第3話 きみはともだち
昼間から家でごろごろしていることにはじめこそ罪悪感を覚えたけれど、1週間を過ぎたころからは何も感じなくなった。
見飽きた天井の染みでする天体観測もまどろみに包まれてする午睡も今はただ過ぎ行く時間を浪費するためだけの手段であり、心地よさのかけらもない。
あるのは倦怠と憂鬱と答えの見つからない自問だけ。
起きるたびにこれはもしかして夢なんじゃないかと何度も思い、その度拳の熱と嫌なくらいに冷え切った頭が現実だと語りかけてくる。
何もしていない佐倉にああいうことをするのは間違っている。その考え方自体は間違っていなかったはずだ。
痛みの引いた拳を見つめながら、目を背けていた自分自身にも目を向けてみる。
「間違ってたのは手段なんだろうな」
親から聞いた話だと斎藤は何もしておらず、俺が急に殴りだしたということになっているらしい。
俺がしたことに対しては否定しない。急に殴りだしたことは事実だし、傍から見たら間違いなくそうだろう。
だがあいつがなにもしていないということは否定させてほしい。本当に何もしていないのであれば、佐倉は無駄に傷を負う必要もなかったのだから。
今思うと、俺は正義に酔っていたのかもしれない。
そんなことはないと思いたい気持ちもあるが、結果として自分はそうなんだろうと半ば自分自身に対しての諦めにもよく似た感情が同居している。
大義名分に行動を左右されるような薄っぺらい人間だったらしい。俺という人間は。
そんな俺の耳に届いたのは自分と同じみたいに薄っぺらい、チープな電子音。
こんな時間に誰か来るなんて珍しい。
呼ばれるままに階段を降りてドアホンを覗くと、そこには1週間ぶりに見た、相も変わらず何を考えているのかわからない表情を浮かべながら立つ佐倉の姿が見えた。
「あいつなんで俺の家…… って、この間一緒に帰ったからか」
見えもしないのに首をあちらこちらに向けているのが面白かったのでしばらく見ていたが、いつまでもやってそうだから玄関へ向かう。
「よう」
「き、来ちゃった」
来ちゃったじゃあないんだよ来ちゃったじゃ。
とりあえず部屋まで通してみたけれど、生まれてこの方女性を通したことがないもので困った。お茶でも出した方が良いんだろうか。
しかし、親が仕事に出ている日中で本当に良かった。これで茶化されたらたまったもんじゃない。
「ねぇ、どうしてあんなことしたの?」
「……足かけてんのが見えたから、それでむしゃくしゃして」
佐倉の前では何も隠す必要もないし、理由を素直に伝えてみる。むしゃくしゃしてやった。後悔はしていない。というような。
「でも、暴力はよくない」
「おっしゃる通りです」
ぐうの音も出ない。その正論は俺に効く。
お茶をすすりながらなんとか受け流せないものかと思考してみる。ただおいしいだけだった。
「……俺も教室戻ったらいじめられんかなぁ」
改めて実感させられる。俺は思ったことをすぐ口に出してしまう。
それに「も」なんて言葉を使ってしまったことに、今更後悔を覚えるも時はすでに遅かった。
「あぁいや、もつったのは別にそういうことじゃなく……」
「大丈夫だよ。その時は君がしてくれたように、わたしが殴るから」
「いや、暴力はだめってお前が言ったんだろ」
「そうだった。へへ」
「ははっ」
1週間、何も響かなかった空間にふたりの笑い声が咲き誇る。
それからは他愛のない話の連続だった。
趣味の話とか子供のころはどうだったとか、なにになりたかったのかとか。
ついでに話してくれた近況は俺が一番聞きたいことだった。
矛先は意外にも佐倉に向かなかったそうで、そのあとの教室はこれまでにないくらい穏やかなそう。
戻ってきたらどうとかそういうことも考えたけど、それ以上にとりあえず浮かんできた感情は安堵だった。
「そういやお前、卒業したらどうすんの?」
過去・現在ときたらする話はこれからのこと。
数歩先の未来すら適当に決めてしまっている俺とは対照的に、佐倉はきっと建設的な将来設計を考えているのだろうと思ったし、なんとなく気になってしまったから。
「就職かなぁとか、適当に思ってた」
俺も佐倉も案外似ている一面が見えてくると不思議と親近感がわいてくる。
「お前頭いいんだから大学いきゃあいいのに」
「またいじめられたら嫌だな…… って」
似ているなんて思っていたけれど中身はそんなことなく、ただただ自分の浅はかさと視野の狭さが嫌になる。
環境が変わればそんなことに縛られることもないのに、それは傍観者だからこそ簡単に言える言葉だ。当事者にとってそれは呪いとも言えるもので、人が場所が環境が変わってもどこまでもそれがついてくるんだろう。
「自分でも思うけど、ここまで来たらもはや病気だよね」
周りにどういわれたのかも知らないし佐倉自身もどう考えているのかも知らないけど、それは違うと思う。
病気ではなく傷、なんだと思う。
原因は佐倉にあるなんてことは絶対にない。絶対に。
周りが不安になるようなことをして、させて。見えない部分にできた傷は痛みが引いたとして消えはしないのだから。
「もし、もしもの話だけど、そういう心配がなかったら大学行きたいか?」
いじめによって佐倉の将来を閉ざされるのがたまらなく嫌だったから、つい口に出た。ここだけは思ったことをすぐ口にだせる悪癖に感謝したい。
「うん、K大でもっと日本文学の勉強がしたい」
「K大か……俺も頑張ればいけっかな」
「え?」
「一緒に居れば佐倉の心配事も減るだろ? 高校なんて狭い世界で終わってほしくないんだよ。お前には」
滅多に表情を変えない佐倉が驚愕の表情を浮かべていたけれど、そこから読み取れそうな感情はうれしいか鬱陶しいかの二択で、今更ながら一歩引きたい気持ちにさせられる。
目線を落としてみてもそこにはお茶に映った佐倉の表情があって、逃げ場ははじめから用意されていないよう。
「す、すまん。急にこんなこと言われてもな。急に一緒の大学行くとか言われても、気持ち悪いよな」
「ちが、違うの。これはその、そんなこと言ってくれたの君がはじめてだったから」
いつか見た笑顔とは違い、瞳を濡らしながら笑む彼女は続ける。
「ありがとう。わたし、友達と大学に行く」
「友達ってあの、筆箱くれた友達か?」
ううん。首を振って、指を胸に当てて放たれた言葉に俺は救いのような何かを感じながら、数歩先の未来に向けて歩き出す決心をした。足並みそろえて、佐倉といっしょに。
「きみがともだち」
きみはともだち テルミ @zawateru
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