バエミン

怜 一

バエミン


 ある日、スマホの画面にバエミンさんからフォローされましたという通知が表示された。


 バエミン?誰?


 友達やクラスメートに心当たりはないし、そもそも、私のSNSアカウントは仲の良い数人にしか教えていない。

 スパムか、もしくは友達の新しく作ったアカウントか。気になってしまい、バエミンのプロフィールを確認しにいく。


 これ、めっちゃバエてるよね?


 プロフィール欄にはこの一言だけしか書いておらず、それとは対照的に大量に投稿されている画像は日常的な風景ばかりだった。

 花壇に広がる、ひしゃげた花。

 薄汚れた電柱。

 どこでも見かけるコンクリートの地面。

 とても映えてるとは言い難い、独特な被写体ばかりを写していた。


 変な人からフォローされちゃったな。


 結局、正体はわからなかったものの、その不思議な雰囲気に少しだけ興味をそそられ、フォローを返して放置することにした。


 その後も、バエミンは数日に一度のペースで画像を投稿していた。

 誰かの家の玄関前。

 どこか知らない公園の砂場。

 錆びたシャッター。

 相変わらずなんの変哲もない風景ばかりが写っていたが、その力の抜けたセンスが癖になり、いつの間にか、私はバエミンの投稿を楽しむようになっていた。

 

 ある日のホームルーム。

 担任の先生から、学校の地域周辺で通り魔が出没したので下校する際は気をつけるようにと、注意喚起がなされた。事件の詳細は教えてくれなかったが、噂によると、昨晩、真夜中の商店街を歩いていた帰宅途中のサラリーマンが虹色のパーカーを深く被った何者かに刃物で刺されたらしい。


 幸い、通りかかった人の通報によりサラリーマンは一命を取り留めたが、左の脇腹を深く刺されており、少しでも遅ければ死んでいたかもしれないほどの重傷だったようだ。

 その話を聞いて怖くなった私は、途中まで友達数人で固まりながら下校し、そのままバイト先へ向かった。


 バイト先に着いた私はユニフォームに着替えて、店内へ出る。お客様から注文を取ったり、配膳全般をこなし、午後五時から午後九時くらいまで続くピークを終え、客席がまばらに空いてきた頃。店内に無機質な音が響いた。


 ピンポーン。ピンポーン。


 呼び鈴の音に振り返り、壁の天井付近に設置してあるモニターを確認する。モニターには赤い文字で13と表示されており、私はその番号が割り振られている席へ向かった。


 ッ!!


 私は驚きのあまり目を見開いた。席に座っていた柄の悪そうな金髪の男は、オーバーサイズ気味の虹色のパーカーを羽織っていた。

 "虹色のパーカーを深く被った何者かに刃物で刺された"という通り魔の噂が脳裏を過ぎり、恐怖のあまり言葉を失う。


 すぐに注文を取らない私にイラついた男は、いかにも不機嫌そうに睨んできた。男の態度に怯えながらも接客をする。なんとか注文を取り、男に料理を運んだ時点でシフトが終わる時間になった私は、早々に身支度を済ませて店を出た。

 

 最寄りの駅を抜け、徒歩十分の自宅を目指して歩く。

 すっかりと暗くなった通い慣れた道。信号の光だけがポツポツと光る。静まり返った住宅街は人通りが少なく、ここで悲鳴すら上げられずに襲われたとしたら、誰にも気がつかないだろう。


 もし、あの男が通り魔だったらどうしよう。


 そんな不安が恐怖に変わり、どんどんと早足になっていく。登るだけで息を切らすほどの急な坂を駆け上がり、それでも速度を落とすことなく、自宅まで一気に駆け込んだ。


 帰宅後、私はお風呂に入り、一息ついていた。冬にも関わらず汗だくになった服を脱ぎ、緊張した身体を伸ばしてリラックスする。

 冷静になって考えてみると、少なくとも、今日、自分が襲われることはない。もし、あの男が通り魔だったとしたら、男に注文を運んだ直後に自分は店を出たのだから、あの男が私に追いつくはずはない。


 走んなきゃよかった。最悪。


 そもそも、そんな都合良く通り魔に会う可能性も低いし、事件があった翌日に同じ服でファミレスに来るなんてありえない。

 考えれば考えるほどバカらしくなってきて、風呂を出た頃には、通り魔のことは頭の中から綺麗さっぱり消えていた。


 寝る準備を終え、ベッドに潜りスマホを弄る。SNSや動画などを眺めていると、バエミンの投稿を通知するバイブレーションが鳴った。

 さっそくSNSを開き、投稿されたての画像を表示する。そこには、私がバイトしているファミレスの玄関が写っていた。


 えー!?バエミンと地元一緒かも!めっちゃ嬉しいっ!


 予想外のことにテンションが上がった私は、思わず、その投稿を評価するボタンを押して眠りについた。


 翌朝。

 バイト先であるファミレスの玄関前で、男の死体が発見されたというニュースが飛び込んできた。凶器は刃物で、刺し傷は十数箇所にも及び、特に顔が原型を留めていないほど滅多刺しにされていた。そして、その死体は金髪で虹色のパーカーを着ていたという内容だった。


 もしかして、あの男…?


