象牙の櫛の付喪神
戸谷真子
第1話 寝ずの番
「もう少しはやく、会いたかったなあ……」
真珠のように光沢のある白い髪がその頬にかかったとき、同じ色をした長い睫毛が伏せられていった。涙がなだらかな頬を伝ってゆき、
祖母の
けれど現れたのは作り物のようにきれいな男の姿だった。男はごく薄い灰色に染められた中華風の着物の上に、ひらひらとした丈の長い白い羽織を
不思議と、怖いとか逃げだしたいとか、そういう風には思わなかった。目の前の男が泣いていたから。
やがて男は顔をあげて、こじんまりとした花祭壇を振り返った。真ん中には、控えめに微笑む祖母の遺影がある。
「ばあちゃんを、天国に連れて行ってくれるのか?」
おれがそう言うと、男はゆるりとこちらに向き直った。
「驚いた。
「名前を?」
「知っているよ。おまえは、この
「それくらいしか、できないから」
学ランの襟元をくつろげ、パイプ椅子に深く腰かける。椅子の軋みが狭いホールに響いた。
「
「あんたは、ばあちゃんの、なに? ――守護霊? ってやつ?」
浮き上がり、男は
「おれは
祖母がとても大切にしていたものだ。目尻の上がった男の目にはあの
「この国のかみさまは、百年のあいだ大切にされてきた道具にいのちをくださる。おれは
「それでも、会いにきてくれたのか」
「うん。
霊的なものは信じていなかった。十八年間見たことがなかったからだ。でも、いま目の前には人間離れしたこの美しい男がいる。
「ありがとう、来てくれて」
幽霊でも精霊でもかみさまでも、なんだっていい。男が祖母の友人であることには違いない。
「
「頼み?」
「この身を
男はおれの前に膝を折り、
「うちは土葬じゃないぞ。そんなことしたら、あんた、燃えてしまう」
「わかっている。でも、
差し出された
その歯はひとつも欠けていない。
「ばあちゃんはあんたを大切にしていた。燃やせばきっと、おれは
「
「あんたみたいなのがいるんだ、ないとは言いきれないだろ」
神妙な顔をして、男は黙り込んでしまった。
「おれはいま、なにもかもどうでもいいと思ってる。こころにぽっかり穴が空いた感じってこういうことなんだろうな。でも、だからって自分の手でいのちを奪うのはごめんだ。……」
「すまない、泣かないでくれ」
男の長い指先が頬に触れる――。
しかし予想に反して、それはおれの顔をすり抜けていった。
「
男はてのひらを見つめ、不思議そうにそう零した。
「そうか……」
「これはあんたの
香炉の灰に線香を立てる、その様子を男は食い入るように見ていた。やがて彼はゆるりと立ち上がり、ひとこと祖母の名前を呼んで、
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