第20話 天狗党、決起

 渋沢栄一郎が京都で一橋家の家臣となり、斎藤健次郎がパリでモンブランの部下として池田使節と接触していた頃、寅之助は北武蔵の地で苦悶くもんしていた。

 栄一郎たちが計画した横浜襲撃計画に参加して共に戦死するつもりでいたのに、卯三郎の魂を込めた叱責しっせきによって(計画自体も立ち消えになったが)挫折した。

 それ以降、寅之助は志士としての目標を見失ってしまった。


 京都で天下を取る勢いだった尊王攘夷派、特に長州藩は、前年の八月十八日の政変で七卿と一緒に都落ちした。それ以降、尊王攘夷派の勢いは一気に衰え、公武合体派(例えば薩摩藩)が勢力を伸ばしていた。


 さりとて、幕府がすぐに攘夷政策を取り止めて、開国政策に舵を切り直した訳ではない。

 幕府が、建前上の政策に過ぎないとはいえ「横浜鎖港」を正式な政策として朝廷に約束し、わざわざヨーロッパまで池田使節を送った、というのは前回見た通りである。

 多くの人々の心にはまだまだ攘夷の熱が根強く残っており、幕府としても、そういった人々の声を無視できなかったのだ。


 西で尊王攘夷を代表する藩といえば長州藩である。

 かたや東でそれを代表する藩は、水戸藩である。

 元治元年三月二十七日、水戸藩の藤田小四郎こしろう(藤田東湖とうこの四男)が六十数名の手勢と共に筑波山で挙兵した。


 いわゆる「天狗党の乱」の始まりである。


 彼らが挙兵した理由は、まさに「尊王攘夷の素志の貫徹」というところにあった。

「幕府は、朝廷に横浜鎖港を約束しておきながら、いまだに横浜港を閉じようとしない。幕府は約束通り攘夷を実行せよ!」

 ということである。

 彼ら筑波勢はこのあと数ヶ月にわたり、日光、太平山おおひらさん(現在の栃木市にある山)などへ移動して回って陣を張り、その間に数百人の勢力に拡大した。そしてやがては千人を超える規模へと拡大していくのである。




 寅之助は久しぶりに江戸へ出て、神田お玉が池の千葉道場に顔を出してみた。


 道場の敷地に入ると、すぐに剣士たちの掛け声や竹刀で撃ち合う音が聞こえてきた。

(懐かしい。やはりここは心が落ち着く……)

 なんといっても寅之助は一年前まで、この道場で六年以上も修行してきたのだ。寅之助が知っている友人はいまだに数多く道場に残っている。現代の感覚に例えるなら、中学・高校の部活を卒業した先輩が母校に戻ってきた時のような、そんな感覚を寅之助は感じていた。


 突然寅之助が千葉道場に顔を出した理由は、天狗党の乱の情報を知りたかったからである。

 以前何度か書いたように、千葉道場は水戸藩との関係が深い。このとき当主だった千葉道三郎みちさぶろうも水戸藩に出仕している。

 この頃、寅之助の先輩である真田範之助は道場の塾長になっていた。しかし真田はこの時、まさにその水戸藩へ出張に行っていたので留守だった。


 寅之助は加藤という後輩をつかまえて話を聞いてみた。今、千葉道場と筑波勢(天狗党)の関係はどうなっているのか?と。

 すると加藤は答えた。

「少々難しいことになっております。吉田先輩もご存知の通り、水戸藩には正義派と門閥もんばつ派があり、門閥派は最近、諸生党しょせいとうと呼ばれているようですが、筑波勢の決起によって藩内対立がいっそう激しくなっているようです。それで、ご当主の道三郎様としても、どちらに味方すべきか迷っておられます」

「だけど、塾生は正義派が多いはずだろう?塾生たちは今、どうしてるんだ?」

「確かにここにいた水戸人は皆、水戸へ帰りました。彼らの大半は筑波へ向かったようです。まあ、水戸人以外でも筑波へ向かった者が何名かおりますが」

「真田塾長はどうされるおつもりなのだ?」

「もちろん真田塾長は筑波勢の味方です。多分、今回水戸へ行かれたのも、道三郎様が筑波勢の味方に付くよう説得しに行かれたのでしょう」

「加藤は今回の筑波勢のことをどう思う?」

「むろん、私も筑波勢と同じく横浜鎖港には賛成ですから、道場が一丸となって筑波勢に参加するのなら、それに従います。ただ、私は水戸藩の内情が心配なのです。この筑波勢の蜂起が、ただの水戸藩の内紛に変わるんじゃないか?と……。もしそうなったら話は別です。私は攘夷には賛成ですが、水戸藩の内紛に巻き込まれたくありませんから……」


