片瀬 5
大広間の戸口に立つと、中に居たサムライ達が一斉に振り返った。その視線の全てから守るように、時隆が私の前に立ちはだかる。
その姿に、皆が慌てて向き直り、手を付き、頭を下げた。
けれどその目だけは、ちらりちらりとこちらを盗み見ている。
ごくり。
思わず唾を飲み込んだ私を、時隆が軽く振り向く。勇気づけるようにひとつ頷くと、時隆は広間へと足を踏み入れた。
深く息を吸い、吐いた。
それから、私も一歩を踏み出す。
後ろに続いていた智充や正親は、入ってすぐに足を止めた。その辺りの下座に座る。
さとは、廊下で控えるようだ。その場所で、祈るように励ますように、私の背中を見つめるのだろうか。
奥へと広い縦長の座敷を、私と時隆は歩いて行く。その後を、志乃介だけが着いて来る。
進む両脇を、片瀬国のサムライが埋めている。中年から初老にかかる男達が多い。若者は、時隆の供回りくらいのようだ。
この中で、若よ御嫡男よと言われ、時隆は暮らしているのだな。
こちらを見極めようとする沢山の目、目、目。
きっとそれぞれの思惑がある。
中には、時隆を引き摺り下ろそうとする人がいるのかも知れない。
私はそっとため息をついた。
若い供回り達の結束の強さは、共有して来た時間だけが理由じゃない。この中で、時隆を支えようとする強い意志。若さゆえの、この大人達への対抗心がそこには有るのだろう。
ずらりと並ぶサムライ達の中を、私たちは進む。
背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を見ていた。
卑屈な思いだけは持ちたくない。
そう強く思った。
そうして私は、背を伸ばして歩く。顎を上げ、時隆の背中を見つめて。
香河山の姫として。
時隆と私の足が、敷居をひとつ越えた。
続きの間の一間に、一段高くなったスペースがある。脇息が置かれ、ふかふかの座布団が敷かれたそこが、国主お出ましの場のようだ。
その手前で、時隆が足を止めた。ゆっくりと腰を下ろし、胡座をかく。そのすぐ脇に座るように、私を目で促す。
うん。
私は背を丸めないように意識しながら、腰を落とした。片膝をつくようにして、ゆっくりと。そこから、緩やかに正座に持っていく。
あれだけ練習したのだ。ここで使わずにどこでやる。
私は気合い一発で、その美しい正座を決めて見せた。
そっと振り返ると、はるか後ろでさとが大きく頷くのが見えた。
「姫さま、お上手です!」
その声まで聞こえてきそうで、思わず口元が緩んだ。
私の後ろに、志乃介が控える。此処に居りますよと、僅かに微笑んで見せる。
うん。
瞬きで答えた時、前で人の気配がした。
時隆が両膝に手を置き、軽く頭を下げて迎える。後ろで左右に並ぶサムライ達は、更に深く頭を下げる。
いよいよ、国主のご登場らしい。
これも何度も練習した。
両手を床につき、頭を丁寧に下げる。そのままの姿勢で、ゆったりと構えて待つ。
視線を落とした私の耳に。やがて軽やかな足音が聞こえた。
「皆、面を上げよ」
男性にしては高いその声に、私はしずしずと顔を上げた。
くるんとした瞳と出会った。興味深そうに、面白そうに、私を見下ろしている。
それが、時隆の父だった。
「奈津姫か?」
「はい」
時隆が低く答える。
私は、改めて頭を下げる。
似ていない親子だった。
栗色がかった髪を、無造作に結んでいる。丸い顔に丸い鼻、大きく厚い唇。二重の大きな瞳が、子供のように光っている。肉付きの良い体も、時隆とは正反対の男だった。
「片瀬国国主、羽沢久顕じゃ」
「奈津でございます。お初にお目に掛かります」
最初のセリフがすっと出た。
時隆が横目で視線を送ってくる。良く出来ました、と言ったところかも知れない。
一息つき
「これは、」
と、私は斜め後ろの志乃介を視線で示した。
「わたくしのお側役、北谷志乃介でございます」
「北谷で御座います」
志乃介が生真面目に頭を下げる。
二人は初対面でないけれど、ここはけじめだ。サムライ達の手前、私に付き添う役所、初のお目見えという体を作るべきと考えた。
うむうむと、全て解っておるぞと言いたげに久顕が頷いた。
「美しい姫じゃな」
惚けた口調で時隆へ言う。
「左様で御座いますな」
と、時隆も呑気な口振りで答えた。
「して、此度は、」
その久顕の言葉を遮り、うえっへんっ!とものすごい咳払いがした。
びくりと振り向けば、私のすぐ右後ろにいた初老の男だ。伸びた眉毛の下から、私を睨みつけている。
