六話 なゐふる
夢を見た。
緑覆い茂る草原。そこに佇むひと際大きな大樹の下で、木漏れ日を浴びながら自分は目を覚ました。
宝石のように溢れる眩い光に、思わず目を細める。ここはどこだろう。はっきりしない意識と霞む視界の中で、ぼんやりと考える。その時、大きな影が視界を遮った。
――いいかい。私の可愛い
まるで幼子をあやすような、柔らかく優しい声が自分を包む。その言葉が、低く、深く、しかし優しく耳朶に響く。
――そなたの見るものは、落ち葉が肥料になり大地を豊かにするように、私たちにとってやがて膨大な知恵となる。その力で、このクニを豊かなクニへと導いておくれ。
意味も何もわからなかったが、その言葉はまるで魂に刻み込まれるように重く、深く、自分の中に響き渡ったのだった。
(あなたは誰?)
逆光ではっきりと見えない影に手を伸ばす。
その瞬間、何かに意識を引っ張られるように目の前の光景が遠のいていった。
「…」
次に瞼を開いた時、視界に入ったのは見慣れた天井だった。
障子の隙間からは、薄い光が差し込んでいる。
しん、と冷たく静まり返る空気に、先ほどの光景が夢だったことを瞬時に理解する。
「夢か…」
薄暗い室内で、未だ微睡む頭で考える。
とても不思議な夢だった。目覚めた後も鮮明に思い出せるその光景は、まるで本当に自分が体験したかのように現実味のあるものだった。
自分をその腕に抱き優しげに微笑む、そして投げかけれる言葉の一つ一つが、まるで本当に自分の目の前で起きてる事のようだった。
いわく、人の見る夢には意味があるという。
昔は自分の未来や自分の周囲で起きている出来事を予知するものと考えられていたが、
家族への恋しさについに変な夢まで見始めてしまったのだろうか。
「それにしても変な時間に起きちゃったなあ…」
二度寝するには遅すぎるし、起きるには早すぎる。
大きな欠伸をし、めんどくさそうに半身を起こす。
「え?」
その時、静けさを割るように近くにあった鏡台がかたかたと震えた。
震えている、と認識した瞬間、視界全体が小刻みに震えだし、部屋全体ががたがたと音を立て始めた。
(地震だ!)
微睡んでいた脳内が一気に覚醒する。
慌てて再び布団に潜り込むと、体を丸め頭を抱え込むように
長い長い、果てしない揺れ。成す術もなく、ただただ耐えるしかないそれは、人の無力を痛感させ忘れられた自然の脅威を瞬時に呼び起こす。
まるで永遠のよう感じられるそれは、帝都全体を揺らし一日の始まりを一気に恐怖へと陥れたのだった。
「灯万里!失礼するよ」
ようやく揺れが収まった頃、勢いよく開いた障子の音に灯万里は恐る恐る目を開いた。
慌てたように近づいてくる足音。そっと布団から頭を覗かせると、そこには心配そうにこちらを見る兄がいた。
「お兄様」
急いで駆けつけてくれたのだろう、いつも冷静で走ることなど滅多にない兄の息が少し上がっている。灯万里が無事な事を確認すると、紬はほっと安堵の息を漏らした。
「怪我はない?」
「大丈夫です。そんなに大きな揺れではありませんでしたし」
全く怖くなかったと言えば嘘になるが。
この日本は地震大国である。大なり小なり、年に何度か大地が揺れることがある。
しかし今日の揺れは比較的大きかった。調度品が落ちたり壊れたりはしていないようだが、久しぶりに恐怖を感じる揺れだったことは紬の慌てようからも明らかである。
ふと、兄の視線がじっと自分の顔に注がれている事に気づく。
何かあったのだろうか。
「お兄様?」
すると紬は暫く戸惑う灯万里を見つめた後、真剣な表情で口を開いた。
「…怖かったと言って抱き着いてくれてもいいのだよ」
「子どもじゃないのですからそんなことしません!」
こんな時に何を言い出すかと思えば。
真面目に言い放つ兄に呆れつつ、恥ずかしさに顔を赤らめながら叫ぶ。一体兄の中の自分は何歳で止まってしまっているのだろうか。
その時、遠くからばたばたと廊下を駆ける音が近づいてきた。
「お嬢様ご無事ですか。まあお坊ちゃまやはりこちらにいらしてたのですね」
寝間着姿のまま開いた障子から顔を出したのは、松葉だった。
「ご無事でようございました」
そう言って松葉は笑う。
「聞いてよ松葉さんお兄様ったら…」
布団から起き上がった灯万里は、不服そうな表情を浮かべながら松葉に駆け寄る。
その頃には、あの不思議な夢の事などとうに忘れてしまっていた。
朝日が昇る。
闇を切り裂き、表も裏も、何もかもを照らす神のような光が帝都を照らしていく。
この揺れが自分に迫る全ての幕開けになる等、この時の灯万里は知る由もなかった。
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