第8話 さらば、健次郎
前回の話で取り上げた通り、「桜田門外の変」の再現を狙った尊攘派浪士たちは、今度は坂下門外において老中安藤
結果的には井伊政権、安藤政権と二つの政権が立て続けに襲撃事件によって倒れたわけである。以後、この二つの政権のように幕府老中が大きな指導力を発揮する時代は二度と戻ってくることはなかった。そして外部の勢力、それは主に越前、土佐、宇和島、それに薩摩などの「旧一橋派」勢力のことを指すのだが(もちろん一橋慶喜本人も含む)、これら外部の力を借りて幕府は権力の維持を図るのである。
ところが、ここで思わぬ大事件が発生した。
「生麦事件」である。
この事件の重要性、さらにその詳細について解説すると紙幅がいくらあっても足りないのでそれは割愛するが(宣伝みたいで恐縮だが、筆者の前作『伊藤とサトウ』の序盤で詳細に解説してある)概略のみを記すと、馬に乗った四名のイギリス人(女性一名含む)が東海道の生麦村で薩摩藩の行列と遭遇し、薩摩藩士たち数名から斬りつけられ、イギリス人男性一名が死亡、二名が負傷した事件である。この事件によって幕府はイギリスに多額の賠償金を支払うことになり、薩摩藩はこの一年後、鹿児島湾でイギリスと「薩英戦争」を戦うことになるのである。
この生麦事件が起きたのは文久二年(1862年)八月二十一日のことであった。
それからしばらく経ったある日のこと、寅之助は事件があった生麦村を通って、横浜へやって来た。
何をしに来たのかといえば、清水
寅之助が吉田橋の関門をくぐって横浜
「そつじながら、あなたは千葉道場の吉田殿ではござらぬか?」
「いかにもそうですが」
「それがしは以前、千葉道場へ出稽古に出かけた際、貴殿の試合を拝見したことがござる。あの時の貴殿の剣さばきは実に見事でした。……いや、申し遅れました。それがし、水戸脱藩、桜井と申します」
千葉塾生と水戸浪士といえばどちらも尊王攘夷の徒で、そもそも相見知った親戚みたいなものである。両者はたちまち意気投合した。
会話を交わしている最中に桜井は、自分の腰に手を当てて
「それにしても噂で聞いていた通り、横浜は実にひどい所ですな。この有り様ですよ」
と無刀の状態になっている腰を強調した。
実は寅之助や桜井たちは、吉田橋の関門をくぐる時に関門の守衛に刀を預けてきたため、今、腰は無刀状態なのである。
横浜開港以来、この横浜では浪士たちによる外国人殺傷事件が頻発した。そのためそれ以降、浪士たちが横浜関内へ入る際には関門で刀を預けることが決まりとなった。しかもこの時は生麦で外国人が殺されてから間もない頃だったので、その規制は一層厳しくなっていた。それで浪士たちは、刀を取り上げられることを嫌って(そもそも西洋人や西洋文化であふれている横浜自体も嫌いなので)自ら進んで横浜へやって来ることはなかった。
ではなぜ?この三人の浪士たちは今回わざわざ横浜へやって来たのか?
「吉田殿。我々はこれから
「岩亀楼!?」
あまりにも意外な言葉を聞いて、寅之助はひどく驚いた。
「吉田殿は岩亀楼の
「あいにくですが存じません」
話というのは、こうである。
岩亀楼の遊女
この喜遊の話はどこまで真実なのか定かではない。前回の安藤襲撃事件に出てきた大橋
とりあえず寅之助は三人に同行し、横浜関内の南西に離れ小島のように建っている
そこはまだ作られて三年しか経っていないにもかかわらず、浅草の吉原顔負けの歓楽地と化していた。四人は港崎遊郭に入るとさっそく岩亀楼へ行き、喜遊の部屋の見学を申し込んだ。そして部屋へ案内してもらった。
寅之助は何の予備知識もなかったので特に感銘も受けなかったが、桜井たち三人は部屋に入ると、すぐに神妙に手を合わせて、喜遊の霊に弔意をささげた。
その後、部屋から引きあげる際、桜井が寅之助に言った。
「
「それはまた豪気ですな。して、どのような攘夷を?」
「場所を変えましょう」
寅之助たちは港崎遊郭を出て、横浜関内の北西側を占めている日本人街へ向かった。ちなみに南東側は外国人街となっており、その中間を貫く大通りによって両者は明確に区分けされていた。