 ここで「水戸藩内の対立」について少しだけ触れておきたい。

 この当時、全国ほとんどの藩で大なり小なり、内部対立があった。例えば長州藩における正義派と俗論派ぞくろんはの対立がその代表例と言えよう。この時代の正義とは、むろん尊王攘夷のことを指す。大体どこの藩でも正義派(尊王攘夷派)が改革派で、名門の門閥は幕府寄りの保守派だった。


 水戸藩も基本的にこの構図から外れてはいない。が、水戸藩だけは他藩と同列に比べることはできない。

 いや。水戸藩では対立がなかった、というのではない。その逆である。

 水戸藩の対立は、他藩とは比較にならないほど激烈で、陰惨で、破壊的であった。


 なぜ水戸藩だけがそのように特別だったのかというと、水戸藩は「徳川御三家」の一つであり、薩長のような外様大名と違って「倒幕」を意図することができない。そのため藩内部の不満を幕府へぶつけることが難しい。そのくせ水戸藩には光圀みつくにから始まる水戸学が存在し、さらに斉昭なりあきという尊王のシンボル的藩主がいたのである。

 極端な尊王思想があるにもかかわらず「倒幕」を意図してはならない。本来であれば水戸藩は「公武合体」を最も積極的に推進すべき立場だった。しかし水戸藩の激しい尊王思想は幕府に対する近親憎悪のような感情へと変わっていった。このジレンマがやがて大いなる欲求不満へと発展し、藩内で大爆発することになる。


 戦国の三傑は「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、すわりしままに食うは徳川」と言われるが、幕末の場合は「水戸がつき、長州がこねし天下餅、おいしく食べたのは薩摩と長州だけ」という結果になる。

 幕末の先陣を切るかたちで突っ走った水戸藩は、走り終わったあとに振り返って藩内を見てみるとぺんぺん草も生えないほどの荒れ野と化してしまい、維新政府に供給する人材がほとんど残っていなかった、という状態になってしまうのである。


 ちなみに「天狗党」の呼称については、斉昭側近の藤田東湖たちから始まる改革派(尊王攘夷派)に対して、身分の高い門閥保守派が「身分が低いくせに鼻が高く、高慢な態度を取る連中」と呼んだことから始まっている。




 それからしばらくのち、寅之助は甲山かぶとやまへ行き、友山と天狗党の乱について話し合った。

「先生は筑波勢の決起にどう対応されるおつもりですか?」

「ワシも立つつもりだ」

「筑波勢に参加されるおつもりですか!?」

「いや。筑波勢には参加しない。今こうして北関東で筑波勢が動いているうちに、いずれ西で長州が兵を挙げるはずだ」

「では、西へ行って長州の軍に参加するのですか?」

「いや、そうではない。幕府が筑波勢と長州のために東西へ兵を派遣すれば、江戸はがら空きになるはずだ。我らはそのがら空きとなった江戸を攻める。今、権田ごんだや竹内たちと挙兵の相談をしているところだ」

 寅之助はあっけにとられた。

 なるほど壮大な計画ではある。が、本当にそんな大それた計画が可能なのだろうか?と、今ひとつ現実味が無いようにも感じられた。


 ところで友山が述べた「権田」というのは権田ごんだ直助なおすけのことで入間郡いるまぐん毛呂もろ本郷ほんごう(現在の埼玉県入間郡毛呂山町もろやままち)出身の医師で国学者、「竹内」とは竹内ひらくのことで入間郡竹内村(現在の埼玉県坂戸市さかどし)出身の国学者である。ともに平田神道の一門で、権田は平田篤胤あつたねから、竹内は平田鉄胤かねたねから国学を学んでいた。二人とも友山の友人で尊王攘夷の信徒である。