 ゴトリ────。

 ニュース記事を見ていたスマホが手から滑り、フローリングの床に落ちた。

 頭を鈍器で殴られたような目眩に足元がふらつき、ベッドに倒れる。心臓が痛くなるほど脈打ち、嫌な汗が全身から吹き出す。


 もう少し帰る時間が遅かったら、殺されていたのは私だったかもしれない。


 その恐ろしい事実に、全身の力が奪われた。荒くなる呼吸を抑え、必死に自分の身体を抱きしめる。

 

 コンコン。コンコン。


 誰かが部屋をノックした。

 返事をすると、母親が朝食を食べにこない私を心配しにきたようだった。二、三言葉を

交わし、少しだけ恐怖が薄まった私は、ベッドから立ち上がり、リビングへ向かおうとする。その時、微かな振動が地面から伝わってきた。その振動は、先程落としたスマホからのバイブレーションだった。

 

 スマホを拾って画面を確認すると、バエミンの投稿を知らせる通知が届いていた。しかし、同時に遅刻ギリギリを示す時間も目に入り、通知を開かないままリビングへと降りていった。

 

 教室に入ると、生徒達は殺人事件の話題で盛り上がっており、朝のホームルームでは担任から部活動の中止や集団下校などの指示が下された。バイト先からもしばらく休業になる旨の連絡が入り、たった一日で日常が非日常へと変わっていった。


 放課後。

 集団下校といっても最寄りの駅までらしく、そこからは各々帰宅することになった。

 私が帰宅する道に同じ学校の生徒は居ないので一人になってしまったが、昨晩とは違い、まだ明るい時間帯で人ともすれ違うため、そこまで不安はなかった。


 昨日、駆け抜けた坂へと渡る信号が赤になる。暇を持て余した私はスマホを取り出して、今朝、バエミンの投稿通知が来ていたことを思い出した。

 親指で画面を操作し、バエミンが投稿した画面を開く。


 ピポッ。ピポッ。ピポッ。ピポッ。


 奇妙な音が、信号が青へ切り替わったことを知らせた。しかし、私の足は一歩も動かず、とてつもない恐怖に竦んでいた。

 バエミンが投稿した画像には、坂の途中で全身を刺され血塗れのまま倒れている私の姿が写っていた。


 なっ、なにこれ…!?


 怖くなった私は画像を横にスクロールして、バエミンが過去に投稿していた日常風景に戻ろうとする。しかし、昨日の投稿された画像には、ファミレスの玄関にもたれた虹色のパーカーを着た男の死体が写っていた。その男も全身が血塗れになるほど刺されており、ぐったりと俯いた顔からは大量の血が滝のように流れていた。


 昨日はこんなの写ってなかったっ!なんでっ!どうなってるの!?


 過去に投稿された画像を次々にスクロールしていく。そして、その画像全てにさまざまな人間の死体が鮮明に写っていた。


 花壇に広がるひしゃげた花────の上に横たわった死体。

 薄汚れた電柱────に打ち込まれたボルトに吊るされた死体。

 どこでも見かけるコンクリート────の地面にうつ伏せで倒れてる死体。


 誰かの家の玄関前────に転がる死体。

 どこか知らない公園の砂場────に胴体を埋められ、手足と顔だけが出ている死体。

 錆びたシャッター────に強く打ち付けられたであろう死体。


 私は直感で理解した。

 この信号渡り、あの坂を登ったら、バエミンに殺される。

 私は坂道とは真逆の方へ、逃げるように駆け出した。恐怖に震えた足を引きずり、人混みを掻き分けていく。

 出来るだけここから遠い場所まで迂回して、帰宅する。

 それだけを考え、走った。

 

 自分が考えうる限りの一番遠い迂回ルートを辿り、住宅街へ入っていく。その頃には歩くだけで精一杯というくらいの力しか残っておらず、意識も朦朧としていた。

 ここから自宅まで、歩いて三分もかからない。文字通り、目と鼻の先に家がある。


 周りに人もおらず、流石に安心した私は、ふらふらになりながら玄関の前にたどり着いた。鞄から鍵を取り出し、差し込む。


 ピロリン。


 背後から、なにかをスマホで撮影する音が聞こえた。

 荒かった呼吸がピタッと止まる。

 恐怖のあまり叫ぼうにも喉が締まり、あ、あ、というか細い声を漏らすことしかできない。

 正体を確かめるべく、私はゆっくりと振り返る。そこには、フードを深く被った、虹色のパーカーを着た女の子が私の後ろ姿をスマホで撮っていた。


 女の子は一歩、また一歩と私に近付いてくる。

 鍵を捻り、家に入って、すぐに扉を閉める。そうすれば女の子から逃げられるのに、なぜか身体が固まって動かない。

 ついに、女の子と私の距離は拳一個分までに近付いた。不自然なほど全く顔が見えない、フードの暗闇から女の子の囁きが聞こえた。


 「ここじゃバエない」


 その瞬間、私の視界は暗闇に包まれた。

 目覚めると、目の前は見慣れた天井だった。どうやら、私は家の前で気絶していたらしく、家族が運び込んでベッドに寝かせてくれたらしい。

 

 私はスマホでバエミンの投稿を確認する。

 投稿されている画像に死体は一切写っておらず、今までと変わらない、何気ない日常風景に変わっていた。


 私、幻覚でも見てたのかな?


 とりあえず一安心できた私は、SNSのアプリを閉じようとする。すると、スマホが小刻みに震え、勝手にバエミンの投稿が画面に写し出された。そして、投稿された画像には、私の後ろ姿のみ写っていた。



end

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

バエミン 怜 一 @Kz01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