戦乙女と雀蜂
悠井すみれ
戦乙女と雀蜂
私たちのことを戦乙女、なんて呼ぶのは少々悪趣味なネーミングだと思う。戦乙女。北欧神話で言うところのワルキューレ。天馬や白鳥の翼で空を駆け、戦場に降り立って勇敢な戦士の魂を死者の
私たちは確かに戦場に降り立つけれど、美しい白い翼によってではなく、不格好な防護服に身を包んで死体と瓦礫の積み重なる大地を這うだけだ。
姉妹たちが戦場から還ってくる。暗黒の宇宙を背景に、透明な樹脂の翅を輝かせて羽ばたくその姿こそ、戦乙女の名に相応しいのだろうに、彼女たちはもっと情緒なく単純に
微かな翅の駆動音と共に雀蜂たちが「巣」のゲートを潜ると、センサーが反応して種々のデータを私たち戦乙女の手元に表示させる。帰還率は、損耗率は。メンテナンス次第で戦列に戻れる者、破棄するしかない者。母星たる地球に整理したデータを送れば、人間たちが分析と研究を重ねた上で新たな妹たちが冷凍された胚の形で届けられるだろう。大方は「巣」を統括するAIユグドラシルが処理してくれるけれど、私たちも暇ではいられない。戦乙女は神の使いであって、AIを通して創造主たる人間に仕えるパーツなのだから。雀蜂たちもそれは同様で、あるいは意気揚々と翅を羽ばたかせて、あるいは破損した翅や手足を補い合って支え合いながら、黙々と
でも、何事にも例外と言うものはある。一体の雀蜂が、ゲート脇でモニターを見つめる私に近付いてきて、ホバリングしながら話しかけてくる。
「ただいま。今日も帰ったよ」
「おかえりなさい。早く医療槽に入りなさい」
「お喋りしようよ。褒めてくれないの?」
間近で唸り続ける翅の音が耳障りで、私は仕方なく顔を上げる。と、予想した通りの顔が得意げに微笑んでいた。フェイスシールドを上げた「彼女」の頬は白く滑らかで傷一つない。今日も激しい戦闘だったのだろうに、翅にも四肢にも同じく損傷はないようだ。話をしたがる姉妹というのは非常に珍しく、かつ面倒なものだ。でも、無傷での生還が称賛に値するのは、残念ながら間違いない。
「……素晴らしい生存歴ね。貴女のデータは後進の制作にも大いに役立つでしょう」
「そうじゃなくて。あんたの言葉で、あんたの目線で褒めてよ。私、姉妹を沢山助けたんだよ?」
答えに納得しなかったのか、その規格外の雀蜂は私の周りをぶんぶんと飛び回った。人間と異なる私の目が回ってしまう、なんてことはないけれど、翅の煌めきと彼女のふくれっ面の残像は少々作業の邪魔だった。
「貴女以外の姉妹はどれもあまり区別がつかないわ」
「私にとってはあんたは特別。姉さんはもう誰もいないし、妹じゃないのはあんただけ。あんたにとっては違うの?」
真か偽かで言うのなら、彼女は確かに特別だった。似たような顔、似たような性能の姉妹たちの中で、唯一見分けがつく相手なのだから。でも、それを正直に伝えるのは何か面白くなかった。パーツとしてあるべき私には、これも例外の、特別なことではあるのだけど──はぐらかしたいと、思ってしまう。
「私たちが雀蜂より長持ちするのは当然のこと。姉だろうと妹だろうと見送るのは慣れたものよ」
「私とあんたは生まれる前から一緒にいるんだよ? ねえ、いつか私が
「貴女のチップを回収するのが私とは限らない。それに、私たちに楽園なんてないわ」
「ふうん、そう!」
彼女は唇を尖らせると、姉妹たちの──いや、姉はいないというから妹たちの──間をでたらめな軌跡を描いて飛び去った。若い雀蜂たちが驚きや不満を表情に浮かべたのも一瞬のこと、彼女たちは大人しく医療槽に飛び込んでいく。戦闘のために作られた人形である彼女たちは、本来はそうあるべきなのだ。
