エピローグ

【エピローグ】

 小夜が運転する車は組合へ向かう道路を走っていた。隣の助手席には当たり前のように要が座っている。

「……ところで。あなたの名前を書いた推薦状を室長に見せに行ったら、なぜか気持ち悪いぐらい満面の笑みで紙を破り捨てられたんですけど。あなた、あの人に何かやりましたか?」

 と、運転しながら小夜が聞く。

「何かって、たとえばどんなこと? レイジ君にやったみたいなこと?」

 頭の後ろで手を組んでいる要は、目だけを向けてそう返した。その声は出会った時と同じく、男性にしては少し高くやわらかいものになっている。

 要が着ているのは値が張りそうなスーツのままだが、かけていた眼鏡は綺麗さっぱりどこかへと消え去っている。ジジ、と小さなノイズがはしる全身も最初に出会った時と同じ見た目だ。

 駐車場へ向かう途中に小夜がそのことを聞くと、自身の『与えない』能力をおさえていた『遮断』の効果が切れたのだと要は説明した。ジジ、ジとノイズを纏わせる要を見ながら、よっぽど本来の身長を見せたくないんだな、と小夜は思った。

 一つため息をつくと、小夜は要の言葉にこう答える。

「あの事務所でやったことをそのまま室長にやったら、すごくいい笑顔で手首をにぎつぶされますよ。最低でも全治六か月はかかるほどボコボコにされますね」

 小夜の声は恐ろしいほどに真面目である。

「そんなに怖い人が上司って、小夜ちゃん大丈夫? 転職した方がいいんじゃない?」

「残念ながらお給料がとてもいので辞めるには勿体もったいない職場なんですよ。現場に行く捜査官になってしまったら、もう辞めることはできないらしいんですけどね」

「ふうん、そうなんだ。大変だね」

 要はまるで他人事たにんごとのように言った。全く興味を持っていない声色だった。

 小夜は赤信号を視界に入れ、ゆるやかにブレーキをかけて停車する。

「それで、本当にあの人に何もやってないんですか? 目の前で土下座どげざするとか、『好きなだけ殴っていいですよ』って言ったとか……いえ、それならもっとニコニコしているはずですね。忘れてください……」

 自分でそう言っている途中で、われながら怪物のような上司だと小夜は悲しくなる。あんな怪物が実の父親なのだ。もしかすると怪物の方がまだ優しいかもしれない。ふとそんなことを思った小夜は深いため息をついた。

「あんまり他人のお父さんのことは言いたくないけどさ、室長さん、ちょっと人としてどうかなって思う時はあるよね」

「あなたも同じようなものじゃないですか」

「ん? 何か言った?」

「いえ、何も」

 ニヤニヤする要に、小夜はすかさずそう返した。

 小夜は、脳内にとてもいい笑顔を浮かべながら拳を鳴らす父親の姿と、人を見下みくだして馬鹿にするこの男の姿を思い起こして比較ひかくする。どちらも同じだと小夜は思った。どちらがまともな人間かとわれても答えられる自信がない。

 信号が青に変わる。小夜がアクセルペダルを踏みこんだと同時、隣に座る要が唐突にこう言った。

「あ、そうだ。僕、明日から特別捜査官として出勤しゅっきんするから。よろしくね」

「はあ⁉」

 小夜は思わずとんきょうな声を上げて隣を見た。感情に連動して思わず急ブレーキをかけてしまう。発進したと思ったら突然急停車した小夜の車に、後続車こうぞくしゃが何度もクラクションをびせた。バックミラーを見た小夜はあわててアクセルを踏み込んで車を動かす。

「そ、それでその……捜査官として出勤するとはどういう意味ですか?」

 気を取り直した小夜は、横にいる要をちらりと見てそう聞いた。要はいつもと変わらない軽い調子で言う。

取調室とりしらべしつから小夜ちゃんが出て行った後さ、僕、室長さんと賭けをしたんだよね。その時に冗談じょうだん半分はんぶんで『負けたらあなたの部下になりますよ』って話をしたんだよね。どうせ僕の勝ちだなって思ったからさ。

 そうしたら室長さんから任命書っていうやつ渡されてさ、負けるなんてちっとも思ってなかったから、僕はそれにちゃんと本名を書いたし名字の判子も押したよ。

 で、負けちゃった。室長さんに僕の秘密も全部バレちゃったし、僕の嘘も効かなくなっちゃった。まさか本当にあの人の部下になるなんて思わなかったよ。あの人、怖いね」

「……つまりこういうことですか?