寅之助たちは日本人街で店を出していた小料理屋に入って酒を囲んだ。
そこで桜井は寅之助に攘夷実行計画を説明した。
「西洋かぶれに対する見せしめとして、ラシャメンの口入屋を始末するのです。なに、武器なら大丈夫。実はこの店は我々が懇意にしている者の店で、さすがに
「その口入屋の目ぼしはついているのですか?」
「前もって仕入れた話によると、なんでもケンジロウという奴が派手に口入屋の仕事をやっているそうです」
寅之助はギクッとした。そして念のため聞いてみた。
「……ちなみにそのケンジロウという男は、上の名前は何というのですか?」
「さあ、相手は町人ですからな。上の名前は知りません。いや、別にそのケンジロウという奴じゃなくても、ラシャメンの口入屋であれば誰でも構わんのです。これから口入屋の居場所を捜索して、最初に見つけた奴を血祭りにあげるつもりです。で、あなたも一緒にやりませんか?千葉塾生なのだから当然一緒にやってくれるでしょう?」
「すみません。私は別の用事があって、これからそこへ行かねばならんのです。よく考えてみますので、あとでまた、この店に戻った時に返事をします」
「吉田殿。念のためにお聞きするが……」
「はい」
「あなたを信用しても大丈夫ですかな?」
「桜井殿。私も千葉道場の吉田寅之助です。あなた方の攘夷実行を邪魔するはずがないでしょう?」
「しかと承知した。では我々も聞き込みに出かけるとしよう」
こうして、四人は店を出ていった。
このあと寅之助は同じ日本人街にある清水卯三郎の店に行った。
寅之助の親戚である卯三郎が、蘭学を勉強し、伊豆でプチャーチンのロシア使節と接触するほどの洋学好きであったことは第一話で触れた。
卯三郎はそのあと英語の学習に力を入れるようになり、江戸のアメリカ公使館や横浜で英語を学んだ。卯三郎の英語力は順調に進歩し、二年前には『ゑんぎり志ことば』という実用的な英会話の本を自ら発刊するまでになった。そして今現在、卯三郎は横浜に店を出して西洋人との交流をますます深めていた。
寅之助が卯三郎に会うのは久しぶりなので、いろいろと近況を尋ねてみた。
「
「来るわけがないだろう。あの水戸びいきで、生粋の尊攘家である叔父上が。せめて叔父上にお前ぐらいの柔軟さがあればなあ。実際に横浜を見てみれば、もう刀の時代じゃないことが分かるはずだよ」
「それは俺に対するあてつけですか。俺は剣術に命を賭けてる人間ですよ」
「この横浜にいる西洋人は皆、懐にピストルを携帯しているよ。お前たちのように刀を振り回す日本人を恐れてな。でも、刀で銃に勝てるわけがないだろう?」
「一発目でこちらが致命傷をくらわなければ、勝つ自信はありますよ」
「バカ。相手は一人や二人とは限らないんだぞ。お前たちのように無鉄砲な連中がいるから、生麦であんな事件が起きたんだろうさ」
それから卯三郎は寅之助に、横浜で入手した生麦事件の話を聞かせた。幕府、薩摩、イギリスの間で一時は一触即発の場面があったものの、今では落ち着きを取り戻してお互い協議を続けている、ということだった。
「それで卯三郎さん。俺の幼なじみの斎藤健次郎という男が横浜で店を出してるはずなんだけど、今どうしているか知りませんか?」
「ああ、彼か。確かかなり前に店を閉めたんじゃなかったかな。ここの商売は浮き沈みが激しいからな。そんな奴はザラだよ。そのあと彼がどうなったかは全然知らんなあ……」
「……」
寅之助は卯三郎の店を出て、さきほどの小料理屋へ向かった。
むろん、寅之助はラシャメンの
そんなことを考えながら寅之助は横浜の街路を歩いていた。
(なるほど確かに、この横浜では日本人女性を連れた西洋人をぽつぽつ見かける。桜井ではないが、俺もこの風景を見ると無性に腹が立つ。特に、あの前からやって来る馬車だ。よりによってあの女、西洋の服を着て、西洋の男と一緒に乗ってやがる。顔はなかなかの美人だが……え?)
