不入の塚

大柳未来

イラズのツカ

 線香の香り漂う中、ボクは縁側に座っていた。

 ただボーっと、オレンジ色の空を眺めている。


 だいぶ経った今でも目の前で起きたことが信じられない。

 森の中、木登り中に落ちた友達の『タンジ』。名前を呼んでも返事をしない。


 おんぶした後必死で走った。森を抜けて、とにかく病院まで連れてかなきゃって。

 通りかかった近所のおじさんに助けてもらって、タンジは救急車で連れてかれた。


 その後、ボクは母さんにたっくさん怒られた。母さんと一緒に病院に行って、廊下でタンジのお母さんに会った。母さんがいっぱい謝ってて、ボクはただ泣いて頭を下げてるしかなかったんだ。声も出せなかった。


「よっこらせっと」

 隣におばあちゃんが座ってきた。

「ケント、お茶飲むか?」


「ううん、いい」

 ずずずっ、とおばあちゃんがお茶をすする。

「ケント、何があったか話してみ。わしは怒らんから」


 ボクは……怒らないというおばあちゃんの言葉を信じて話した。

 学校が休みだったからタンジと待ち合わせして通学路沿いにある森で、いつもの仲良し三人組で遊んだこと。

 タンジともう一人の友達が木登り競争をして、学校で二番目の木登り名人だったタンジが落ちたこと。それから何したらいいか分からず必死で、タンジを運んで走ったこと……。


「ケントは偉いねぇ」

「えっ?」


「何したら良いかわかんないで逃げ出さずに、友達をちゃんと助けた。怪我人への対処の仕方は間違ったかもしれんけど、見捨てなかったのは本当にすごいことなんだよ。ただ……」

「ただ……?」


「あの『イラズのツカ』はいけねぇ。いいか、ケント。よく聞け? あそこは昔な――」




「おい! ケント! 起きろ! ケント!!」

 ガバッ!! と体を起こす。夕日がまぶしい。夢か……。机に突っ伏して寝ちゃってたらしい。

「ほら、帰りの会終わるぞ! 気を付け! 礼!」


 さようなら! と教室中に声が響く。それと同時にクラスメートたちが席を立ち始めた。先生がボクの席に近づいてくる。


「どうしたケント。寝不足か?」

「はい、タンジに鶴を折ってて……」


 タンジは木から落ちて怪我してから、ずっと病院で眠り続けている。ボクはタンジの目が覚めるまで、毎日鶴を届けることにしていた。百羽ずつ届けており、今日でちょうど千羽揃うことになる。


「いつもの仲良し、探検タンケンコンビの相方だもんな。あんま無理すんじゃねぇぞ?」

「はい……!」


 返事をしながら荷物をランドセルに詰めていく。さっさと背負うと傍らに手提げ袋を持つ。中には昨日夜なべして折った鶴が入っている。


「あぁ、ちなみに今日はいつもより早く面会時間が終わっちゃうから、病院行くなら急げよ!」

「わかりました! さよならー!」


 ボクは弾けるように教室から飛び出した。当然、先生からは廊下を走るなと怒られたけど無視した。


 靴を履き替え、全力で走って校門から風を切って出ていく。通いなれた通学路を走り抜け、いくつもの黄色い帽子を追い抜かしていった。


 いつもなら時間をかけて家まで帰るけど、通学路をショートカットするための近道があるから使いたい。おばあちゃんが『イラズのツカ』と呼んでいた森でクラスメートの中でも何となく入っちゃいけないって噂されてる場所だ。


 道を走っていると、こんもりとした森が道沿いにあらわれた。日が沈みかけているからか、森の中は真っ暗闇で中を見通せない。なぜか中に入ってはいけないような気がしてくる。


 でも、お見舞いに何が何でも行きたいという気持ちの方が勝った。ボクがついていながらタンジを危ない目にあわせてしまったという気持ちが、胸の中に重くのしかかってくる。


「毎日お見舞いなんか来てたら大変でしょ」とタンジのお母さんが言ってくれたけど、違うんだ。これは罪滅ぼしなんだ。だから、タンジのためだけじゃない。ボクのためにも、絶対行かなくちゃいけないんだ。


