片瀬 6
神守家の血筋なら、ここに奈津姫が居るじゃないか。
城が燃えた。主だった重臣が斬り殺された。それでも国の存続のために、頑張っている若者だって居る。片瀬国に利用されることを承知で、それでも国を守れるなら、と言い聞かせて。命を懸けてでも、七生の理不尽な振る舞いに屈するものかと歯を食いしばり。
この私を信じて、奈津姫を掲げて、闘おうとしているサムライが居るじゃないか。
私は志乃介を見た。唇を噛み、拳を握りしめている、その姿を。
国は滅び、お家は断絶?冗談じゃない。
私が奈津姫の生まれ変わりなら。
神守家の血を引く娘なら。
その血筋は続き、令和の世まで続くんだ。絶えることなく続いたんだ。
私が、その証だ。
ふつふつと怒りが湧いてくる。
「あの、」
そして、口が勝手に動いていた。
くるりと体の向きを変える。後ろにいたサムライと目をあわせる。さっきの失礼なおじさんと。
「香河山の国主は亡くなりましたが、娘の私は生きています」
言っちゃったよ。
心の中で自分に突っ込みながらも、私は続ける。
相手は思わぬ反撃を受けたぞという顔で、真ん丸な目で、私の視線を受け止めている。
「神守家は代々女性が継いで来た家です。この私が生きている以上、国も家も滅んだと仰るのは、誤りではないでしょうか」
はあ、と横で永山が間の抜けた声を上げた。
「今の私に価値があるのかと訊かれたら、判りませんとしかお答え出来ません。ですが、香河山を守ろうとする若いサムライが居ます。彼らは命を懸けて、国の平和を取り戻そうとしています。私は、」
ふーっと息をひとつ吐く。
そして、覚悟を決めて言った。
「その想いに応えたいと、思っています」
胸の一番深いところが、ぽっと熱を持った。
これを言ってしまったら、もう戻れないけど。
言ってしまった。
「片瀬国が、そして時隆様が力を貸して下さるなら、私も香河山のサムライたちも、出来る限りのことをします。七生は仇です。その仇との戦いなら、必ず勝とうと思います。勝った後は、香河山をより良い国にしたいとも思います。それを見届けて頂けませんか」
私は、ぐるりと広間を見渡した。
「香河山と、私の価値を確かめるのは、その後にして頂けませんか」
しんと静まり返った広間の向こう、下座に座る時隆の供回り達が見えた。皆目を見開いている。口をぽかんと開けている。
「それから、」
と、私はお腹にぐっと力を入れた。
「色香に迷って戦いを始めるほど、時隆様は愚かではないと思います。そこに理由があり、得るものがあるからこそ、力を貸すと決めたのだと私は思っています。この片瀬を思う時隆様の心に、嘘はありません」
ひとつ息を吐き、また吸う。
時隆のために、これは言っておきたい。解って欲しい。
「私は時隆様を信じています。香河山のために力を貸して下さる、それが片瀬のためにもなる、そう言う時隆様を、信じています」
床に手をつく。
「私が信じるように、皆さまも時隆様を信じて頂けないでしょうか。時隆様が懸けようとしている香河山と私とを、一緒に信じては頂けないでしょうか」
一気に言ったあと、私は頭を下げた。深く。
広間がしんと静まり返った。
そっと視線を上げて見る。
その私に気づき、向こうで正親が目元を緩めた。範臣が可愛らしくにこりと笑いかけてくる。信賢が顔をくしゃくしゃにして笑っている。智充が首を振りながら苦笑して見せる。
その更に後ろで、さとが泣き出しそうな顔をしている。
目線をこちらへ戻せば、そこに志乃介がいた。大きな目を真っ赤にしている。握った両手が震えている。
そして、左右に並ぶおじさんたちは。
腕を組み目を閉じている。天井を仰いでいる。私を、その後ろの時隆をじっと見据えている。
そうしてそれぞれが、私の言葉を受け止めているようだ。
「これは、これは!」
不意に、久顕の声が響き渡った。
驚いて、反射的に前へ向き直る。
「大した姫じゃのう、時隆よ!」
嬉しそうに久顕が言う。
その時隆は、笑っていた。堪えきれないように、口を横に引き、白い歯を覗かせている。
「此れが奈津姫で御座いますよ、父上」
私を見つめる。
その鳶色の眼に、私が映っていた。
上守奈々子が。奈津姫ではない、ただの私が。
「わしは、此れ以上の女子を知りませぬ」
時隆は声を上げて笑った。
いつもこうなんだ。