「では、とにかく我々は筑波勢には加担しないということですね?」

「そうだ。ワシは長州にツテはあるが、水戸にはほとんどない。筑波勢の攘夷の志は大いに結構だが、水戸は藩内の対立が激しい。今は威勢の良い筑波勢が、本当に藩内の門閥派に勝てるかどうか。今は烈公れっこう斉昭様の時代ではない。あの『よかろう様』(現水戸藩主慶篤よしあつ)ではこの先どうなるか分からぬ。今はまだ様子を見たほうが良い。だからお前も筑波勢に加わってはならん」

「はい」

 と、寅之助は表面上このように答えたが、本心は違っていた。

 寅之助と千葉塾生たちとの関係は、根岸友山との関係と同じくらい濃い。

 しかもこの前、一緒に決起しようとして失敗した苦い経験がある。「今度こそは」という思いが強い。

 それゆえ、もし真田や千葉塾生たちから参加を求められれば筑波勢に参加するのもやぶさかではない、と寅之助は考えていた。




 六月になった。

 五日、新選組の近藤勇たちが池田屋に斬り込んだ。池田屋事件である。

 それと同じ頃、北関東の栃木宿で、筑波勢の田中愿蔵げんぞう隊が金品の略奪や殺人を行ない、挙げ句の果てに多くの民家を焼き払った。

 筑波勢は規模が大きくなるにつれて軍資金を必要とした。それで各地で富商に金を差し出させたりしていた。が、それにしてもこの田中隊の行為はやり過ぎだった。決して本隊の指示というわけではなく、田中隊が別働隊として勝手にやった行為なのだが、このことはすぐに広く知れ渡り、筑波勢の評判を大いに落とすことになった。


 数日後、寅之助は久しぶりに下奈良しもなら村の吉田市右衛門いちうえもん家へ来た。

 離れの家屋には、まだ松木弘安が潜伏していた。五代がここを去ってからすでに半年、松木がここに来てからすでに一年近くが過ぎようとしていた。

「今、江戸の藩邸と密かに連絡を取り合っているところだ。おそらく来月には藩から許しが出て、ここを出られるようになるだろう。いやはや、実に長かった。寅之助君、君にもこの間いろいろと世話になったな」

「そうですか。とうとう藩からお許しが出るんですか。それはおめでとうございます」

「それで、差し出がましいようだが、お多恵さんとのことはどうなっているのかね?いやなに、私もここでずっと彼女の世話になったので気になってしまうのだよ。どうも最近、彼女は元気がない。君たち、最近全然会っておらんのだろう?」

「はい……。まあ、こういうご時世ですから、私もいろいろと動き回っておりまして……」

「私はここでこうして隠れていても、いろんな所から書状を送ってもらって世の中のことを少しは分かっているつもりだ。君は尊王攘夷の志士だから筑波の天狗たちのように攘夷活動をしたいのだろうが、無理に死に急ぐ必要はないじゃないか。天狗たちの評判もあまり良いとは言えないようだし」

「松木さんは何でも知っておられる偉い人です。でも、我々のような下々しもじもの剣士や兵士たちの気持ちはお分かりにならないでしょう」

「ああ、確かに分からないかも知れない。だが、君が死んでお多恵さんが泣くようなことになれば、こんなバカバカしいことはない、とは思う」

「……」


 実は寅之助が市右衛門家へ来たのは、お多恵と会うためだった。

 確かに最近、寅之助はお多恵と会ってなかった。松木に言ったように、いろいろと動き回っていたため、という事もあるが、何となく会いづらかった。

 数ヶ月前、栄一郎たちの計画が頓挫とんざして寅之助の精神が不安定になっていた頃、お多恵と会っている時に寅之助は、つい彼女を押し倒してしまいそうになったことがあった。