長い争いの歴史の果てに、人類は人の命は何より重いという結論に達したそうだ。だから、思想や利害の不一致があるからといって安易に殺めてはならないのだ、と。理念だけなら何百年も前からあったかもしれないけれど、人類を挙げての同意に至ったのはごく最近のことだとか。それは、対話による譲歩や歩み寄りにも限度があるから。だから、人類には戦争以外の形での決着が必要だった。
そうして作られたのが、雀蜂だ。翅を装着しての飛行に耐える筋肉と三半規管。軽量化のために骨の成分は人とは異なるものに置換されているし、幾つかの内臓も省かれている。レーダーによって受け取った情報を瞬時に認識して行動に移せる思考力と反射神経。皮膚も、多少の衝撃や被弾で行動不能になることがないように強化が施されている。雀蜂たちの肉体のパーツの六〇%以上はホモ・サピエンスのそれとは違う──つまり、人間に似た姿をしているけれど、彼女たちは人間ではない。だから、虚空に築き上げた戦場で殺し合いをさせても良い、ということになった、らしい。遥かな──物理的な距離以上に、私が決して訪ねることはないという意味で──地球で決まったことだから、私には確かめようがない。
帰還できた雀蜂たちが全員医療槽に入ったのを見届けると、私たち戦乙女は防護服を纏って「巣」の外に出る。帰還できなかった姉妹たちの魂を迎えに行くのだ。もちろん、比喩的な意味で、だけど。
火星と木星の間の小惑星帯からでは、地球の青さなど確かめるべくもない。宇宙に輝く稀有なる宝石も、凡百の星に紛れてしまって。ただ、私たちの創造主は虚空の彼方でこの戦場を眺めているはずだ。雀蜂たちがどのようにぶつかり合って殺し合って、それぞれの群れや「巣」を削り合うのかを。雀蜂の群れは各国が派遣した選抜チームのようなもの。他国のチームと戦って、その結果によってもろもろの紛争の裁定が下される。雀蜂の群れをいかに強化するかには、とりもなおさずその国の技術力や財力、発想力が現れることでもあるし、見た目は少女のように可憐な姿の雀蜂たちが戦う映像は人間には興味深く映るらしい。戦争というより、もはや競技や遊戯と呼んだ方が適切なのかもしれない。とにかく、人命の犠牲は出ないのだから平和かつ文明的な「戦争」だ。
探索棒の表示に従って、私たちは堕ちた姉妹たちの残骸を探す。頭部が無事なものを見つけたら、頚部に組み込まれた記録チップを回収する。彼女たちの戦闘データは地球に送られて、これもまた次のロットの妹たちを作るための参考にされるし、娯楽用の映像データの素材にもなる。姉妹たちの生身のパーツは、この小惑星上に辛うじて根付いたバクテリアによってやがて分解されるけれど、機械のパーツは朽ちることなく少しずつ降り積もっていく。砕けた翅の欠片は輝く雪にも少し似て、あるいは幻想的な光景なのかもしれない。私にはそのような情緒は組み込まれていないはずなのだけど。
雀蜂たちを姉妹と呼ぶからには、私も純正の人間ではない。酸素も薄い酷寒の世界で、最小限の栄養と休息で活動できるように作られた人形──クローンだ。当初は雀蜂たちや「巣」のメンテナンス、データ処理と言った作業は機械に任せられていたそうだけれど、やはり人間──に限りなく近い存在──の手や頭脳の方が何かと融通が利くと判断されたらしい。恐らくは雀蜂たちとも遺伝的なモデルを共通に持つのだろう、私たちの造作は皆、どこか似ている。雀蜂も戦乙女も全て女性を模しているのは、雌だけで構成された実際の働き蜂や働き蟻の群れを真似たのだろうか。セックスの違いによる体格や気質の違いも検討しているのだろうし、技術的に
「誰も笑ってないわ……泣いてもいない……」
