イリーネ・マイヤーの黒

白川津 中々

 イリーネ・マイヤーは森と池しかないクソど田舎に住むティーンであり年頃よろしくクソ生意気なビッチであった。

 イリーネは常々シティへと引っ越す夢を描いていたが母親がそれを許さない。近くに住む祖母がくたばるまで待てというのだ。


「死にかけの老人と未来ある若者を天秤にかけてどうして老人を取るのか、私には分からない」


 イリーネは日頃母親にそう言って抗議するも、返ってくる言葉はいつも決まっている。


「昔からそう決まっているもの」


 意味もなく意義もない習慣である。ただ婆がいる家に生まれたというだけでどうして自分が割りを食わねばならないのかイリーネは内心社会を呪ったがなんともならない。彼女が組み込まれた田舎という組織は、まさに昔からそう決まっている組織だからである。

 そうして今日も、イリーネは母親に祖母の様子見を頼まれ、干し肉と葡萄酒を持って渋々と森の奥へと向かわねばならないのであった。ちなみに過去イリーネは、「老人に干し肉と葡萄酒というチョイスはナンセンスじゃない?」と聞いた事があるが、答えはやはり「昔からそう決まっているもの」であった。こうしたやり取りから分かると思うが、母親には主体性や自律心といった概念が存在していなかった。ただ昔からの習慣を守る事が最も正しく最善であると思考を停止しているのである。


 クソみたいな人間しかいないから田舎なんだ。


 内心で悪態を吐きながらイリーネは黒い頭巾を被る。母に「またそんな不良みたいな色の頭巾被って」と咎められるも一向に無視を決め込み外へ出ると、手にした酒と肉をブンブンと振り回し不機嫌そうに歩くのだった。彼女は母親に対して規律と秩序の権化であると信じて疑わず、時には殺意さえ抱いていた。

 だがイリーネは知らない。母親が昔、ジョンレノンを崇拝し、ビートルズを聴きながら葉っぱやルーシーインザスカイウィズダイヤモンドをキメていた事を。




 イリーネは途中シューティング花摘みをかまし売人からキャンディを買ったものだから予定より大幅に遅れて祖母の家に到着したのであったが、どうにも様子が変である。木造の安普請が軋み、異様な声が響いている。

 近づけば、それが嬌声だと分かった。祖母は昼間から一発よろしくやっているのだ。


「OhBig! NiceDick! VeryFuckingForMe!」


 イリーネは唾を吐き捨て時間の過ごし方を考えたが、一つ名案を思い付き森を駆けた。辿り着いた先はハンターの集会場である。丁度昼時分に休憩を取っている祖父が、そこにはいた。


「おじいちゃん。狼が出た」


「本当かい? どこに」


「おばあちゃんの家に」


「……」


 それだけで祖父は察し、猟銃片手にしっかりとした足取りで帰路を辿る。後をつけるイリーネは、微笑を浮かべ干し肉を齧った。



 安普請は未だ揺れており、遠く離れた場所からでも祖母の女の声が聞こえる。恐らく絶頂間際の、最大に熱い時間なのであろう。煙草を燻らせながらそれを聞く祖母の姿は、憤怒を高め、僅かに残る伴侶への情と良心を排斥しているかのように見えた。


「……」


 訪れる寂寞。祖父は煙草を捨て、猟銃を構えて突撃。イリーネはウォークマンのイヤホンを付け遠方より成り行きを眺める。悲鳴と銃声。流れる曲はPaint It, Black。イリーネはキャンディをキめ、葡萄酒を煽る。


 黒は死の色と同時に資本主義の色であり、また、自由の色でもある。混沌に塗られ、行き着く先が、黒なのである。


 田舎では多くの人間が反発し、挫折して、単色の、極めて無機質な人生を送っている。イリーネの母親もその一人であり、例に違わず去勢された犬の様に大人しく首輪を繋がれているのだった。ヒッピーが慣習に囚われその精神性を拡張できず生涯を終えていくというのであれば、ジョンレノンは犬死したといっても過言ではないだろう。イマジンは終わっていた。残ったのはイエスタディ明日なき日常ばかりである。


 イリーネは染めたかった。自身の色を黒に投じ、混沌の中で生きたかった。その衝動を抑える事など誰ができようか。彼女は今、祖母を間接的に殺し、自らを束縛するあらゆるしがらみを断ち切らんとしているのだ。


「Yaaaaaaaa! FuckingCountry!」


 ラリったイリーネは赤い葡萄酒をひっくり返して頭からずぶ濡れとなった。しかし、黒い頭巾はそれでも依然、黒のままであった。

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