君の旅路

てつひろ

君の旅路

 例えばそれは素敵な物語が描かれた本のようなもので、私は時々そのページをめくり、君とのことを思い返すのだ。



 耳をすませば聞こえるのは噴水の音や子供たちの笑い声、それとざわめく木々のお喋り。風を追って顔を上げれば見事な紅葉こうようと、白い月が浮かぶ青空、それから、時計台。

 秋の公園、君との待ち合わせ。でも、約束の時間を過ぎても私はベンチに一人で座っている。

 電車が遅れてしまって間に合わないと、ついさっきもらった連絡。君は自分が悪い訳でもないのにごめんと何度も謝っていたっけ。手の中の携帯電話にはまだ会話の余韻が残っている。

 私は、溜息と言う訳ではないけれど、ほんの少しだけいつもより多めに息を吐いた。

 私だって多少は緊張していたのだから、大目に見て欲しい。

 大丈夫。別に怒っていたりしないし、不安に思ってもいない。どちらかと言えば、慌てた君が事故に遭ったりしないか心配している。あと、いつもなんだか間の悪い君らしいな、なんて今はちょっと可笑しく思ってしまっているくらい。

 君の顔を思い浮かべていたせいか気が付くと口元が緩んでいた。

 いかんな。

 今度は深めに息を吸い背筋を伸ばして気を引き締める。

 さてと。時間も出来たことだし。

 私は携帯電話をしまって替わりにかばんから文庫本を取り出した。いつも持ち歩いているお気に入りの小説。ページをめくれば新しい発見と胸躍る冒険が待っている。

 膝の上に置いて本を開く。

 前回はどこまで読んでいたっけ。そうだ図書室のあのシーン。主人公が今の私みたいに本を読んでいて――。



 でも、この時私は本の上に別の物語をのせていた。それは君と出会ったあの日からのお話で、今まで読んできた様々な本の内容と、空想と経験、主観と客観も、色んなものがまぜこぜになってしまったような。そしてその物語は色を付け熱を持って私の前に現れた。



 並ぶ本棚、たくさんの本。そこはいつも通っている学校の図書室。学生服姿の私は机に向かってお気に入りの本を読んでいる。

 今の私だから知っているのだけれど、そんな私のことを図書室の外から窓越しに見ている君の姿があったね。

 だけどごめん、君が私を見つけてくれた頃、君のこと、本の世界に夢中な私は全然気が付かなかった。君は困ったりやきもきしていたりしたのかな。

 ふと、机に向かっていた私は肌にあたる心地良い風の感触に本から視線を外して顔を上げる。誰かが開けたのか図書室の窓が開いていた。明るい外の気配に誘われて席を立つ私。

 窓に歩み寄って外を見てみると、白い雲と眩しい日差し、そしてきらめく水面みなもが。

 その景色は君が居た場所じゃなくて大海原のものになっていた。

 いつの間にか物語の場面は変わって私は豪華客船の上、つば広帽子と真っ白なワンピースを着て、全身に海風を受けながら、世界一周旅行中。

 それじゃあこの場面ならと私は君のことを考える。

 そうだな、君は遠くで波に揺られる小舟から昔の船乗りが持っていたような手持ち式の細長い望遠鏡でそんな私を見ていたり、したのかな。

 君が見る望遠鏡の中、振り向く私。君は慌ててバランスを崩してしまって。

 一方のん気な私は、何かが光った気がして振り向いたのだけれど、君の方を見た時にはそこには何も無くて、ただ波立つ海があっただけで、私も、相変わらず綺麗だななんて思うだけで。