 その時、思わず彼女の口を吸ってしまっていた。けれども、なんとかそこで踏みとどまった。

 今でも寅之助の精神はかなり不安定だ。会うと何をしてしまうか分からない。だから会わなかった。


 実はこの時、寅之助はお多恵に別れを告げに来たのだ。


 今のまま関係を続けていては、お多恵に気の毒だ。

 どうせ自分は、筑波勢に加わるにせよ、友山の江戸決起に加わるにせよ、今度こそ戦死するに違いない。

 仮にそうならなくても、京都では長州が戦争を始めそうな勢いで、どのみちこれから戦乱の時代になるのは目に見えている。いずれどこかの戦場で自分は戦死するだろう。

 だから、お多恵にはどこか別の男性に嫁いでもらったほうが良いに決まっている。

 寅之助は、そのように決心した。



 寅之助はお多恵を人気のない原っぱまで連れ出した。

 そこまで行く途中、お多恵の心の中は期待と不安が交錯した状態だった。


 原っぱの奥深くまで行くと、そこで寅之助はお多恵と向き合い、そして言った。

「今の今まで待たせてしまって誠に申し訳なかった。俺は今度のいくさで多分死ぬ。だから俺はお前の夫にはなれぬ。お前は、どこか別の男に嫁いでくれ。今まで待たせておきながら、こんなことになってしまって、誠に申し訳ない」


 お多恵は、まさか不安の方が来るとは思っていなかった。

 あまりのショックで、寅之助に向かってふらりと倒れかかって来た。それで寅之助はお多恵をひっしと受けとめた。

 寅之助の腕の中でお多恵は、当然泣いた。そして泣きながら言った。

「どうしてもいくさへ行かなくてはならないのですか?」

「そうだ。俺は剣士だ。戦に行かねば意味のない男なのだ」

「私と戦と、どちらが大切なのですか?」

「それは比べられぬ。俺はお前のことを死ぬほど好いている。だからこそ、お前を抱くことはできぬ。それに、戦から逃げて、お前に逃げ込むような男にはなりたくないのだ」

 その時お多恵は、とっさに上半身をあらわにして寅之助に抱きつき、唇を重ねてきた。

「抱いてください!寅殿を死なせたくありません!戦から逃げて、私に逃げ込んでください!」

 寅之助はしばらくそのままお多恵を抱きしめていたが、そのあとお多恵の体を離し、背を向けて、その場から去った。

 残されたお多恵はその場で、いつまでも泣いていた。




 そして七月に入った。

 それからすぐに真田から寅之助のところに手紙が来た。

「筑波勢の総帥、田丸稲之衛門いなのえもん様から自分のところに『千葉道場の塾生を率いて至急参加せよ』との書状が届いた。それゆえ、我々千葉塾生はこれから筑波へ向かう。寅之助、是非お前も参加せよ」

 という手紙だった。

(いよいよ来たか。こうなれば、友山先生の言いつけに背いてでも、行かずばなるまい)

 と寅之助は思った。


 ところがその直後、京都にいるはずの渋沢栄一郎からも寅之助のところに手紙が来た。


「現在、私は一橋家の家臣となっております。当家の平岡様の命により、腕が立ち、志のある人物を四、五十人ほど関東で雇ってくるよう言われ、私は今、江戸に来ております。是非あなたも志願しませんか?」

 という手紙だった。


 寅之助はこの手紙を読んで衝撃を受けた。

 まったく想像もしていなかった出来事が起こったからだ。

(あれほど幕府に批判的だった渋沢栄一郎が一橋家の家臣になっている、だと?しかもこの俺にも一橋家の家臣になれ、だと?)

 とにかく手紙だけでは要領をえないので、すぐに江戸へ出て栄一郎に会った。


「幕府の追及を避けるために江戸から逃げていったあなたが、わずか半年ほどで、まさか幕府の役人となって江戸へ戻って来るなんて、作り話でもあり得ない話ですよ、栄一郎さん」

「いやいや、私も自分の運命に驚いております。あなたもご存知の平岡様から推挙されたのです。それで喜作さんと……、いや今は成一郎せいいちろうと名前を変えたのですが、彼と一緒に人選御用で江戸へ戻ってきたのです。ちなみに私は篤太夫とくだゆうという名前に変えました」

「篤太夫?渋沢篤太夫さん、ですか?」

「ハハハ。平岡様から武士らしい名前にしろ、と言われて篤太夫に変えたのです。まあ、それはさておき……、書状に書きましたとおり、実は長七郎さんが誤って人を斬り殺してしまい、今、伝馬町の牢屋に入れられています。今度の江戸下向でなんとか長七郎さんを救い出そうと思って、伝馬町で釈放を陳情したのですがダメでした。無念です。また改めて陳情するしかありません」

