもり
真っ白になった
「死なせるために、からだを与えたのか?」
「あんまりだ……」
涙が頬を伝って、ぽたりと
いいや、彼にひどい仕打ちをしたのはおれのほうだ。この
風が強くなってきている。ぬれた頬が冷え、ひりひりと痛んだ。しきりに
――面倒ごとですのに。
――なあに。
おれは顔を上げた。
かすかに、花の香りがする。
あたりを見渡しても
――ああ、ようやく聞こえたようだ。
櫛を胸ポケットにしまい、立ち上がった。
――おぬし、名は?
「名、前?」
――そうだ。おぬしの
低い男声が、あまい香りと共にからだの中に流れ込んでくる。自分の意思では止められない。
「
――
強い風が吹いたとき、おれはついに、目を開けていられなくなった。
空が不思議な色をしている。
太陽が地平線にかかるときにだけ見られる、穏やかな薄い紫色が広がっている。
「起きたか」
おれは声のしたほうへ身をよじり、からだを起こそうと
「
緑色の
ふわりと、またあのあまい花の香りが
「ここは、なんだ?」
目を
二本の見事な梅の木の奥にはやはり
「こちらに呼ばぬことには、おぬし、われらを感じとることすらかなわぬ」
低く
「いのちを
「
「いかにも」
「なぜ、おれを?」
「そうだなあ、おぬしと話してみたかったのさ」
彼はてのひらの中で、透明なガラス玉を
「あの
「――まさか、それは」
(あいつだ。捕まってるのか?)
白い煙はたしかに意志をもって、ぐるぐると回りながら抜け出る方法を探している――ように見えた。じっと見ていると、ガラス玉は男の装束の中に隠されてしまった。
「できるとも。だが
「おれのいのちと、引き換えに?」
腰を反らせ、
「ひとの子のいのちなど腹の足しにもならぬよ。そうさなあ、まずは……」
とん、と砂の地面を蹴り、男はふわりと浮き上がった。そしておれの前にゆっくりと降り立ち、そのまま
「おぬしの生きざま、見せてみよ」
「なっ……!」
ずぶずぶと音を立て、男の指が入り込んでくる。皮膚を、骨を越え、脳の奥を
「気質は
「やめ……ろ」
「十二のころからずっと
つぽんと音を立て、
「おぬしの
「その
「そんなものはいくらでも」
差し出したところで、またいつものように練習すればいいだけだ。
「
「おれの、人格」
口に出すと、
「そうとも言えるかもしれぬ。――覚悟はあるか?」
一度それらを差し出したあとまた弓を取ったとしても、得られるものはきっと違う。目に映るものをどう感じるかも変わるだろう。いいや、もしかしたらおれは、おれでなくなるかもしれない。
「いえ……」
「やはり惜しいか、当然だ」
「あの
「おぬしはそれでよいのか?」
「はい。おれのエゴで、悲しませてしまったから」
背筋を伸ばして上体を折り、深く頭を下げた。
そして顔を上げ、
彼はどこかもの悲しげに微笑んだ。
「
流れるような仕草で
くるくると回りながら薄紫の空を写しとったガラス玉は地に落ち、やがて砂が風に流れるように消えていった。
自由になった白い煙が、細く長く、立ち
(今度こそ、ばあちゃんのところへ行け)
煙を目で追う気にはならなかった。
下を向いて
「よほど、
顔を上げた。
白い煙がおれの目の前に
「この
おれは膝立ちになり、両手を伸ばした。
「『紅でも白でも、花がなくとも、そこに
「かつて貰ったことばへ、ささやかな礼をするとしよう」
風が吹いた。無数の
「名は
ゆるくうねる真珠色の長い髪、
「
考えるよりも先に、おれの腕は彼を抱き寄せていた。
「この
彼――
とたんに白い花びらがおれたちのまわりに舞い上がり、視界を
「
「
名を呼ばれて、はっと目を開いた。
おれは
肩のあたりにふわふわと浮いている
彼はもう
「おまえ――
「
「ありがとうな」
胸ポケットの上から
「いいんだ。
「うん」
「
「
胸のあたりに回された
「
背中に
おれは見事な枝振りの
「帰ろう、
梅の花が、かすかに香った。
〈完〉
象牙の櫛の付喪神 戸谷真子 @totanimako
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