「寅ちゃん!」
その馬車に乗っている女はお政だった。西洋人の男と一緒に乗っており、馬車の上から寅之助に対して嬉しそうに手を振ってきた。
「お久しぶりねえ、寅ちゃん。こんなところで会えるなんてウソみたい。あっ、私いま、この人のお
寅之助は馬車の脇で呆然と立ち尽くしている。
「ねえ、モンブラン。この人、私のファミリーなの。一緒に乗せてあげて良いでしょ?」
と、お政がモンブランにお願いするとモンブランは「ウィ」と答えた。そしてお政が寅之助の手を引っ張って、馬車の後ろの座席へ座らせた。
寅之助は馬車の上で相変わらず呆然と座っている。馬車に乗るのも初めてなら、外国人をこんなに近くで見るのも初めてである。ともあれ、寅之助は大事なことを思い出した。
「そうだ!お政さん。健次郎の居場所を知らないか?」
「もちろん知ってるわよ。だって健ちゃんはモンブランの弟子だもの」
するとモンブランがお政に何か話しかけた。そしてしばらく二人は日本語とフランス語をちゃんぽんした状態で会話をした。
「モンブランが『健次郎の知り合いか?』って言ったの。ええ、そうよ、って答えたら、『健次郎の知り合いなら歓迎する』ってさ」
馬車は外国人居留地に入って、しばらくするとモンブランの家に着いた。もちろん西洋式の建物である。三人は馬車を降りて家に入った。そして入ってすぐに寅之助がお政に聞いた。
「健次郎はここにいるんですか?」
「いつもはね。でも、今は出かけてるの」
「どこへ?」
「まあそんなにあわてなくても良いじゃない。とにかく、そこへ座って」
と寅之助は言われたが、こんな西洋風の机と椅子に座るのは初めてである。しかもモンブランという西洋人が同席している。尊攘家の寅之助としては、とてもいたたまれない気分だった。しばらくするとお茶と茶菓子を持ってお政がやって来て、席に座った。
「本当にお久しぶりね、寅ちゃん。どう?元気でやってるの?」
(そんなのんきなことをしゃべってる場合じゃないんだよ!しかもこの外人の前で、俺はどうすればいいんだよ!)
と寅之助は気が動転しそうだったが、とにかく健次郎のことを早く確かめる必要があった。
「と、とにかく、健次郎は、健次郎は今どこに…?」
「ちょっと仕事に出てるの。夜には戻ってくると思うわ」
「その仕事って、……ひょっとして、ラシャメンの口入屋ってことはないよね……?」
と寅之助が言うと、お政は驚いた表情をして言った。
「あら。よく知ってるじゃない、寅ちゃん。その通り。お妾さんの口入屋よ。健ちゃんから聞いてたの?」
寅之助は仰天した。やはり、桜井たちが狙っていたのは健次郎だったのだ。
「健次郎の命があぶない!詳しく話してる暇がない。今どこにいるのか教えてくれ!」
と寅之助が説明すると、お政も賢い人間で、この商売がそういった連中に狙われやすいことを自覚しており、すぐに健次郎を連れ戻すことにした。
「分かったわ。じゃあ私が寅ちゃんと一緒に馬車で行って、探してあげるわ」
お政がこの話をモンブランに説明すると、モンブランも一緒について行くと言い出した。しかしお政がモンブランに
「相手は攘夷ボーイだから、あなたが来ると問題が大きくなるわ。ここは私たちに任せて」
と言って留まらせた。するとモンブランは寅之助の手を握って、何かしゃべり出した。むろん、寅之助は外国人から手を握られたのは初めてである。ひどく困惑した。けれどもこの状況では断れなかった。そして彼が何を言っているのか分かろうはずもないが、なんとなく「健次郎を無事に連れてきてくれ」と言っているらしい、と感じた。
お政はすぐに馬車を出発させた。隣りには寅之助が乗っている。馬車は外国人居留地の中を走り回った。
「多分このあたりにいると思うんだけど……」
それからしばらくして、お政は健次郎の馬車を見つけた。
「あっ、いたいた!」
そこには、
寅之助はお政の馬車から飛び降りて、健次郎の馬車へと大急ぎで走って行った。
「健次!」
「おや?寅じゃないか?そんなところで何してるんだ?」
「話は後だ。とにかく俺を乗せて、早く家へ帰れ!」
と言って、寅之助は健次郎の馬車に飛び乗った。
その健次郎の馬車がそこからいくらも進まないうちに、桜井たち三人が脇道から飛び出てきて、健次郎の馬車の前に立ちはだかった。三人はそれぞれ手に脇差しを握っていた。
馬車の後ろの席に乗っていた寅之助は
(しまった!遅かったか!)
