第2話 そんなんじゃねぇよ

部活は好きだが、部活のない日も好きというのは矛盾しているんだろうか。

 開放感がある。縛られているわけではないけれど。

 爽快感がある。嫌いというわけでもないけれど。

 気分が高揚する。

 ――これがテスト前の部活禁止期間でなかったら。

 放課後の足取りがいつもより重いのは多分、その道の先に待っているのが家でなく図書室だからということもあるんだろう。

 明日からのテスト期間を考えるだけで息苦しくなる。今日だけはボタン外しタイを緩めることに目を瞑ってほしい。

 無駄な思考ばかりしている間にも図書室が見えてきた。こんなことを考える暇があればその労力を勉強に使えといわんばかりの佇まい。

 この時期の図書室は人が多いと思ったが以外にもそんなことはなく、図書委員がちらほらいるくらいで、寝心地……もとい居心地の良さそうな空間が広がっていた。

 長机を4つ組み合わせたスペースがいくつかあるが、一番捗りそうなのは窓際だろう。なにがとはあえて言わないが。


「あっ」


 早速腰かけようとすると椅子に触れると、暖かく柔らかい感触が上から覆いかぶさる。反射的に手を引っ込めて顔を上げると、


「佐倉」

「ご、ごめんね」


 急いで席を譲ろうとする彼女よりも早く適当な席に座ると、もういちどごめんと謝りながら腰かける佐倉の姿があった。


「あぁいや。どうせ途中から眠くなって勉強しないだろうからって選んだ席だったから。どこでもよかったんだ」


 適当に選んだ向かいの席で教科書とノートを広げてみたけれど、もう帰りたいという雲が心を覆う。

 シャープペンをとりあえず手に持って適当にあたりを見渡すと、見覚えの色褪せた筆箱が見えた。同じくシャープペンを取り出した後は大事そうに鞄にしまう姿を見るだけで、少し胸を刺さるような思いがした。

 見ているだけでも、それを見ないようにしているだけでも走る胸の痛みをかき消すように、俺もペンを走らせてみることにした。

 しばらくして、


「どうせなら真ん中のほうでやればいいのに。教科書なりなんなり置くと狭くならないか? そこ」


 積まれて開かれた教科書群についつい目がいって訊いてしまった。もともとなかった集中力がついに切れたことをこんなことで気づくことになろうとは。


「ここがいいの」

「そんなもんなのか」


 じっと見つめてみても答えは出てこないが、手は出てきた。小さいことに祖母が扇いでくれたうちわを思い出す。

 手招きをされるままに寄ってみるとなるほど、少し理由がわかったような気がする。


「あったけぇ」

「冷え性だから、寒い時期はここがいいの」

「俺だとここだとすぐ寝ちゃいそうだ。ははっ」

「ふふっ」


 変におもしろくなってしまってつい、笑ってしまった。

 そしてそれはすぐに後悔することになるとは、考えればわかることだった。


「あのー、ここ図書室なんですけど」

「あぁその、すみません…… すぐ帰るんで」


 対して勉強もしてなかったからちょうど良いと思いながら教科書をしまいながら部屋を出ようとすると、佐倉も同じく教科書を詰めて続いていた。


「佐倉まで出ることなかったのに」

「やりたいとこまではやれたから、大丈夫」


 後は家で、みたいな感じなんだろうか。けれど佐倉は一向に帰るそぶりを見せずにいて、隣に居る俺も帰りづらい。けれどこの沈黙の中にいつまで居座り続けるのもいい気持ちはしない。


「その、道が一緒だったら途中まで帰るか?」


 返事こそなかったものの首を大きく縦に振る姿が答えだった。佐倉ってこんなにわかりやすいやつだったのか? そうだったのかそうなったのか、聞くことはできなかった。


「帰るか」


 足並みは揃えずとも一緒だった。

 

 


 友人との帰り道はどんなことをして暇をつぶしていたかなんてことを考えてみたけれど、いざこうしてみると本当に思い出せない。意識してなにかしていたわけではないからだろうか。

