片瀬 7

その日、すっかり陽が沈む頃になってから、ようやく時隆たちは戻って来た。

屋敷がざわつき、家人の足音が響く。

城までのあらましはさとから聞いた、と言うとしげは

「明日の朝早くには、戦へと向かわれる事となりましょう。勝鬨の御膳を用意しなければ」

と、少し寂しそうに笑った。

勝鬨膳は、出陣を祝い戦勝を願う食事だそうだ。明日は明日で、きっと御城で出されますけれどと、しげはてきぱきと準備を進めていく。

細く切った鮑を干した、打鮑。殻のまま干した栗を剥いて、渋川を取り除いた勝栗。それに昆布。敵を討ち、勝って

「よろこんぶ…」

駄洒落だねと呟く私に、

「縁起担ぎでございますね」

とさとが笑った。

これを神棚に捧げると共に、出陣するサムライ達に振る舞うのが慣わしらしい。

「今宵は若い者達も集まりましょう。賑やかになりますよ」

言いながら、しげは座敷に円座を置き出す。

それを手伝っているところに、湯を浴び、さっぱりとした様子の時隆が顔を出した。

「此処に居ったか」

やがて、同じようにさっぱりとした供回り達が、賑やかに現れた。その中には、にこやかな志乃介もいる。

「お帰り」

声を掛ければ、

「只今戻りました」

と笑顔が返ってくる。

上座に時隆、その脇に私。

左右に向かい合うように、供回り達が座を占めた。その前にはそれぞれに、勝鬨膳が配られている。

しげとさとが、お酒を継いで回る。

私も、時隆の杯を満たす。

皆がお酒を手にしたところで、時隆は、座敷を見渡してからうむとひとつ頷いた。

「今日は御苦労で在った」

そして私へ眼を移し、続ける。

「明日の早くに、千草城へと向かう」

ああ遂に。

私は思わず目を瞑った。

「先ずは、戦の先達として五百の兵を率いて行く。千草の市ヶ谷軍と合流し、陣容を整えた後に香河山へと入る」

「はい」

答えてから、俯いてしまう。

遂に私は、この人を戦争へ行かせてしまうんだ。明日には、ここを発つんだ。

「其の様な顔をするな」

時隆の声に笑いが混ざる。

「わしを信じろ」

目を開く。顔を上げる。

そこに、時隆が居た。

「わかった」

無理に微笑んで見せれば、座敷にはほっとした空気が流れた。

「では、」

時隆が、杯を眼の横まで持ち上げる。

「勝ち戦を願って」

「願って」

みなが口々に言い、杯を掲げ合い、静かに口元へ運んだ。


「奈々」

お酒が回り、座敷が賑やかさを増した頃、時隆が私を促して立ち上がった。

廊下を横切り、中庭へ下りる。

夜気がひんやりと肌を撫でる。

「美しいの」

腕組みをして空をみあげた時隆の向こうに、白く月がかかっていた。半円に近い、丸みをおびた月。その輪郭をくっきりとさせ、黒々とした空に光っている。

「どうやら明日は、雨に降られずに済みそうだ」

うんと頷いて、時隆の横顔を見上げる。その私の視線に、時隆は体ごとこちらを振り向いた。

「明日は、志乃介も連れて行く。奈々は、正親と此処に残れ」

「えっ」

思わず声を上げてしまう。

「なんで?私も行くわ」

「許さぬ」

「なぜ?」

「何故でもだ」

だって、と私は時隆を睨むように見た。

「私の今日の言葉で、時隆たちが戦いに行くことになったのよ?あなたや皆んなを危ない所へ行かせて、私だけがここに残る訳にはいいかない」

「無論、何れは香河山へ入って貰う。だが、其れは今少し早い」

眼を逸らし、素っ気なく言う。

「早いって、何が?」

時隆の前へ回り込み、私はその眼を捕まえた。

「ここで一人で心配して居るだけなんて、嫌だ」

その袖口を掴み、揺さぶった。

「それじゃなくても、私は今日のことをちょっと後悔してる。時隆や志乃介が望むままに、お父様や片瀬のおじさま方を戦へと導いてしまった。そしてあなた達を、危険な目に合わせてしまう。それもこれも、私の言葉のせいよ。殺し合いなんてさせたくない、そう思っているのに。その想いとは逆に、みんなをっ」

「止せ」

時隆が私を遮った。

「己の言葉の重さに、不安に為るのは解る。が、悔やむな。御前は香河山の姫だ。神守の唯一の生き残った命なのだぞ。国を守り、家を継ぐ為に戦うのだと、誇り高く申せば良い。御前が悔やめば、皆が迷う。迷いは弱さを生む。良い事は何一つ無い」