と悔やんだ。
桜井は脇差しを振りかざして、健次郎に向かって叫んだ。
「夷狄に大和
その時、街路で「ズキューン!」と銃声が鳴り響いた。
もう一台の馬車に乗っていたお政が立ち上がって、空に向けてピストルを放ち、そして叫んだ。
「何言ってんのさ!私たちは体を張って外国人から金をまきあげているんだよ!お国のためって言うんなら、これ以上お国のために尽くしてる人間が他のどこにいるっていうのさ!」
これを聞いて桜井の脇にいた浪士が、お政に
「何を生意気なことを、この
「ちょっと待ったァ!」
と叫んで寅之助が馬車から飛び降り、桜井たちの前に立った。
「吉田殿!そんなところで何をしているのだ!」
「誠に申し訳ない!」
寅之助は三人の前で土下座した。
「実はこの者たちは私の縁者なのです。この者たちが改心するよう私が責任をもって説得するので、今回ばかりは見逃してもらいたい。そして願わくば、あなた方の攘夷実行は、もっと大きな相手に対しておこなって頂きたい」
「断ると言ったら?」
と桜井が言った。
すると寅之助は決然とした表情で言った。
「不本意ながら、力づくでも止めてみせる」
寅之助は素手だが、桜井たちも脇差ししか持っていない。しかしそのことはともかく、桜井は寅之助の気迫に満ちた表情に圧倒された。この状況では、桜井としても無理押しはできず、挙行をあきらめざるを得なかった。
「わかった……。残念だが引き下がるとしよう。……だが一言だけ言わせてもらう。千葉道場の剣客ともあろう方がこのような
そう言うと彼らは、足早にその場から去っていった。
寅之助、お政、健次郎はモンブランの家に戻った。健次郎が無事戻ってきたのでモンブランは大変喜んだ。
その後しばらく時間が経ってから、寅之助と健次郎の二人は外へ出て、海岸通りへ向かった。海岸に着くと、健次郎は寅之助にこれまでの経緯を説明した。
横浜で商売をしてみたが結局上手くいかず、すぐに事業に失敗したこと。そしてその頃、横浜で
フランス人シャルル・ド・モンブランは以前、安政五年(1858年)にグロ男爵の一行として来日し、そのとき健次郎に会ったことは第四話で書いた。それ以来、モンブランは日本に関心を持つようになり、この年の一月に単独で再来日した。彼はベルギーに城を持つフランス人で、一応
そのためお政は、この横浜では「フランスお政」と呼ばれていた。仮にも伯爵の地位を持っているフランス人の妻(現地妻)だからこそ付けられた
それにしても、お政とモンブランはある意味「似た者同士」であり、そのこともあって、この二人は本当に相思相愛のパートナーだった。
モンブランの好みの女性は、美人であるのは無論のことだが、歳は三十ぐらいの
一方、お政の求める男性像は、野心があり、欲望に忠実で、誰にも縛られない心を持つ男だった。なにしろお政自身がそういった人間だったので相手にもそれを求めた。その点モンブランはまさにその通りの人間だった。この二人は「何ものにも縛られず、自分がやりたいことを好きなようにやり、世界は自分を中心に回っているのだ」と思っているぐらい欲望に忠実で、まさに似た者同士であった。
健次郎はモンブランの家にお政と一緒に住みこみ、口入屋の仕事をしながらモンブランからフランス語を習っていた。ゆくゆくは横浜でフランス関係の貿易の仕事をやってみたいと思っていた。
寅之助と健次郎は海岸通りで海を眺めながら話し続けている。
そして健次郎は、寅之助に大事なことを打ち明けた。
「寅、俺は密航してフランスへ行くことに決めたよ」
「密航?!」
幕府は、外国との貿易を許可するようになったとはいえ、日本人の海外渡航の制限は何も変えていない。吉田松陰と金子重之輔が下田で密航に失敗して厳しく処罰されたのは八年前のことだが、その時と状況はまったく同じである。ちなみに一番早い密航留学と言われる「長州ファイブ」の密航は、翌年五月のことである。
「モンブランは近々フランスへ帰国する予定で、前からモンブランに『一緒にフランスへ連れていってやる』って言われてたんだけど、密航となると重罪だからためらってたんだ。でも、日本にいてさえ、こうやって命を狙われるんだ。これでいっそフランス行きのふんぎりがついたよ」
「そうか。フランスへ行くのか……」
「寅、俺はどうしても金を稼いで偉くなりたいんだ。横浜に住んでみて確信した。やはり日本は遅れている。成功するためには西洋へ行ったほうが良いに決まっている。だから俺はフランスへ行く」
二人は眼前に広がっている海を見つめている。
寅之助が口を開いた。
「やはり二度と戻っては来れないよな?」
「多分な。また密航すれば戻ってこれるかも知れないが捕まれば死罪だからな。幕府が海外渡航を解禁するまで、おそらく十年か二十年はかかると思う。それまで帰国は無理だろう」
「十年、二十年か…」
「海は広いな」
「ああ」
健次郎が口を開いた。
「攘夷など、くだらんと思わないか?」
「……いや、思わん」
「二十年後も、そう思っていられると思うか?」
「そんな先のことは分からない」
このあとしばらく沈黙が続き、それからようやく健次郎が口を開いた。
「じゃあ、俺は行くよ……。これでお別れだ」
健次郎は寅之助のほうを振り向いて右手を差し出した。握手の仕草である。
寅之助は「西洋のマネをするのは嫌だ」という感情が一瞬脳裏に走ったものの、なぜか自然と手を差し伸べて握手してしまった。
半月後、健次郎はモンブランと一緒に横浜を出港して、フランスへ向かった。
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