 とりあえず一緒に帰ってみたものの、会話が続かないどころか始まらない。糸口さえ見つからない。

 お互い牽制しあっているわけでもなく、沈黙こそが最良といわんばかりの空気が流れている気がする。沈黙と表現することが良くないのだろうか。とすれば静寂、だろうか。

 彼女の希望通り静寂に包まれながら今日の出来事に想いを更けてみる。

 結局、図書室ではろくに勉強しなかったなぁ。果たして行った意味は……ないわけではなかった、かもしれない。

 勉強だけに関してはたしかに行き損だったのかもしれない。ただ――

 佐倉の笑った顔を見たのはこれが初めてだったかもしれないし、なかなか見られるものでもないと思ったから。

 それがいつか珍しいではなく、よく見る光景になる日が来るのだろうか。いや、願うだけではいけない。そうしなければいけないんだ。

 距離も気持ちもつかず離れず、そんな距離感の中歩いているような気がした。

 結局家につくまでは、ひとことも話さなかった。


「あ、俺んちここだから。佐倉はまだ先?」

「うん」


 結構遠いんだな。多分俺がここから離れようとしなければいつまでも佐倉はここに居ると思ったから、早めに切り上げることにして別れの挨拶を告げる。


「そうか。じゃあ――」

「明日からのテスト、頑張ろうね」


 裾はつままれなかったが振り返り、少し笑って見せてまた足を進めることにした。


「おぉ、そうだな」


 佐倉が自分から話しかけてくることが少し、増えたような気がする。

 彼女の声すら覚えていないというクラスメイトがいたっていうのに、俺はもう聞きなれているような気さえして。

 だが俺は佐倉を友達とは思ってないし、佐倉もまた同じだとは思うけど、けれど。

 少なくとも「他人」ではなくなったような、そんな気がした。

 


 

 中間試験明けの授業は梅雨明けとよく似ている。

 昨日までどんよりとした空気が漂っていたそこには雲ひとつなく、すがすがしいまでの快晴が視界にも心にも広がっているよう。


「前よりは上がったんじゃないか?」

「今回は少しだけ頑張ったので」


 本当に少しだけ、な。

 授業も進まないテスト返却と解説の時間は褒美のようで、冷える教室の中はいつもより暖かいような気がした。


「次、斎藤」

「うーい」


 あいつはいつも通りのようだけど。


「このままじゃお前どこの大学もいけんぞ。大丈夫か?」

「はいはい。入試頑張りまーす」


 言葉は軽いものだったが足取りは乱暴で、誰の目から見てもイラついているように見えそうな態度で机に戻る斎藤。いつものことだけど、今日は特にあいつに触れない方がよさそうだ。


「次、佐倉」

「はい」


 斎藤の後ろの席の佐倉が立つ。声は喧噪にかき消されてかすかに聞こえるくらいで、結果を気にしているようにもこの時間を至福に感じているようにも思えない。ただただ何事もないことを願っているよう。


「今回も佐倉が一番だな」


 あいつ、そんなに頭良かったのか。表情ひとつ変えない佐倉を見るに、いつものことなんだろう。


「どうだ、大学でも行ってみないか」

「いえ、私は……」


 どこまでも遠慮気味な態度に斎藤の貧乏ゆすりが酷くなっていることはあいつ自身ですらも気付いていないようだけど、それがどことなく不穏だった。

 予感は嫌なときほど的中する。


「えっ……」


 鈍い音は喧噪だけでなく、俺の呼吸さえも止めた。


「大丈夫かー?」


 呼ばれてもいないのに席を立った俺に注目が集まる。

 形だけの心配をする教師に腹を立てたわけではない。

 にたにたと顔を歪めている斎藤に、俺はせざるを得なくて。

 止めようともしなかった周りを許せなくて。

 足をかけたこいつがどうしても許せなくて。

 気付けば頭に血が上っていて、気付けば斎藤も床に倒れていて、拳には変な痛みがあって。


「こいつはお前に何もしてねぇだろ!」


 ワイシャツが破れることなんか気にもせずに組み合い、教室はまた違った喧噪に包まれることになった。


「は、はぁ?俺はなんもしてないが」


 今の俺には規律も自制心もなにもかも霞んで見え、その言葉に応えるようにしてまた拳を振るう。

 振るい振るわれ、不毛だが止めるわけにはいかない応酬はいつまで続くかもわからない。

 やめなさいという言葉もどうせ形だけなんだから。


「やめ、やめて!」


 そんな俺が裾をつままれただけで止めたのは我に返ったからなのか、それとも佐倉声だったからなのか、わからないし理解する気も余裕もなかった。

 しばらくして来た担任に連れられたのは俺だけで、俺だけが悪者にされて、俺だけが罰を受けることになった。

 停学2週間。

 相応の罪を犯したのだから罰が与えられること自体に不満はない。ただそれ以上に今は――

 ひとりの佐倉のことが心配だった。

 

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