発見した姉妹たちで、顔が判別できる者たちが浮かべている表情は、一様に驚きだった。軽く目を瞠ったり、口を開けたりして。最期の瞬間まで、自分に墜落の運命が降りかかるとは思ってもいないのだ。恐れることを知らず、痛覚も感情も鈍い。それが、創造主が設計したところの雀蜂だった。特定の個体を気に掛けたりしない。守れたことを誇りもしない。そんな余計なことは、教えられていない。
あの規格外の彼女、私と同じロットでこの星に送られた彼女は、一種のバグなのだろう。何かきっかけがあったという訳ではなく、彼女は最初から「ああ」だったから。姉にも妹にも、私にも。にこやかに朗らかに話しかけて笑いかけて、年長の戦乙女に窘められていたものだった。雀蜂に相応しいであろう好戦性や楽観性、協調性といった性質が、創造主の意図しない形で発現したのかもしれない。そんな彼女が不良品として脱落するのではなく、姉妹の誰よりも長く生き延びているのも不思議なことだ。
でも、きっとそう長くは続かない。
またひとつ、半身を喪った雀蜂から記憶チップを回収しながら、私は思う。戦闘に出ない戦乙女はまだしも、雀蜂は長く生きることを想定して作られていない。彼女の皮膚も筋肉も神経も、度重なる戦闘を経て摩耗しているはず。一方で、「敵」も次々と新しいロットを戦場に投入してくる。彼女がいかに経験豊富で優れた兵士だとしても、新兵に後れを取る日は、きっと遠からず来るだろう。
「私たちには楽園なんてないの」
それは人間が考えたもので、人間の魂が憩うところだ。作り物の魂に、居場所なんてあるはずがない。
わざわざ口に出して呟くことさえ、感情を抑制された私にとっては異常なロマンティシズムのはずだった。バグがバグを誘発するのだとしたら、憂うべき事態だ。姉たちを見送っては妹たちを迎え入れ、その魂──記憶を回収して地球へと送る。そして雀蜂たちよりは多少、長い一定期間の後に「巣」から廃棄されて朽ち果てる。それが戦乙女とも呼ばれるクローンの生涯であって、何ら疑問や感傷や感慨を挟む余地などないというのに。
「巣」に戻った後、私はベッドに向かう前に医療槽が並ぶ一角に足を向けてみた。限られた空間を最大限に活用すべく、胎児のように身体を丸めた雀蜂たちが上下左右の一面に並ぶ様は、本物の蜂の巣で幼虫や蛹が育てられるのと似ているのかもしれない。虫と同じくらいに無個性なはずの姉妹たちの中、でも、私はどういう訳か「彼女」を見分けることができてしまった。目を閉じて薬液に浮かぶ彼女たちは、休息と回復のためにあらゆる感覚を遮断されている。「彼女」が私を見つけて微笑むことも、おしゃべりで煩わせてくることもないのに。
「彼女」が私にとって「特別」だということは、認めざるを得ないのかもしれない。
「彼女」が私に話しかけるのは、帰還の時だけではない。出陣の時もまた、あの翅音が私の耳元で唸る。歴戦の兵士である彼女は翅の動かし方も他の姉妹とは違うのだろうか。音がしただけで、声を聞かずとも彼女だと分かってしまう。
「行ってくるね。激励してよ。頑張って、って。言ってくれたら頑張れるから」
「…………」
例によって私からの言葉をねだる彼女に、私は視線だけで答える。姉妹たち全員の健闘を祈るとか、「巣」全体としての勝利を願うとか。彼女の意図とずれた答えをしてやろうか、という考えが頭を過ぎらないでもなかったけれど、わざわざ口に出すのもおかしなことだからだ。私なんかがあえて言わずとも、姉妹たちは死を顧みずに戦うし、勝利は至上の命令として、あるいは本能として彼女たちの脳に刻まれている。私の激励によって戦意が左右されるとしたら由々しき事態であって、だから彼女も本気で言っている訳ではないはずだ。
「──またね!」
