六話 出逢い(一)
日の光を遮り、鈍色の空が広がるある日の昼下がり。
往来の激しい大通りから少し外れた先に、その喫茶店は佇んでいた。
異国情緒のあるプレート看板を垂らした扉を開くと、目が覚めるような珈琲の香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
店内には落ち着いた色の家具達が配置され、コーヒーサイフォンに反射された揺らめく灯りがなんとも美しい。
しかしある雑誌に取り上げられてからというもの、大変繁盛しているようで、昼の時間帯から外れているというのにほぼ全ての席が埋まっていた。
「ん〜!これよこれ!ずっと食べたかったのよ!」
少し小さめの照明が店内を照らす中、ゆったりとした音楽が流れているが、それをかき消すようながやがやとした人の声がなんとも相反している。
満席のテーブルからは、老若男女様々な声が聞こえてくる。
そんな中、目の前のパフェを幸せそうに頬張る和泉子。
「見てよ灯万里、この白くてふわふわの。生くりーむと言ったかしら?」
透き通る硝子の器に乗せられた、シャーベット。その周りには艶めく宝石のような瑞々しいフルーツと、雲のように柔らかい生クリームと呼ばれるものが美しく並べられている。
和泉子はうっとりと匙にその白い塊を掬い、目の前に座る灯万里に差し出した。
「美味しいの?それ」
初めて見る不思議な食べ物に、灯万里は思わず眉を顰める。
「勿論。食べて御覧なさいよ」
はい、あーん。
そう言って和泉子は匙を差し出す。
(子どもじゃないのだけど)
親鳥に餌付けされる雛鳥のようで、何となく恥ずかしさが込み上げる。しかし手を引っ込めない和泉子の様子に、灯万里は戸惑いながらも差し出された匙を口に含んだ。
「…!」
途端、灯万里の瞳がぱっと華やいだ。
口に含んだ瞬間、それはまるで空気のように消え去った。確かに口に入れたのに、本当にそこにあったのだろうかと疑う程に。
後に残るのはほんのりとした甘み。くどくなく、柔らかな優しい味だ。
「…美味しい」
「でしょう!」
普段あまり味わいことのない甘味に目を輝かせ、思わず頬を緩ませる。それを見て、和泉子も嬉しそうに笑った。
「味は違うけど、なんだか綿菓子みたいね」
「異国のお菓子なんですって。あっちではパルフェと言うそうよ」
女学校からの帰り道、突然現れた和泉子に手を引かれた灯万里は、いいからいいから、という和泉子に電車に押し込まれ、この場所に連れてこられた。
「それにしても騒がしいわね」
ざわめきの中で、遠くで一際大声で笑う客の声が耳につく。こんな公共の場で騒ぐ等、なんともはしたない。
「こんなところに来てるのお家の人に知られたら、大変なんじゃない?」
「大丈夫大丈夫。今日は口喧しいお父様はいないし、お母様も出かけてるし」
「そういう問題じゃないと思うのだけど…」
庶民とは切り離された生活を送る大華族が、庶民が通うような喫茶店に来ている等家の者が聞いたら卒倒するのではないだろうか。
「人生は一度だけよ。やりたいことをできる環境にあるのに経験しないなんて、私にはできないわ」
それに、と言葉を切ると、和泉子は目の前で
「灯万里と一緒に来てみたかったの」
そう言って和泉子は本当に嬉しそうに微笑む。
その瞬間、ぱっと頬が火照るのを感じ灯万里は思わず視線を逸らした。
「これが天性の人たらし…」
「それは褒められてるのかしら?」
むず痒いような恥ずかしさが全身を走る。
その空間を何とか緩和したくて、身近にあったお茶に手を伸ばした。
そう言うことは自分ではなく、ぜひ婚約者に言ってあげて欲しいものである。
「そ、そういえば朝の地震は大きかったわね。お屋敷は大丈夫だった?」
ひかない火照りを何とか鎮めようと、無理矢理話題を逸らす。和泉子は口に運んでいたパフェを飲み込むと大きなため息をついた。
「本当にね。朝から目覚めが悪いったらないわ」」
それに、と口籠る。ふっと先ほどまでの明るい表情が消え、麗しいかんばせに影が落ちる。
「少し、嫌な感じの揺れだったわ」
「嫌な感じ…?」
その言葉に、灯万里は首を傾げた。
「確かに大きな揺れで怖くはあったけど…」
和泉子の瞳に暗い色が落ちる。
「地の底のずっと奥が揺れるような。何かが出てくるような、そんな感じの揺れだったわ」
その言葉に、ぞわりと背筋に何か冷たいものが流れ落ちるような感覚を覚えた。
そう言えば、あの時。揺れる物音に紛れて、何かの声がしなかったか。体の奥底か震えるような、地鳴りとは別の、まるで怨嗟を叫ぶような低くて暗い何か。
「、」
しかしそれを口にしようとした瞬間、ぱっと元の明るい表情に戻った和泉子の言葉に遮られた。
「まあ大丈夫よ。最近大きな地震がなかったから変に考えてしまったのね。帝都は昔から地震が多いじゃない?きっといつもの地震よ」
「そう、ね」
「やだ怖がらせちゃった?ごめんなさい」
和泉子は朗らかに笑うと、皿に残るフルーツに手をつける。
しかしそんな話をすぐに忘れられる訳もなく。心に澱んだ何かを抱えながら、灯万里は和泉子の言葉の意味を暫く考え続けていた。
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