 ボクは誰かに謝りたい気持ちになりながら、森の中に入っていった。タンジが怪我をした因縁の森の中に。


「はぁ、はぁ」

 息が上がりながらも、走り続ける。何度も探検コンビで中を調べまわったから、どう通ればいいのかも知り尽くしている。鬱蒼としてるから最初は広そうに見えるけど、案外そうでもないんだ。そろそろ森を抜けるはず。


「はぁ……はぁ……」

 記憶の中の森より広くなってる? なかなか森を抜けない。流石にしんどくなってきて、一度立ち止まる。走ったおかげで体は熱いが、森の中は日が入らないからか、異様なほどの涼しさを感じる。しばらくここにいたら、風邪でもひいちゃうんじゃないか? 前来たときはこんな涼しくなかったのに……。


「久しぶり、ケント」

 急に、背後から声をかけられた。男子の声だ。冷たい空気の中で、凛と響く声。

「寂しかったよ。なかなか来てくれなくてさ。遊びに来てくれたんでしょ?」


「久しぶり、だね。えっと……」

「タイシだよ。もう、忘れちゃうなんてひどいじゃないか」


 突然思い出す。そう、仲良し三人組でよくこの森の中で遊んでいたんだ。タンジが落ちた時に一緒に木登り競争をしてた友達、それがこの子だった。

「そうだった。ごめんごめん。タイ――」


 『独りきりの時に太子様と出会ったら、振り向いちゃいけないよ』


 おばあちゃんの言葉を思い出し、とっさに振り向くのを止める。何で忘れてたんだ? おばあちゃんにこの森には入っちゃいけないって、言われてたじゃないか。


「そうだ。この間、秘密基地を作ろうって話してたじゃないか。今から作っちゃおうよ」

 ボクたちは「探検コンビ」なんだから、昔から三人でつるんでたわけじゃない。いきなり仲良くなったのに、まるで親友みたいに急になじんできたんだ。それに……。


「ごめん、これからタンジのとこにお見舞いに行くんだ。今からは遊べない」

「つれないなぁ。ちょっとぐらいならいいじゃないか」


 やっぱりおかしい。友達が大怪我したってのに、ちっとも気に掛けてないような声で話しかけてくる。タンジが落ちた時も、木から降りてきた記憶がない。

「お前、タンジが怪我をしてた時に何してたんだ? 普通、友達が怪我をしたら謝りに行くんじゃないのかよ!」


「これには深い訳があるんだ……ごめん。でも、そろそろ目をあわせて話してくれたっていいじゃないか。そっぽを向かれたまま話すのは寂しいよ」


 のらりくらりと、こっちの聞きたいことに答えない。


「ねぇ、こっちを向いてよ」


 どん、と右肩に手を置かれる。感じたことのない感触が、シャツから伝わってくる。手のひらの形をした冷たさ。こんなに冷たいなんてあり得ない。葬式の時に触らせてもらったおじいちゃんみたいな底冷え。これじゃまるで――。


「ねぇ」


 心の底から震えてくる。

 思い出せ。おばあちゃんはなんて言ってた? 『イラズのツカ』についてなんて言ってた?


 時間を、時間を稼がないと――。

「タイシ、遊ぼう。隠れ鬼をしようよ」


 声を震わせないように、できるだけいつも通り話す。


「隠れ鬼か。いいね、やろう! じゃあ俺が鬼をやるから」

 すんなり提案に乗ってくれた。肩から手を放し、二三歩後ずさる気配を感じる。


「十数えるよ。十、九、八」


 急げ、隠れるんだ。

 急げ、急げ、急げ、急げ!!


 辺りを見渡す。近くに姿を隠せる草むらは?

 一つしかない。大木のそばで生い茂ってるあそこだけ。

 どうする? 行けるか――?