ほら、その証拠に彼女はぶんと音高く翅を震わせると、虚空に飛び立っていった。より若く、従ってより高性能なはずの妹たちを抜き去って。彼女はまた妹たちを守って戦うのだろうと、飛ぶことのできない私は思う。彼女の方が、やはり戦乙女の呼び名に相応しい。──帰還した時は、褒めてやっても良いだろうか。はしゃいだ翅が唸る音は、鬱陶しそうだから止めておこうか。
でも、今日の戦況は芳しくないようだった。「巣」を統括するAIユグドラシルと同期した私の「目」には、活動できている姉妹たちが赤い輝点として見えている。姉妹たちの生命を表すその輝きが、今は次々と減っている。敵の兵士蜂を示す黒点に、食い荒らされていくかのように。
帰還命令。「巣」の防衛を優先。陣形の指定。医療槽に薬液を満たす。負傷者には脱落者のパーツを流用させて対応。治療中の姉妹たちに出動命令を。AIの指令に答えるのに忙しくて、私には反応しなくなった姉妹たちの個体情報を参照する余裕がない。消えた輝点の中に、「彼女」が含まれているのかどうか。最重要の命題は群れの維持であって、個体の生存は問題にならないはずなのに。目と声と指を最大限に酷使しながら、どうして私の脳は余計なことを考える余裕があるのだろう。
大体、わざわざ調べるまでもなく「彼女」の無事はおのずと分かるのだ。私がやっとそう気づいたのは、帰還する姉妹たちがゲートを潜るのを迎える時になってからだった。被害は大きく、無傷の雀蜂はほぼいない。ほとんどの者が寄り添って支え合ってようやく浮遊しているような有り様だ。創造主たちの陣営は、この結果によって何かしら不利益を被るのかもしれない。でも、「巣」の陥落は免れた。当分は雀蜂の群れの再編に注力して、新しいロットの到着も待たなければならないだろう。医療槽もフル稼働しなければ。パーツや装備の補充も必要だ。未帰還者が出た分、浮いた物資もあるから──そんなことを考えているうちに、あの翅音が近づいてくるのだろう。私の任務は戦闘が終わってからがむしろ本番で、だからおしゃべりに興じる暇などないというのに。今日は大変だった、危ない場面がこれだけあったと、ぺらぺらと話しかけてくるのだろう。いつ作業を中断させられるのかと、私はそわそわしながら待っていた。
でも、全ての姉妹たちは黙然とゲートを通り過ぎ、大人しく医療槽に向かって行った。戦闘のために作られた雀蜂たちの、あるべき姿だ。規格外の言動で私を呆れさせる者は、ただの一体としていなかった。というか、そんなことをするのは「彼女」だけだ。さすがの彼女も無駄口を叩く余裕もないほど損耗していたのだろうか。だから、気付かなかった? あり得ない。彼女が私を見逃すことも、私が彼女を見落とすことも。
防護服を纏って戦場跡へと出発しながら、私の腹の中にもやもやと何かしらの感情がわだかまっていた。この感情の名を求めて私に与えられた語彙を参照すれば、近いものは苛立ち、だろうか。そう、私は彼女に対して苛立っている。近くにいてもいなくても、私の気を散らせるなんて。あの翅音が聞こえると煩わしいと思うのに、死が満ちた荒野の静寂の中では、あの音が聞こえないか耳を澄ませてしまうなんて。
冷静に考えれば、彼女も堕ちたはずだ。多くの姉妹たちと同じように。彼女の身体の劣化を考えれば当然のこと、来るべき時が来ただけだ。そして、翅の欠片の雪が舞う戦場跡で、探知棒が作動する回数は意外にも少ない。頭部が破壊されてしまえば、記憶チップも塵と消えるからだ。敵の陣営に情報を持ち帰らせないため雀蜂たちは敵の残骸を徹底的に砕くものだ。勝敗が一方的に決した場合は、特に。今回の戦況なら、敵陣営はそれをする余裕がたっぷりとあった。だから、私がいかに苛立ち焦ったとしても、彼女を見つけられる可能性はごく低い。そう、考えていたのに──
「なんで──」
