ch.8 言語学者アム、龍の腹肉を煮る
砂浜で死んだ緑色の飛龍の解体が一通り終わったのは、夜も更けた頃である。
冴え冴えとした星は天蓋に散りばめられ、瞬きながら地上の炎とそれに照らされた奇妙な取り合わせの仲間たちを見守っていた。
緑色の飛龍は体長五メートルほど。
貶めた償いをせよと海龍神が命じたので、ティダリヤが自分が殺した龍の死骸を浜辺まで運んだ。
そのティダリヤは解体作業には加わらず(同族の腹をさばくのは嫌であるようだ。これはセムタムの、ひいては汎銀河系知性体の一般的な感覚と変わらない。注目に値する)、アムは絶対的腕力の足りなさから解体については戦力外通告を受け、鍋の番をしている。三つの鍋を並べて飛龍の腹肉を煮ているところだ。
灰汁が出るのでこまめに取り除かなくてはならず、それだけでも結構忙しい。元来これは最も体力のない参加者の役割だというので、アムに異論はなかった。
煮込んだ腹肉のうち二鍋分は、明日の朝に儀式の完了を示すために海に撒くのだそうである。もう一鍋は解体作業をしているメンバーのための夜食だ。一日がかりの力仕事だから、休憩と食事を代わる代わる取らなければ身が持たない。
そう考えると重要な役割なのかもしれないと気が引き締まった。
合間にちらちらと目をやっては解体作業の流れや各個人の動き、漏れ聞こえる会話の断片など気にかかったことは何でもメモに書き留めておく。
今は鮮烈に思っていても、後から思い出そうとすると記憶は意外とは曖昧なもので、生々しい手触りの損なわれた文章しか打ち出せない自分に言語学者としてのアムはひどく悔しくなるのだ。
だから、どれだけしょうもないことでも書く。
その仕事の意義は理解していないものの、治しようがないらしいアムの奇癖として受け止めているトゥトゥは記録をとることに文句は言わない。
解体を進めているのはトゥトゥとパチャラ、それにヒリだった。
そう、パチャラを背後から襲おうとしてトゥトゥにこてんぱんにされたヒリ。
彼はギュギと袂を分かった。
ギュギと後ふたりの男は行方不明である。アムはギュギが何かを企てているのではないかと不安だったが、他の三人と一匹は行方を気に掛ける様子がない。
ヒリすらも、
「どっかに行って、どっかに行ったんだよ」
と述べてそれでおしまいだった。
汎銀河系知性体であるアムには推し量れないセムタム族の感覚なのだろう。これもまた研究の余地がある。
飛龍ティダリヤは解体には手を出さないが、目を反らすことも無かった。前脚を組んでじっと作業を見つめている。
見つめている対象は、もしかしたら飛龍の死骸ではなくセムタム族かもしれない。
ティダリヤとパチャラが交わした短い会話の間に、アムはこの飛龍が今日初めてセムタム族という小さな隣人に興味を持ったのではないかと思ったのである。
飛龍の視線の先で立ち働くパチャラは昼間の激情と失血のことをまっさらに忘れ去っているように見えたが、恐らくはそこから続く興奮の只中にいるだけだ。あとで倒れるかもしれない。それでも今はトゥトゥの指示のもと疲れ知らずの動きで手斧を振るい続けていた。初めての龍の解体に、満月色の瞳が輝いている。
トゥトゥの方はともかく体力が有り余っていた。右にパチャラ、左にヒリ、後ろにアムを従えて絶え間なく指示を飛ばす。
ヒリは最初おっかなびっくりだったが、トゥトゥが悪意を向けないと知って安心して作業に没頭しているようだった。
それだけメモを取るうちに鍋に灰汁が溜まり、掬って捨てる。
ティダリヤが前脚を組み替え、大きなあくびをした。その口の中にずらりと並んだ牙のスケールは、改めてアムにこの星の生態系の不思議を突き付ける。
知性体が二種。
互いの意思疎通は出来るが、明らかに片方が強い。
そのうえで支配者と被支配者の構造を取らずに共存することは可能だろうか?
答えのひとつがここにある。
ひとつの神話、ひとつのルールの上に乗りこんで共に生きていく。そのルールには神様すら従うのだ。
海龍神が今日アムたちの前で見せたことは、まさしくルールの体現だったように思う。
あの巨大な龍からしてみればティダリヤすら赤子のようなもので、そうするとセムタム族はゴマ粒くらいだろう。であっても人知を超える神の力を大盤振る舞いしたうえで、海龍神はルールを順守せよと言い渡した。
その絶対的ルールは成文化されている。言葉が共有されているがために成立するのだ。つまり平和的共存の第一として言葉がある、ということになる。
地球を離れるときの人類も同じようなことをして、Englishを簡易にしたPanglishで脱出船団の言語で統一した。それは汎銀河系共通語として今日に至る。
ただし汎銀河系共通語は平和をもたらしたりはしなかった。
言語を共にする人々のあちこちで戦争があり、侵略があり、圧制がある。神の如き武力を持つ軍隊だっているというのに。
アルマナイマ星と汎銀河系の違いは何か。
それを知りたいと、アムは常々願っている。
影が顔に落ちた。
「退屈なのか」
アムはいつの間にか鍋から心を離していたらしい。
焚火の横で、木の実の椀に自分で肉をよそって、はふはふ言いながらパチャラが食べていた。
「寝れば」
「寝ません。ねえパチャラ、いただきますって言った?」
「さあ」
「さあって、あなた」
「ドクターには聞こえなかったかもしれない」
トゥトゥがパチャラを呼ぶ。
パチャラは一声応えて立ち上がる。
それから、あ、と思い出したように椀をアムに渡して、
「ごちそうさまでした、ドクター」
隻眼の戦士が駆けて行った。風になびく髪は柔らかな黒雲母に似て、弾む足取りはまだ少女の面影を残す。
背後でティダリヤが小さく喉を鳴らしていた。
入れ替わりにヒリがおずおずとやってきたので、アムは肉のスープをついでやる。
鍋の上に張った灰汁が随分と白くなったなと思いつつ掬ったら、夜が開けた。
(了)
アルマナイマ博物誌 パチャラと龍の片目 東洋 夏 @summer_east
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