「天狗の化身と言われた、あの長七郎さんがそんなことになっているとは……」

「天狗と言えば、筑波は大変なことになっているようですね。私もこっちへ来てやっと実情を知りました。実は私も少し困っているのです。腕の立つ剣士を雇おうとしていたのに心当たりの人物は皆、筑波へ行ってしまって、人が全然残っていないのです。千葉道場も既にもぬけの殻でした」

「実は私のところに真田さんから書状が来てまして、真田さんや塾生たちは今、浅草田島町たじまちょう誓願寺せいがんじに入って筑波へ向かう準備をしているはずです。誓願寺は故千葉周作先生の菩提寺ぼだいじですから」

「寅之助さん。あなたは一橋家に来てくれますよね?あなたに来ていただけると、私も本当に心強い」

「……。ところで、なぜあなたは一橋家に入ったのですか?あんなに幕府を嫌っていたのに」

「もちろん、私は幕府に入りたくて入ったのではありません。一橋公(一橋慶喜)は幕府でも特別なお方なのです。烈公斉昭様の尊王攘夷の遺志いしを継がれるのは一橋公しかおりません。それはあなたも御存知のはずでしょう?」

「それは確かにそうですが……」

「それに今となっては、一橋家に入ったのは、筑波勢を助けるためにも幸いだったかも知れません」

「と言いますと?」

「もし筑波勢が敗れて、酷い扱いを受けることになったとしても、水戸出身の一橋公であれば彼らを助けることができるかも知れないでしょう?」

「まあ、それは確かにそうかも知れませんが……」

「もしそうなったら我々が一橋公に彼らの宥免ゆうめんを働きかけるのです」

「……。とにかく、もう少しだけ時間をください。よく考えてみます」



 妙なことになってしまった、と寅之助は思った。

(これは尊王攘夷の志士たちに対する裏切りではないのか?志士であるならば、迷わず筑波勢のところへ駆けつけるべきではないのか?)

 とにかく寅之助は、その足で甲山の根岸邸へ向かった。


 寅之助から話を聞かされて、友山は驚嘆した。

「一橋家の家臣になるだと!?」

「いえ。まだ決めたわけではありません。一橋家の渋沢という人物から、そういう誘いを受けているだけの事です」

「今、東西で長州と水戸が幕府を挟み撃ちにしようとしているのに、お前はその幕府に付こうというのか?」

「渋沢さんが申すには、一橋公は烈公斉昭様の尊王攘夷の遺志を継がれるお方で、幕府の中でも特別なお方であると……」

「ふん。それはどうかな。ワシもかつてはそのように思っていた時期があった。だが、最近の幕府の動きを見ていると、所詮、あの一橋公も攘夷の意志など無いのではないか?とワシは最近思い始めている」

「一橋公の周囲にいる人間が悪い、という声もあるようですが……」

「どうだかな。それは一橋公に対する願望から生まれた、ただの錯覚かも知れんぞ」

「やはりダメですか?この話は?」

「お前自身はどうしたいのだ?」

「……」

「どうした?寅之助?」


「分からぬのです!!」


 と寅之助は叫んで泣き出してしまった。

 友山はあっけにとられた。


 寅之助は泣きながら友山に思いの丈を語った。

「千葉の同志たちと筑波勢のところへ駆けつけるのが良いのか、渋沢の誘いを受けて一橋家へ行くのが良いのか、私には分からぬのです!私だって、好き好んで死にたい訳ではありません!あの略奪の悪評もある筑波勢に加わって、本当に義のために死ねるのですか!私は水戸人でもないのに!普通に考えれば、どうしたって一橋家の誘いを取るでしょう!でも、それは千葉の同志たちに対する裏切りではないのですか!」


 寅之助の叫びを聞き終わってから、友山は答えた。

「バカな奴め、寅之助。男がそんなことでいちいち泣くな。決まっているだろう?お前の人生はお前が決めるのだ。家へ帰って一晩よく考えろ。そして結論を下したら、あとは後悔せずにその道をまっしぐらに進め。お前がどういう結論を出そうと、ワシは知らん」


 そのあと寅之助は四方寺しほうじ村の実家へ帰った。そして自分の部屋にこもって一人で熟考することにした。

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