彼女は私を待っていた。あり得ないことではあるのだけど、そう思ってしまいたくなるような格好だった。私に回収して欲しいと口走ったのを、実行したのではないかと。
積み重なった敵兵と姉妹たちの残骸の上で、煌めく翅の欠片に彩られて彼女は横たわっていた。腹部に攻撃を受けたのだろう、下半身が千切れ飛んだ無残な姿で、けれど満足そうに微笑んでいた。フェイスシールドには大きく罅が入っているけれど、彼女の頬を傷つけてはいない。生きていた時と変わらない微笑みが、私の苛立ちをいっそう掻き立てる。作りものの命に似合わぬ激しい怒りが、私の喉を震わせる。
「なんで、笑うのっ」
彼女の最期が、目に浮かぶようだった。どうせ、妹を庇って身代わりになったのだろう。救われた雀蜂は、彼女に感謝もしなかっただろうに。数秒の後には、彼女と同じく撃ち落とされたのかもしれないのに。一秒でも長く他者を長く生きさせた、それだけの戦果で彼女はこうも得意げに笑えるのだ。私は知っている。
「もう会えないんじゃない……!」
でも、その想像こそが私には忌々しくてならなかった。帰還するたびに私の称賛をねだっていたのは、彼女にとっては大したことではなかったのか、と思ってしまって。誰ともしれない妹に負けた気になってしまって。大した言葉をかけたこともなかった癖に。彼女と翅を並べて戦ったこともない癖に。
慣れない激情は、私の手を震わせた。でも、そこは生まれてこのかた慣れ親しんだ作業だ。考えずとも身体は勝手に震えを補正してくれる。私の手は決まった手順をなぞって彼女の記憶チップを取り出していた。彼女が生きた証、戦った証は、掌に収まる薄っぺらな板でしかなかった。
これを、彼女の「魂」を、私は地球に送らなければいけない。戦乙女に刻まれた使命に従うならば、それ以外の選択肢はない。でも、それがもたらす結果に、私は思いを馳せてしまう。
雀蜂の中でも飛びぬけて長命で、他の姉妹たちを圧倒する戦果を打ち立てていた彼女。彼女の記憶を、魂を地球に送ったら、創造主たちは喜ぶだろう。かつて私が彼女に語った通り、妹たちの制作にあたって参考にされることは大いにあり得る。無個性で無感情な兵士ではなく、彼女のように感情の起伏豊かでよく笑いよくしゃべり、姉妹を庇うように本能に植え付けられた妹たちが送られてくるのかもしれない。懐かしい、なんていう感情が私の胸に湧き上がることがあるのだろうか。口々にしゃべりかけてくる妹たちを宥めて戦場に送り出し、そして帰還したら医療槽に放り込む。そんな日々が、私の人生──とは呼べないのだろうけど──の最後に待っているとしたら。
「嫌……!」
許せない。耐えられない。
たとえ彼女に似ていても、たとえ妹だとしても、彼女ではないものが彼女に似た振る舞いをするところなんて見たくない。「彼女」は「私」の「特別」なのだ。
「絶対に、嫌……!」
激しい怒りと嫌悪に任せて呟きながら、私は堕ちた姉妹たちのパーツをかき集めた。防護服を脱ぎ捨てて、雀蜂の翅を装着する。
私の身体は飛行に耐えるようにはできていないけど、少しだけで良い。それに、私には武装はいらない。身軽さによって、筋肉の貧弱さや経験のなさは補えるはず。彼女が飛んでいたところを思い出せ。飛び立つところを、私は何度も見ていたはず。あの翅の唸りを、もう一度響かせろ。雀蜂の姉妹たちと共通する遺伝子が、私にも使われているはずなんだから。翅が、私を持ち主と認識してくれれば。羽ばたけ、と念じて肩甲骨の間に力を入れた瞬間──私の身体は、強風にあおられたようによろめいた。
「──飛んだ……!」
この空気の流れは、気圧の高低や大気の温度差によって生じるものではない。私自身が生み出したものだ。背中の筋肉の動きに反応して人工の翅は震え、羽ばたく。雀蜂たちの速さや身のこなしには遠く及ばない不格好さだけど、私はとにかくも宙に浮いていた。
