お年玉

紫鳥コウ

「あけましておめでとう!」


 眠りから覚めた建介の耳に、最初に聞こえてきた音はそれだった。


 建介は眠りから覚めはしたのだが、まだ寝たりないような気がしていた。深呼吸をしてみると、肺に冷たい空気が入ってきた。


 建介はかけ時計を確認した。朝の十時近くになっていた。昨日の記憶が思い出せない。アルコールのにおいはしない。ただ、寝ているうちにすべてのことが一度まっさらになったような気がする――なるほど、今日は元日なのだ。


 建介は再び眠りについた。風邪をひいているわけではないのだろうが、どうも身体の疲れがとれていない。


「翔くんは元気だねえ」


 母の声がかすかに、それでもはっきりと聞こえてくる。


 枕は遠くに放ってある。取り返しにいく気には、まったくならない。


「建介くんはまだ寝ているんですか?」「ええ……起こしてきましょう」「いいんです、いいんです。疲れているんでしょうから」――叔母は、年始の挨拶に建介が来ないことを無礼だと感じているらしい。そうした叔母の礼儀にうるさいところが、建介は苦手だった。


 ふとんにくるまってしまうと、下の居間の音がほとんど聞こえてこなくなった。が、せわしない足音が、どんどん騒々しくなってくる。


「建ちゃん!」


 建介の身体の上に、ドンと小さな塊が乗ってきた。鈍い痛みが建介の眠気を、一瞬のうちに吹き飛ばした。


「お年玉!」


 建介はこんなことで起きるのはしゃくだったから、意地でもかけ布団をはがなかった。


「机の上にお年玉袋があるから、持って行きなさい。水色の小さい方のやつが翔のだよ」


 翔は机の方へと飛んでいき、お年玉を持って階下へ戻っていった。部屋に来るときよりも、バタバタとして。


 取るに足りないバイト代から、親戚の子のお年玉を工面しなければならないのだから、元日なんてたまったものではない。建介は、階下から聞こえてくる翔の走り回る音で、頭が痛くなってきていた。もう眠れそうにない。かといって、いまさら居間に顔を出すのは恥ずかしかった。


 もういっそのこと風邪を引いてしまいたいと、建介は耳を手で押さえながら思っていた。――




「建介くん、起きなさい」


 ようやくふとんを片付けていると、叔母が廊下の方から声をかけてきた。


「起きていますよ」


 叔母は、ノックをしてから、ドアを開けて入ってきた。そして、「あけましておめでとう」と頭を下げてくる。しかし、すぐに顔を上げて、建介の両眼をみすえた。


「もう……翔に五千円もあげないでください」


 下の居間では、翔がふざけているのか、姉の青空そらがそれを叱ったり、それを建介の父母が笑ったりする声が聞こえてくる。


「五千円?」


 建介が机の上を確認すると、どうやら翔は青空の分のお年玉袋を持っていったみたいだった。


「青空ちゃんの方を取っていったんだな」

「青空にだって……五千円は多いですよ」


「でも、中学生はそれくらい貰いませんか?」

「もう。しっかりしてください」


 建介は弱ってしまった。青空に二千円の入ったお年玉袋を渡すわけにはいかない。かといって、翔と同じく五千円にするのも、なんだか気がひけた。


「じゃあ、五千円札を入れて、七千円にしましょう」と建介が言うと、叔母はあきれ顔をして、「いいです。翔の持っているものと交換させますから」とため息をつく。そして、「とにかく……ふたりにお年玉をくれてありがとう」と、またお辞儀をして、建介の返事を待たずに、すたすたと歩き去ってしまった。――




 今度は父が来た。


「そろそろ下に降りてこい。昼ごはんだぞ」


 建介は、携帯をいじりながら、ストーブの前で寝転がっていた。


「全く……そんなだらけた生活をしているようでは、これから先が思いやられるな。もう一度大学院なんて進まず、働けばいいんじゃないか」


 それが父の本心ではないことは、確かだった。


 が、叔母がいるせいか、いまだけは、建介に厳しく当たらなければならないと、なぜか、そう思っているようだった。


 もう一度大学院なんて進まず――建介は昨晩なにをしていたのかをようやく思い出した。規則正しく並ぶ文字列。……


 昨晩のことを思い出したせいで、建介の元日は、ただ暦の上に並べられた、ありきたりな一日になってしまった。

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