七話 出逢い(二)
「さあてそろそろ行きましょうか。私もう一軒行きたいところがあるのよ」
雑談に花を咲かせ、琥珀色の紅茶もなくなった頃。
和泉子は満足そうにそう言い放った。
「まさかまた喫茶店じゃないでしょうね?」
「残念でした。本屋よ本屋!今日は雑誌の発売日なのよ〜」
驚く灯万里を他所に、和泉子は立ち上がると美しい髪を翻しながら足早に会計へと向かった。
「ちょっと待って和泉子」
灯万里も慌てて立ち上がり、鞄を手に取り出入り口へと体を向ける。
「きゃ!」
その瞬間、視界が急に遮られたかと思うとどさりと何かにぶつかった。
何かに弾かれる感触。ぐらりと視界が揺れ、体制が崩れる。しかしそれと同時に、腕を何かに掴まれた。
「失礼」
灯万里よりもずっと低い声が、頭上から振る。
驚いて見上げると、そこには学生服を纏った青年が立っていた。
「お怪我は」
「あ、いえ、大丈夫です」
どうやらこの青年とぶつかってしまったらしい。
「申し訳ありません。前を見ていなくて」
慌てていたとはいえ、完全に自分の不注意だ。灯万里は申し訳なさそうに頭を下げた。
しかしふと、腕に違和感を感じた。転けることもなく、何事もなく自分は立っているのに、灯万里の腕は相変わらず青年に掴まれている。
それどころか、青年の深淵のように深い瞳は、時が止まったかのように灯万里をじっと見つめていた。
まるで、何かを探るように。
「あの…?」
「お姉さん大丈夫?」
怪訝そうに灯万里が声をあげた瞬間、青年の横からひょこりと少年が顔を出した。
「ごめんね。ちょっと颯お兄さんちゃんと前見なよ目ついてるの?てかいつまで手掴んでるのさ」
少年がその可愛らしい顔に似つかない暴言を吐くと、青年は慌てたように掴んでいた手を離した。
「申し訳ない」
「いえ」
ようやく離された手を何となくさする。
心なしか、掴まれていた部分がじんわりと熱い。
(ん?)
ふと視線を感じてテーブルを見ると、そこには可愛らしい少女が座っていた。最近流行りの異国のブラウスに、裾がふわりと広がるスカートを纏っている。今では珍しく長く豊かな髪を地に遊ばせている様子は、さながら日本人形のようである。
少女はつぶらな瞳を更に大きくして、まるで驚いたように灯万里を見つめていた。
「灯万里?何してるの先に行っちゃうわよ」
遠くから、和泉子の待ちくたびれたような声が灯万里を呼ぶ。はっと我に返った灯万里は、慌てて青年に頭を下げた。
「では私はこれで失礼します。ごきげんよう」
その瞬間、微かに青年の尾を引くような声が聞こえたが、きっと気のせいだろう。
灯万里は再び出入口を目指すと、待ちくたびれた様子の和泉子に駆け寄り店を後にした。
「こんなところで軟派しないでよ」
灯万里の後ろ姿を見つめる青年を肘で突くと、少年は呆れたようにため息をついた。
「いや、そういうつもりは、」
「まあ颯お兄さんもそういう歳だからしょうがないけどさ。宮子様もいるんだからちょっとは自重を…宮子様?どうしたの?」
まるで雷に打たれたかのように硬直する少女に、少年はおーいと少女の目の前で手を振った。
「つ、かさ」
鈴を転がすような軽やかで高い声が、絞り出したように少年を呼ぶ。
「大丈夫?お腹でも痛くなった?」
「司…淑女にそんな事言うんじゃない」
失礼だぞ、と呆れたように少年を咎めると、青年はため息をつきながら席についた。
「だって宮子さま動かないんだもん」
咎められた事が不服なのか、司と呼ばれた少年は不機嫌そうに頬を膨らませた。
「宮子様。どうなさいましたか」
青年が少女の顔を覗き込む。
その瞬間、少女は勢いよく机に手をつき、弾かれたように立ち上がった。
「司!」
「うわ!」
突然の衝撃で、司の匙からプリンが滑り落ちる。
「今の方、どなたか調べて欲しいの」
「はあ?」
突拍子もない言葉に、司は怪訝そうに眉を寄せた。
「何でまたそんな…颯お兄さんがぶつかったお詫びにでも行くわけ?」
「違うわ」
少女は首を左右に振る。はらり、と濡烏色の髪が肩から滑り落ちた。
「あの人、そっくりなの」
いつも夢に見る、あの方に。
「姫さまに、そっくりなのよ」
季節が巡る。
つい先日まで帝都を彩っていた木々達からは、まるで紙吹雪のように彩りが零れ落ちる。実りの季節が過ぎ、朔風の連れてきた季節に備え、命が静かに眠りにつき始める。
そんな鉛色の空からは、季節の移ろいを告げるように、綿のような雪がちらつき始めていた。
ゆめの還る場所 古結 灯 @suzuno0303
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