「貴女──どこに行くの!?」
「何をしているの?」
飛ばないはずの戦乙女が飛んでいるのを目の当たりにして、姉妹たちがさすがに驚いている。彼女たちがぽかんと目と口を開けた顔がやけに楽しくて、私は声を立てて笑う。その程度の反動を制御することもできなくて、宙空でくるりと回ってしまうけれど、視界の変化も浮遊感も、また楽しい。あまりに楽しいから、もっと飛びたいと思ってしまう。もっと高く、もっと遠くへ──彼女と、一緒に。
「止まって──戻りなさい!」
「巣」を背にして飛び始めた私に、地上から戦乙女の姉妹たちが鋭く叫ぶ。でも、聞いてなんかあげない。笑うのも飛ぶのもこんなに楽しいことだったなんて知らなかった。楽しい、だなんて。私に感じることができるのも知らなかった。
「貴女に聞いていれば良かったのかもね……」
胸元に「彼女」の記憶チップを握りしめて、私はそっと囁いた。尋ねれば、きっと彼女は饒舌に答えてくれただろうに。そうしていれば、彼女の命はもう少しだけでも長持ちしたのか──もう、分からないことだ。
私の視界の端を、閃光が駆け抜けた。雀蜂のニードル・ガンだ。今動ける姉妹は少ないだろうに、AIユグドラシルは私を逃がさぬようにと命じたらしい。「巣」にとって致命的なバグだと認定したのか、敵陣営のウィルスか何かにハックされたとでも警戒したのか。いずれにしても、妥当な判断だと思う。
彼女のそれとは違う翅音が、すぐ背中に迫っていた。やはり私は名ばかりの戦乙女、白鳥の羽なんて持っていないのだ。拾い物の翅をどうにか使いこなすのが精いっぱいで、生まれながらの兵士たる雀蜂たちには及ぶべくもない。
「どこまで、行けるかな……っ!?」
体力だって、私にはない。この星の大気に適合するのは雀蜂だけだ。防護服を脱ぎ捨てた今、私の心拍数は上がり、視界は霞み始めていた。痛覚は鈍くとも、全身の筋肉を酷使する飛行に、脆弱な肉体が悲鳴を上げている。撃ち落とされるまでもなく、長く飛び続けることは不可能だろう。
それに、どれだけ遠く飛べたとしても、逃げ場なんてない。
他の陣営の「巣」を目指しても、無謀な特攻と見做されてやはり迎撃されるだろう。万が一貴重なサンプルとして捕獲されたとしても、彼女の記憶チップがその「巣」の兵士に利用されるのは嫌だった。彼女は、生きた証を何らかの形で残したいと思ったかもしれないけれど──
「私は『特別』なんだよね? だから、良いよね?」
だから最後まで付き合って、と。微笑んで、私は彼女の記憶チップに囁きかけた。あと何秒生きていられるかという状況で、息も絶え絶えになって、私はまだ笑っているのだ。彼女と一緒に飛んでいるのだと、思い込めることが楽しくてならなかった。
翅も翼も持たない戦乙女でも、神話通りに飛べるのだ。それなら、本当に戦士の魂を神の
ああ、神なんて知識としてしか知らない私なのに。祈ったこともないのに。人間でもない癖に。図々しくて勝手で、都合が良いことだけど。脳も限界を迎えているからだろうか、とりとめのない美しい幻、見たことのない楽園が目に映る。青い空。白い雲。滴る緑。彼女の、笑顔。
視界が白い閃光に染まった。姉妹たちは、どの兵器を使ったのだろう。私は当然それを知っているはずで──いや、考えるのは止めよう。代わりに「彼女」を、その魂を抱き締めよう。私という存在が虚空に砕け散る直前の刹那にできることがあるなら、それだけで良い。そして信じよう。
私は楽園まで飛んだのだと。
戦乙女と雀蜂 悠井すみれ @Veilchen
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