「七、六、五、四、三、二、一、ゼロ! もういいかい?」

 頭をフル回転させて何とか隠れたが、ボクは返事をすることができない。返事をしたら居場所がばれてしまう。


「いいってことだよね? 探し始めちゃうよ?」

 ひた、ひた、と足音だけが鳴り響く。自分の息遣いが、鼓動が、タイシに聞こえてないか不安になる。


「あっ」

 タイシが声をあげた後、無邪気に笑い始めた。


「ダメじゃないか。ケント」

 足音が真っすぐボクの方に近づいてくる。


「これじゃあ尻を隠して頭隠さず、だよ!」

 ガサッ! と草むらをまさぐる音。


「なっ……!?」

 そう、そこにはボクはいない。ボクは、そこに黄色い帽子だけ置いてきた。


 ボクら探検コンビは木登りのプロ。学校でタンジが二番目の木登り名人。でも一番はボクだ!!

 ボクは草むらのそばに生えてた大木に登り、枝にしがみついて隠れていた。振り向いたことにならないように、今は目をつむっている。


「どこに……どこに行ったぁあああ!! タンジはもう黄泉の国に連れていったんだ!!! オレに着いてこないと一緒に遊べないんだぞ! いいのか!!!!」


 叫び声が森中に鳴り響く。そうだ。二人きりの時に目をあわせると魂を黄泉の国に連れてかれるっておばあちゃんが言ってたんだ。じゃあタンジはもう――。

 いや、まだだ。思い出せ。まだおばあちゃんは何か言ってたはずだ。必死に記憶を掘り起こす。




「あの『イラズのツカ』はいけねぇ。いいか、ケント。よく聞け? あそこは昔な。ケントくらいの歳で亡くなった偉い豪族の男の子、太子様が眠ってるお墓なんだ。太子様はな、寂しがりだから友達同士で遊んでると輪の中に入ってきちまうんだ」

「……うん」

 ボクは生返事をして、あんまり真面目に聞いてなかったんだ……。


「そんで、二人以上で遊んでるときはただいつの間にか混ざってるだけだからええ。問題は独りの時に会っちゃいけねぇんだ」

 おばあちゃんは真剣な目をしてボクのことを見てくる。


「独りきりの時に太子様と出会ったら、振り向いちゃいけないよ。目をあわせたら魂を黄泉の国に連れてかれるから。わかったかい?」

「うん……」

「もしも会っちまった時はな――」




 ――思い出した。

 おばあちゃんから聞いた、タイシ様へのおまじない。


 自分の代わりに玩具を一つ、置いていくこと。そうすれば、玩具が身代わりになってくれる。

 うまく行くかは分からないけど、タンジだって救ってみせる――!

「見つけた」


 背後から声が聞こえる。タイシがいつの間に登ってきている!?

 ボクは木から飛び降りると、全力で走り出した。


「さぁ、観念しな! もう手が届く! タッチするよ!! ケント!!!」


「タイシ! 友達を、いっぱい連れてきた!! ボクとか、タンジの代わりに大切にしてくれ!!」


 ボクは走りながら手提げ袋を上に投げる。

 袋から大量の鶴が出てくる。舞い散る色とりどりの鶴たち。


 走る、走る、全力で走る。いつの間に後ろから追いかける音が聞こえなくなっている。

 唐突に目の前が明るくなった。


「うわ!」

 森を抜けた。ショートカット先の裏路地だ。空はまだオレンジ色だから、対して時間は経ってないのだろうか?


 助かったんだ……。

 恐る恐るボクは振り返る。森の中は変わらず、闇に包まれていて見えなかった。




『イラズのツカ』を抜けてから、ボクは急いで病室に向かった。そしたらタンジが起きてたんだ。鶴の代わりに、タンジの魂を返してくれたんだ!

「ケントくん! よく来てくれたねぇ!」


 ずっと暗い顔をしてたタンジのお母さんも、笑顔で迎えてくれてる。ボクの母さんも大喜びで二人の話し声がうるさいくらいだ。


「ケント、悪い。心配かけたな」

「いや、ごめん。ボクの方こそ止められなくて……」


「落ちる前の時のこと、あんま覚えてねぇんだけどさ。ケントが謝ることじゃねぇよ。ただ……オレのこと、助けてくれてありがとな。今度はあの森じゃなくて、別のとこ一緒に探検しようぜ!」


「うん! 探検コンビ! 復活だね!」

 ボクたちはガシッ! と腕同士をぶつけた。

 この後、大怪我したのにまだ探検に懲りてないのかと母さんたちに怒られたんだけどね。


 了

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