「そう言われたって…」

私は奈津姫じゃないんだから。

飲み込んだ言葉を解っているように、時隆は更に言う。

「確かに、御前は奈津では無い。だが所詮、名とは印だ」

「しるし?」

そうだと、時隆は頷いた。

「わしは、羽沢太郎時隆と名を与えられた時に、羽沢家の嫡男と成った。其れまでは、唯の童で在った。御前は、かみもりを名乗る女子だ。其れに誤りは無い」

「…そうだけど」

「かみもりは香河山を統べる家だ。御前は其処に連なる女子なのだ。その印として、神守家の奈津姫と言う名が与えられただけだ」

「でも、」

「生きるには、判り易い印で有ろう?」

ふっと時隆が笑う。お酒の匂いが、鼻をくすぐる。

「御前も此の世で生きるのならば、己の言葉に誇りを持て。やると決めたならやり抜け。想いと異なる言葉で在った等と逃げるな。御前の言葉に力を得た男が、此処に居るのだぞ?」

時隆が、私の指を解く。その手で私の腕を掴み、覗き込むように見下ろす。

「わしは、御前に印を貰った。七生を討ち、此の東国に新たな世を作る。その為に戦へ向かう、武将の印だ」

時隆の目が、ぎらりと光った。

「其れは、わしが望んだ印だ。御前がわしに与えて呉れた。御前にしか与えられぬ、掛け替えの無い物なのだぞ」

私は目を伏せた。

それ以上、時隆の眼差しを受け止める強さが、私にはなかった。

「兎に角、明日は笑顔でわしを送り出して呉れ」

「嫌だ」

俯いたまま、私は低く言った。

「私も着いてく」

「解らぬ奴だな」

時隆がため息をつく。私から手を離し、腕組みをする。首を振り、どこか気弱げに言う。

「香河山の様子が判らぬのだ。わしが此の目で確かめる迄は、御前を連れては行けぬ。様子が判れば直ぐに報せる。御前を呼び寄せる事も出来よう。だから奈々子、頼む。此処に居て呉れ」

「…初めから、そう言えばいいじゃない」

「左様か?」

時隆が惚けた声を上げる。

「そうよ。自分の眼で安全かどうか確かめてから呼ぶから、ちょっと待ってろって」

そう言われたら、これ以上駄々はこねられない。

時隆の言う通りだ。

この時代には、命懸けで国を家を人を想い、戦う男達がいる。

自分の言葉に、責任を持つのは当たり前のこと。それが戦争を引き起こすことなら、尚更だ。口にしてしまった以上は、私も命懸けで戦わなければならない。

例え、それが待機命令だとしても。

「明日は、夜明けに出る」

「うん」

「明後日には香河山へ入る」

「うん」

「片瀬の本隊を出すには、まだ時が掛かる。其れ迄、状況を探り、決戦へ向けて軍を整える。その頃には、御前を呼び寄せる頃合いも図れよう」

「わかった…だから、時隆」

「何だ?」

「死なないで」

両手を握りしめて、奥歯を噛み締めるようにして、ようやく言えたのに。

「約定は出来ぬ」

あっさりと言って、笑った。

それが悔しくて、私は更に言う。

「それでも言って、死なないって。私の所へ帰って来るって」

「良い加減な事は言えぬ」

「…頑固者」

「御前程では無い」

時隆が、空を仰ぐ。そのままで言葉を続ける。

「戦は命の遣り取りだ。わしは無論、敵も必死だ。何方が生き、何方が死ぬかは紙一重だ。戦場へ向かう以上、明日も生きて居るかは判らぬ」

「…そうだよね」

私も空を見上げ、目を細めた。

辺りの星の輝きを消してしまう程の光が、冴え冴えと下りてきている。

美しい夜だった。

「わしが、御前に言える事は、唯一つだ」

時隆が柔らかく言った。

「願おう。此の命が尽きる間際まで、わしは願おう。御前に会いたい、御前の所へ戻りたいと。この戦で死ぬとしても、無事戻りまた笑い合えるとしても。御前の元から出て行く度に、わしは願う。神に祈る」

再びお前に会いたい。お前の元へ戻りたい。

「誓おう、奈々子」

だから、自分を信じろ。

時隆が、私の中の弱さを叱咤する。

俺がお前を想っている。心は、共にお前と居る。独りではないぞ、と。

「…時隆」

そこに、穏やかに微笑む時隆が居た。

月の光が降り注いでいる。

「私に、惚れてるの?」

時隆がにやりと笑った。

「ばっかじゃないの」



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香河山ものがたり 木村えつ @kim-etsu

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