何度目かのため息をつき、私は空を眺めた。どこまでも青く、高く、梅雨の晴れ間が広がっている。
城から屋敷に戻った私は、湯殿へ直行した。
「如何されました?何事かございましたのか?」
眉間に皺を寄せ、口をぐっと結んだ私を、しげはおろおろと出迎えた。
「後でちゃんと話す」
私は、しげに大丈夫と頷いた。
「だから、今日は髪を洗わせて」
今日の天気に、さとも反対しなかった。
湯桶に髪を浸し、ざくざくと髪を洗った。ぬか袋で地肌をこすった。湯ですすいだ。
それだけで、さっぱりした。
そして今、私は縁側で寝転んでいる。
手拭いを敷いた上に、濡れた髪を広げている。そこに陽が射している。
そんな無防備な姿で、私は空を見上げていた。
本丸の玄関先で、時隆と別れて来た。
自分はこの後軍議に出る、先に帰って居てくれと、正親とさとと共に送り出された。志乃介も城に残り、具体的な支援を片瀬と詰めると言っていた。
何だかぐったりと疲れてしまった私は、遠慮なく先に帰ることにしたのだ。
「姫」
草履を履いた私だけを、時隆は呼び止めた。
「感謝して居る。其方の言葉で、わしは助けられた」
「そう?」
「左様だ」
時隆は深く頷いていた。
「其方が信ずるに足りるわしで居続ける。其れから、」
僅かに言葉に迷った後で、心を決めるように、時隆は言った。
「わしも信じている、奈々子、御前をだ」
早口でそう言うと、気をつけて戻れよ、と背を向けて歩いて行ってしまった。
その言葉を思い返し、また落ち着かない気持ちになってしまう。
「いつもこうなんだよなあ…」
わざと声にして言ってみる。
ずっとそうだった。
期待されている自分になりたい。無理をしてでも、望まれる自分でありたい。
そうして生きて来た。
幼稚園教諭になったのも、そうだ。
本当は、ピアノを続けたかった。けれど、母が許してくれなかった。
「ピアニストなんて、才能があるほんのひと握りの人しかなれないのよ。それを本気で目指すつもりなの?頑張った挙句に自分には無理だと判っても、もう後戻り出来ないのよ?」
散々説教されたあとで、音楽大学へ進むことは認めてくれた。けれど母の望みは、幼児教育科を出て教諭免許を取ること。
ピアノ科を出ても、それを職業とする道は険しい。確かに、私の才能ではレッスンプロがせいぜいだっただろう。
それでも、打ち込んでみたかった。限られた学生という時間の中、がむしゃらにピアノを弾いてみたかった。その結果がありきたりの物でも満足、と言い切れるくらいに。無我夢中に。
けれど、母が描いた音大卒の娘像は、可愛い子供たちに囲まれた笑顔の私で。幼い頃から幼稚園の先生になりたいと言っていたんですよ、などと自慢できる次女で。
「幼稚園の先生ってさ、お見合いで人気らしいよ。とりあえず就職して、せっせとお見合いして、いい男捕まえればいいじゃん。間違って貧乏なオーケストラなんかに入っちゃったらさ、バイトに追われる人生だよ?虚しいだけでしょうが」
両親自慢の、成績優秀スポーツ得意で容姿端麗な双子の姉は、口を歪めてそう言った。
「あんたはママの言う通りにしてればいいんだよ」
「判ってるよ」
俯くしか出来なかった。
そうして私は、幼稚園の先生になったのだ。
けれど、嫌いではなかった。子供たちの歌声に合わせて弾くピアノ。
そんな私に、母は得意げだった。
上司も同僚も
「それを天職って言うのよね」
「だから上守さんは、いつも幸せそうなのね」
と感心してくれた。
でも違う。違うんだよ。
心でそう叫んでいても、私は笑って見せた。
天職に恵まれた私。子供の頃からの夢を叶えた私。
それを演じ切れるはずだった。なのに。
がばりと起き上がる。
落ち着かないまま、両膝を抱える。
今日の私は、時隆が望む私。志乃介が求める私。皆が描いた、理想の香河山の姫君だったんじゃないだろうか。
でも、それなら、あの怒りは何だった?
口にした言葉に嘘はなかった。それだけは言える。
「そう言えば」
私は眉を寄せた。
「時隆、おまえ呼ばわりしたな」
その意味を考え、また落ち着かなくなってしまう。
「あーっ!」
呻き、頭をぶるんと振った。
いつになくさらりとした髪が、少しだけ気持ちを落ち着かせてくれた。
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