 この時君は小舟ごと転覆てんぷくして波にのまれて海の中に沈んでしまっていたと言うのに。

 私はそこからの君の冒険を想像する。

 海の中、流されてしまう君、でもいつの間にかキラキラと一面に魚の群れに囲まれていて、魚と一緒に海中遊泳。

 そのまま君が海の中を泳ぎ進むと、突然魚の群れが割れて、光が柱みたいに差し込んで、君はその中に海中を舞うように泳ぐ人魚を見つける。そうだ、今度は人魚になった私を。

 君は私に声をかけようとするけれど、もちろん海の中、声は出なくて、それどころかそれまで大丈夫だったのに急に息が苦しくなってきて、焦って海面へ向かう。

 そして勢いよく海から顔を出した君。

 荒い呼吸の君の頭上には広がる青空。

 そこで次に君が目にしたのはエンジン音をとどろかせ雲を引きながら飛ぶプロペラ飛行機。

 アクロバティックに飛ぶ飛行機はこともあろうか段々近付いて来て、でもそのおかげで、君はゴーグルをしたパイロットが私だと気が付く。

 だからめげない君はそいつが目の前すれすれまで来た時、思い切って飛行機の足に飛び付いた。

 なのに、それでも私はやっぱり気が付かなくて空高く舞い上がりそのまま飛び続けてしまう。

 その内に君にも限界が訪れて、遂に手を離して落ちてしまった。

 君が落ちた先は暗く深い森の中。漂う怪しい雰囲気と何処からか聞こえる獣の声。木々の間から見える空はどんよりと厚い雲におおわれている。

 瞬間、稲光。

 その一瞬の光の中に遠くお城のシルエットを見た君はまた歩き出した。

 行く道は険しくて、巨大ないばらや凶暴な獣、はたまた見たこともない怪物が君の前に立ち塞がる。恐怖や不安、迷いが君を襲う。

 だけど君は決して挫けることなく立ち向かっていたね。

 君から離れたお城の塔の上。

 うん、実は私、内緒だけど、そこから君の冒険を見ていたんだ。

 私もやっと君の存在に気が付いたんだよ。

 塔の上の小さな部屋から窓の外に勇敢な君の姿を見ていた私、ふいに君の姿が見えなくなって、思わず立ち上がり窓を大きく開けた。身を乗り出した私の髪とドレスを風がで、風と一緒に赤く色付いた葉が飛んで来て一瞬目の前を塞ぐ――。



 赤いかえでの葉は一度くるりと舞い私の膝の上、開いた本の上に落ち着いた。

 私は空想の世界から抜け出して一息吐いて時計台を見る。

 時間はさっきからまだそんなに経っていなかった。念のため確認してみたけれど携帯電話にも連絡は来ていない。

 私はもう一度、本に視線を落とした。

 楓の葉を手に取って、ページをめくり物語を進める。

 物語の中、主人公は色付いた葉のような真っ赤な傘を差していた。



 雨の日、学校からの帰り道、赤い傘を差して歩く私と隣にはビニール傘を差す君。

 突然強い風が吹いてきて目を伏せた私だったけど、次に目を開けた時、ごめん、笑っちゃった。

 君の傘だけ全部ひっくり返って使い物にならなくなってしまっていたから。

 可哀そうなのに可笑しくって、私自然と君に傘を差しだしていた。

 そうだね、あの頃からかな、私たち二人の距離はちょっとづつ近付いていったよね。それに私もなんとなく君のことを目で追うようになっていたっけ。

 二人の間の赤い色が鮮やかで私はそこから楽しかった日々を空想にのせて思い出す。

 私が差し出した傘の赤は日の丸に変わって君の胸、君はユニフォームを着て選手として陸上トラックの上で私のバトンを待っている。

 走ってきた私は君にバトンを手渡し、それからその場で息を切らしてひざに手を当てて弾む鼓動を感じながら、走って行く君の姿を見ていた。

 そんな私の瞳の中、君が走ったあとの陸上トラックの線がギターの弦に変わる。

 今度はステージの上、ギターを演奏する君、私もバンドの一員として激しくドラムを叩く。響く爆音と熱狂の会場。

 君がマイクに向かって声を出そうとした瞬間、盛り上がりは最高潮になって観客が一斉にサイリウムを掲げて、私は心を揺さぶるようなその光景を目の当たりにする。

 すると夢のようなそれは壮大な夕焼けの草原の一部になって輝き揺れて、気が付けば私はオーバーオールを着て馬の背の上に居た。隣には同じように馬に乗る君。

 やがて君は私に目配せをして走り出す。

 私も君を追いかけて馬を駆る。

 早くなる速度に不思議と胸も弾んでいた。

 二人で走る草原の先には大きな夕日。

 そして目を細め見る真っ赤なそれは傘の赤へと戻って、いつの間にか私たちは君が持つ一本の傘を真ん中にして並んで歩いていた。

 そうだよ、あの時、私はなんだか楽しくてドキドキしていて、少し歩いたあとに君が今どんな顔をしているか見たくなって顔を上げたんだ。そうしたらちょうど君が傘を下げて、雨が止んだねって笑うから、急に顔が熱くなったんだ。バッチリ目も合っていたし、不意打ちはずるいよ。

