「お兄さん。お年玉をありがとう」


 居間に顔を見せた建介に、青空そらは頭を下げた。


 続けて叔母が「私が預かりましたから……」なんて言う。


 翔は五千円を貰ったせいかニコニコとしている。翔が五千円だとするならば、自分はそれ以上のお年玉を貰えたのだろうと、青空は思っているはずである。叔母が、家でこのふたりのお年玉を交換するのだとすると、やはり、青空に七千円を渡す方が良いのではないかと、建介には思えてきた。


 毎年、同じ色味のおせち料理が並ぶ。


「建介くん。このあとみんなで初詣に行くのだけれど、建介くんも来るかしら」


 叔母は建介に、そんなことをいてきた。


 が、建介は、外に出る気にはならなかったから、言葉に気をつけながら、それを断った。


「そう……」


 叔母は建介を、どうしても誘いたいわけではなさそうだった。


 その時、翔が餅を喉につまらせた。


 「大変だ!」と言って横にいた父は翔の背中を叩いた。が、すぐに餅は喉を通ってしまった。「良かった……」――そうした顛末てんまつを気にすることなく、祖母は、「なんだか味がしないねえ」と小声で言った。それを聞いた母はムッとした顔をした。建介は、さっさと自室に引っ込みたいと思った。――




 部屋に戻った建介は、まだ、あの疲労感をかかえていた。


 建介の父母と親戚一同が家を出てから、一時間くらいが経とうとしていた。初詣というのは、どれくらい時間がかかるものなのだろう。建介が初詣というものを最後に経験したのは、高校生の時だった。大学入試の験担げんかつぎのために。


 験担ぎ――建介はなにか神秘的な存在にでも頼りたい気持ちになっていた。一緒に初詣に行っても良かったような気がしてきていた。


 建介の身体に、眠気はなんども訪ねてきた。


 珈琲コーヒーを飲もうと思い、建介は階下に降りていった。


 茶の間には祖母がいた。どうやら、食事のあとからこたつに入ったままのようだった。


「ばあちゃんは初詣に行かなかったの?」


 建介が声をかけると、祖母は向こうをみたままそれにこたえた。


「どうやら風邪みたいでねえ」


 祖母は、なぜか、母から嫌われていた。母は露骨にはその態度を示さないものの、言葉の節々に嫌味を含ませていた。それを祖母は見逃してはいなかった。が、祖母は言い返しもせず、口をもごもごとさせるのが常だった。


「雪だねえ……」


 祖母が見つめる窓の外では、ちらちらと雪が舞い始めていた。


「そうだね」


 建介はそれしか言うことができなかった。


「台所にお年玉を置いといたから……」


 祖母は、そう呟いた。どことなく寂しさをにじませた声だった。――




 台所には、たしかにお年玉袋があった。「建介ちゃん」と書かれていた。この「ちゃん」という楷書に、祖母の全ての感情が凝縮ぎょうしゅくされていた。建介はなんだか母が憎らしくなった。が、祖母に対して特別な感情を、子供のころのように抱くこともなかった。


 珈琲をいれようとしたが、ポットの中身は空だった。それは、建介を苛立たせるには充分すぎるものであった。


 お湯を沸かしているあいだに、建介はお年玉袋を開いてみた。そこには、小さく折り畳まれた一万円札が入っていた。そして、紙切れまで入っていた。


 紙切れには達筆な文字で、「これくらいしかあげられないけれど、堪忍ね」と書かれていた。


「堪忍ね」――祖母はこの言葉を、人生で何回使ったのだろう。



「春には桜を見て、秋には紅葉を見て、冬には松に積もる雪を見て……」――まだ元気だった頃の祖母が、そんなことを声に出しながら、日記帳に、なにかを書いていたことを、建介は突然思い出した。……

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お年玉 紫鳥コウ @Smilitary

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