「永山、如何した?感冒にでも罹ったか?」
時隆が振り向きもせずに言った。
「いやいやいや」
首を振りながら、永山がずいっと前へ出てくる。
「恐れながら、」
と、えっへんともうひとつ咳払いをする。
「時隆様に置かれましては、此の姫君を御屋敷に招き入れ、共に暮らし始められたとか」
「永山、」
久顕が口元だけで笑いながら、冷たい声を挟んだ。
「此の場にて訊くべき事か?」
「恐れながら」
更にずいっと、永山が出て来る。私と肩を並べるようにして、声を張り上げる。
「お館様の御前で在るからこその、此のじじぃの愚問で御座います。香河山の姫君にも、是非、御自分の御立場を考えて頂きたい」
強い怒り、いや憎しみなのだろうか。強い思いを込めて、私を睨みつけてくる。
時隆が、ついっと振り返り、その永山へ半身を向けた。
「何なりと申してみよ」
永山の私への感情を跳ね除けるように、強く眼差しを向ける。受けて立つぞと、私にも視線を寄越す。
広間を埋めた男達が息を飲む。腕を組む。お手並み拝見、と言った空気が漂い出す。
永山と時隆、どちらの力量を見極めたいのかは判らなかったけれど。
志乃介が眉を曇らせている。後ろの供回り達が、さとが、不安げな眼差しを向けてくる。
面倒なことになったなぁ。
そう思いつつも、仕方なく時隆に小さく頷いた。
「時隆様に置かれましては、此度の香河山で起きた痴話喧嘩におん首を突っ込まれ、此の姫君に肩入れされる御積もりと見受けまする」
ち、痴話喧嘩?
私の片方の眉が上がる。
「其れも此れも此の、」
と、永山が下品に顎で私を示す。
「姫君の色香に迷うての事では有りませぬか?そもそも事の起こりは、意に沿わぬ縁組から逃げ出した、此の御方の我儘に過ぎませぬ。七生国が嫁御を返せと申して来るは、至極当然の事。さっさと七生へ御送りし、戦の火種など消し去れば良い。其れとも、」
永山の声が、一段と力を増す。
「時隆様は、七生の木偶の坊より此の姫君を奪い、我が物とされるお積もりか?」
「為れば如何する?」
時隆がにやりと笑った。
「姫を我が物とすれば、香河山国までも手に入る。古より続く由緒正しき神の国だ。片瀬にとって、悪い話では有るまい」
また悪ぶって見せている。
「色香のう」
そこへ、久顕が惚けた口調で割り込んだ。
「由緒有る神守家の姫君が、色仕掛けで時隆を誑かすとは思えぬがのう」
「真に」
時隆は頭を下げる。
「此の姫君は、色香を余り放ちませぬし」
…悪かったわね、色気がなくて。
私は時隆を睨みつけた。
その親子の惚け様に、永山は身を震わせた。
「一体、如何されるお積もりか。姫君を屋敷に入れ、御館様に援軍を頼み、香河山に肩入れ為さる。此の国を思うての事とは思えませぬぞ!」
皺がれた声を張り上げる。
「永山、」
時隆は、落ち着いた声を掛けた。
「今は我等の身の上を案ずる時では無い。国の大事なのだ。此れを乗り越えるには、片瀬と共に、姫に居て貰わねば成らぬ」
ふむと久顕が頷いた。
「わしは、己の想いのみで姫を連れて来た訳では無い。此の姫が居なければ、七生と事を構える事が出来ぬ。彼の国の横暴を、指咥え眺めるのみの腰抜けだ。其れが解らぬ其方では有るまい」
「しかしながらっ」
永山の怒りを遮り、久顕が後を引き受ける。
「確かに、七生は奈津姫の引き渡しを求めて来て居る。渡せねば片瀬との戦も止むを得ぬ、とも言うて来た。然し仮にだ、姫をあの木偶の坊の嫁御に取られたなら、香河山は七生の属国と成る。其れを足掛かりに、次に攻めて来るは我が国ぞ」
時隆が続ける。
「何れにしろ、七生とは戦に為る。事此処に至っては、奈津姫を守り、香河山を助けるが大義。見捨てるは恥で有ろう」
「恐れながら」
今度は、私の左斜め後ろから声が上がった。
永山と同年代のサムライだ。これも頭が固そうだ。
「国主を喪った香河山は、滅んだも同然。既に御家は断絶の御状況と見受けまする。其の姫君に、如何程の価値が御有りか。某は甚だ疑問で御座いますぞ」
「いやいや、全く持って!」
味方を得た、とばかりに永山が大声を上げる。並ぶサムライ達も
「此のまま滅び行く国に、のう」
「我らが力を貸さずとも…」
「あの姫君に何が出来ると言うのか…」
ざわざわと言葉がぶつけられてくる。
失礼なおじい達だなあ。
私は両の眉を寄せた。
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