五話 伏見家(二)
しかし、相変わらず二人分しか用意されない食事に暗い気持ちが落ちる。
――ご両親は…
昼間の和泉子の言葉が甦る。
もう何年も前から、伏見家では家族が揃うことが殆どなくなった。
恐らく今日も両親は、自室に籠っているのだろう。そのまま姿を見ない日が何日もあるし、姿を見たとしても一瞬だけで、食事も全て自室でとっているそうだ。
唯一毎日顔を合わせるのは、兄である紬だけである。
慣れたと思っていても、どれだけ強がっていても、ふとした瞬間に感じる寂しさはどれだけ年月を重ねても慣れない。
「いただきます」
二人で目の前の食事に手を合わせる。
そんな異常な状態の中、ただ一人兄だけはいつも自分を気にかけて一緒に居てくれた。
どれだけ遅くなっても必ず顔を見せに来てくれるし、食事は出来るだけ一緒に摂ってくれる。
少々口喧しい所が玉に瑕だが。
(昔はみんな一緒だったのに)
自分が本当に幼かった時期は、両親もまだこのような状態ではなかった。
ぼんやりとしか思い出せない笑顔は、確かにいつかの時期までは存在していたのだ。
一体何が両親を変えてしまったのだろうか。
「西園寺のご令嬢は息災だったかい?」
紬の声が灯万里の意識を深淵から浮上させる。
「はい。ご婚約者様とも仲良くやっていらっしゃるようでした」
そう言うと、紬はへえと驚いたように目を丸くした。
「それは意外だね」
「え?」
「お相手の久我家嫡男はあまり女性に興味がないと評判なんだ。まあ仲良くやっているなら、良いことだけど」
久我家。それは西園寺家と同じく、清華家の内の一つである。
(じゃあ和泉子に渡したあの花は、社交辞令ということ?)
だから和泉子はあんなに他人事だったのだろうか。
その時、灯万里ははた、と令嬢たちの話を思い出した。
――伏見様はどのような女性が好みなのかしら。
ああ、忘れていたならどんなによかっただろう。今か今かと自分の回答を待つ令嬢たちの瞳が脳裏を過ぎり、一気に心が重くなる。次に顔を合わせた際には、必ず問い詰められるに違いない。
灯万里は頭を抱えた。しかし紬は色恋の話はすぐはぐらかされるし、自分も何となく肉親のその話を聞くのは恥ずかしい気もする。
(いっその事、適当に好いてる人がいると言う?)
だがそれも後々面倒臭いことになりそうな気もする。
話を聞いた者が兄に聞いてしまったら。もし自分が余計なことを言ったと明らかになってしまったら。それこそ説教では済まないのではないだろうか。
(というか、そもそもこう言う話はどうやって切り出すの?)
遠回しに聞くのか。それとも包み隠さず聞いていいもののなのだろうか。普段積極的に恋愛の話をしないため、全くわからない。
(ああもう面倒臭い!)
暫く悶々と考えた結果、意を決して灯万里は顔を上げた。
「そ、そういえばお兄様」
わざとらしく、さも今思い出したかのように口を開く。灯万里の気まずそうな声に、紬はその手を止めた。
「なんだい?」
不思議そうに自分を見る視線が、突き刺さるように痛い。灯万里は思わず視線を逸らすと、努めて明るくしかしぎこちない笑顔を浮かべた。
「お、お兄様はその…心に想う方、なんていらっしゃるのですか?」
思い切って放ったその質問に、ひやりとした沈黙が流れる。
(しまった!率直すぎた!)
「じっ実は今日他のご令嬢方に聞かれて!その、お兄様は社交会で人気ですし、妙齢ですし、その…」
口籠もりながら弁明するその手に、じんわり汗が滲む。
そんな灯万里を暫くじっと見つめた後、紬は箸を置いた。
「あ、あの…」
紬は無言で湯飲みに口をつけ、一口すする。
重い沈黙が二人の間に流れる。折角説教から逃れることができたのに。こんな事なら聞くのではなかった。
かちかちと時を刻む壁掛け時計の音が、やけに大きく聞こえる。
何周その音を聞いただろう、そろそろ沈黙に耐えられなくなってきた頃、紬がおもむろに口を開いた。
「好いている方はいるよ」
「そ、そうですよね。……え?」
思わぬ回答に灯万里は思わず立ち上がった。
「そそそそそうなのですか!?」
予想外の回答に、思わず大声で叫ぶ。
「灯万里。お行儀が悪いよ」
しかし紬は眉一つ動かず、冷静にそう言い放つ。
「ご、ごめんなさい」
ぴしゃりと叱られ、灯万里は慌てて腰を下ろした。
「意外だな。知らなかったの?」
「知るわけないじゃないですか」
紬からこの話題に関してまともな回答が返ってきたのは初めてだ。一体どこのご令嬢だろう。いやもしかしたら、一般の女性かもしれない。女性を見る目が厳しそうなあの兄が選ぶとなると、どんな女性なのだろうか。
「…」
あれやこれやと想像を巡らせる灯万里に視線を向けると、紬は手に持っていた湯飲みを静かに置いた。
「ここにいるじゃないか」
灯万里に向ってにっこり微笑む紬。
しかしその言葉の意味を理解した瞬間、灯万里は声に出して盛大なため息をついた。
今までの緊張が一気に抜けていく。真面目に信じた自分が馬鹿だった。
「お兄様。私は真面目にお話しているのです」
打って変わって冷たい視線を送る灯万里に、紬は面白そうに笑った。
「ははは。そう怒らないで」
完全に遊ばれている。
「もういいです。真剣に聞いた私が馬鹿だったわ」
今までの自分の緊張と焦りは何だったのか。無駄に精神をすり減らしてしまった。
謝る紬を無視し、一気に食事をかきこむ。
次に会った時、令嬢たちに兄は絶賛恋人募集中と伝えておこうと誓うのだった。
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