 でも運が良かったのかな、タイミング良く子供が走って来て、二人で道の端に避けたから、きっと赤くなった顔は見られていないと思う。そうだ今みたいに――。



 公園の、私が座るベンチの前を子供たちが楽しそうに走って行った。

 本から顔を上げなんとなくその背中を目で追ってみると、子供たちは向こうで集まって何やら内緒話を始めたみたいだった。

 その姿を見て私はあることを思い出してしまう。

 心臓を掴まれたみたいに急激に胸の中が小っちゃくなって苦しくなった。

 いかんいかん。私は素知らぬ顔で落ち着いていなくっちゃ。

 私は平常心を取り戻すためにまた本を読み始めた。

 だけどやっぱり心の平静を保つって言うのはなかなか難しくて、私は思い出したあることをめくったページの上にのせてしまう。

 そう、それはある日突然知ってしまった君の気持ち。それと今日に続く時計台の伝説と秘密の計画。



 その日の昼休み私は君を探して屋上へ向かった。てっきり一人で居るものと思っていたのに、君は屋上で友達と話をしていた。

 声をかけようと近くに行こうとした時、私は偶然ある言葉を耳にしてしまう。

 告白。

 私は思わず身を隠した。

 そうだ、君が私に気が付く前、そこで私は君が友達と話していることを聞いてしまったんだ。

 まるで敵の基地に侵入した秘密組織の諜報員ちょうほういん、さながら悪代官の屋敷の屋根裏に潜む忍者、ううん、言うなれば暗号を解いて真相に辿り着いてしまった名探偵のように。

 霧深い西洋の街、ライバルの怪盗からの予告状、目の前には時計台とそれにまつわる伝説。

 午後三時、時計台の鐘が鳴り止むまでに告白をすれば、その恋は必ず成就する。

 君に見つからないように私はそっとその場をあとにして階段を降りる。

 次第に早くなる歩調。胸が高鳴り呼吸も弾む。

 自然と私は走り出していた。

 石畳の道を走る探偵も、屋根の上を飛び渡る忍者も、飛び立つヘリの縄梯子なわばしごに捕まる諜報員も、最後は全部の役を脱ぎ捨ててそのままの学生服の自分が。ドキドキと高鳴り続ける心臓のまま。

 そして走り続けた先、立ち止まって、呼吸が静まった頃、私は気が付いた、何時まで経っても静まらない心臓の鼓動に。目をつむり君を想うと胸が狭く苦しくなってしまうことに。

 私はやっぱり鈍感でここまできて、それでやっと知ったんだ。自分の気持ちを。

 君が好きだ。



 目を開け私は本のページをめくった。



 ねえ、君は今どんな気持ちかな。本当はどんなに誤魔化したって、どうしても私は君のことを考えてしまうよ。

 君は刻一刻と決められた時間に向かって時を刻む時計の針に焦っているのかな。

 グラウンドを駆けるロスタイムのサッカー選手みたいに、あるいは先生が乗る出発まじかの汽車へ急ぐ書生のように、それとも隕石が降り注ぐ中、タイムマシンに急ぐ博士かな。

 でもね、タイムリミットなんて本当は気にしなくてもいいんだよ。

 それがどんな世界だって、もしも時間を過ぎてしまったとしても、私は、君を待っている私は、君が手を伸ばしてくれれば必ず――。



 その時、鞄の中で携帯電話が鳴った。

 確認すると、もうすぐ着くからと君からの連絡。

 そのメッセージを見た時、安心したような緊張が増したような、不思議な感覚を覚えて思わず溜息を吐いてしまった。

 隣に置いていた赤い落ち葉をしおり替わりに挟んで本を閉じる。

 それからもう一度目を閉じて、そして想う。これからのこと、まだ本には書かれていないことを。



 ごめんね、ずるいかな、君は、ううん本当は私にも結末はまだ分からないのだけれど、君の気持ちを知っている私は、この胸の奥の温かさを感じながら、色んな世界の二人の幸せな未来を想像してしまうんだ。

 例えばこんな風な。

 魔の森を抜けた勇者がお姫様と結ばれて、呪いの解けた明るいお城の庭で幸せそうにダンスを踊っている。

 見上げたお姫様が空に見る飛行機に乗っているのは一人ではなくて二人。

 眩しい青空の中、楽しそうにタンデム飛行。

 飛行機が引いた雲を眺めるのは、穏やかな海辺の岩の上、寄り添い座る人魚と王子様。

 水平線の先には海路かいろを行く豪華客船。その船上のデッキ、君に呼ばれて振り返る笑顔の私。

 そして二人並んで歩くのは図書室からの帰り道。

 遠く稜線りょうせんに陽は沈んで空は群青色ぐんじょういろ。綺麗だねって見上げる空の月。

 うん、そうだ、それからそのずっと遠く月の上には、きっと、手を繋いで青く美しい地球を見る君と私がいるんだ――。



 公園のベンチから見る空の月はさっきよりも少し高い位置で白く輝いていた。

 私は時計台を見る。

 時間はまもなく午後三時の五分前。

 私は手に持っていた文庫本を鞄にしまった。

 そして最後に君に向け想う。きっと緊張している君を励ますように。



 私は大切な物語と一緒にこうして君のことばかり考えてしまうんだ。

 だから、ね。大丈夫。勇気を出せば絶対に。

 五分後、君の想いは私に届くよ。

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