 私があなたに特別捜査官の推薦状を見せる前に、あなたは室長から渡された任命書に自分の名前を書き、判子も押していたと」

「そうだね。そういうこと。小夜ちゃんがあの紙を見せてきた時は、ちょっとびっくりしちゃったけどね」

「なるほど。そうですか……」

 小夜は片手を額に当て、ため息のように言った。『推薦状』より『任命書』の方が決定権が強いことは、当然ながら小夜でも分かっている。しかも室長直々じきじきの任命ともなれば、誰も異論いろんとなえられないだろう。

 つまり、一言でまとめるとこういうことだ。

 先にこの男に『特別捜査官』という首輪をつけたのは、あの上司だったのだ。

「だから推薦状が破り捨てられたんですか……」

 小夜はため息を吐き出した。上司が紙を受理しなかった理由は分かったのだが、見せに行った推薦状を破り捨てるのはやりすぎのような気もする。

「室長はああいう人なので仕方ないとして……。あなたね、どうしてそのことを事前じぜんに言ってくれなかったんですか。そのことを言ってくれていたら、私があんなに苦労することはなかったのに」

「言ったほうがよかったの?」

 要がきょとんとして聞き返した。目をぱちくりさせて、本当に驚いたような顔をしている。その考えはなかった、というような表情だ。

「僕だって、まさか小夜ちゃんが同じような紙を出してくるとは思わなかったんだもん。やっぱり親子だからかな、やりかたが似てるね。

 どっちに転んでも僕には特別捜査官になるしか選択肢せんたくしはなかった。室長さんにも賭けで負けちゃったし、死にたくないっていう本心が嘘じゃない僕は小夜ちゃんの提案も断れなかったってこと」

「そうですか……」

 小夜は肺の中の空気を絞り出すようにため息をつく。疲労ひろうがどっと重くのしかかってきたのを感じる。ああいう性格の人だとは分かっているが、上司の横暴おうぼうさには軽く眩暈めまいすら覚える。連日れんじつ勤務きんむを終えてへとへとになっているところに、「あ、そういえば三か月分の領収書出し忘れてたわ。明日までによろしくー」と言われた時のような気持ちになった。

「あ、そうそう。りんちゃんがまた今度、改めて挨拶に来るってさ」

 と、要が話を変えた。小夜は頭の中に、メイド服を着たあの少女の顔を浮かべた。とても『最強』などと呼ばれているとは思えないほど小柄こがらで可愛らしい女の子。見た目とは真逆に、あまりにも淡々たんたんとしている態度と口調くちょうの持ち主である。

「風見りんさん……と言いましたよね。その、本当に……」

「りんちゃんは本当に強いよ。単純な能力だけの勝負だったら、組合の中でりんちゃんに勝てる人はいないんじゃないかな」

 と、小夜の頭の中を読み取った要は答えた。また思考を勝手に読み取られたことに、小夜は何か言いたげな顔で開けていた口を一旦閉じる。そんな小夜に向けて、要は続ける。

「小夜ちゃんが疑うのも無理ないよ。りんちゃん、十二歳ぐらいの可愛い女の子にしか見えないもんね。あんな見た目をしてるけどさ、東條さんよりかなり年上だよ。確か、死んでから五十年ぐらいったって言ってたかな」

「そうなんですか……」

 小夜は、さらにあの少女……風見りんの姿を脳内に思い起こす。あんな女の子が、死亡してから五十年以上を生きているとはとても思えなかった。

「あの子……」

 小夜がぽつりと漏らす。片手を顎に当て、もう片方の手でハンドルを操作する。

「うん。りんちゃんが何?」

 と、窓の外に顔を向けている要は聞き返した。

「……いえ、やっぱりなんでもありません。私の勘違いだったのかもしれませんので」

 小夜は顎に当てていた手をのけて、しっかりと両手でハンドルを握る。

「いいから言ってみなよ。僕も答えられることなら、りんちゃんのこと教えてあげるからさ」

「……対価が戻ったんでしょう? さっきと同じように私の考えていることを読めばいいじゃないですか」

「うーん。そうしていいなら、そうするけどさ」

 と、窓の外を見たままで要は言った。

「僕の対価は『知りすぎてしまう』ことだよ。今は外の景色に集中することでその対価をなるべく抑えてるけど、小夜ちゃんに意識を向けたら情報量の多さで気分が悪くなっちゃうんだよね。この対価で他人の頭の中が読めるのは、あくまでオマケっていう感じかな。できれば、あんまり使いたくはないかな」

「最初会った時は遠慮えんりょなく私の頭をのぞいていたくせに」

「まぁ、少なからず警戒してたからね。それで、りんちゃんがどうかしたの?」

「……そうですね。たいしたことではないんですが……」

 要に言われ、小夜は話を戻す。そして言った。

「……あの子、どうして下着をいてないんですか?」

 いたって真面目な小夜の声色に、窓の外を見ている要が吹き出した。気管の変なところに唾液だえきが入り込んだのか、ゴホゴホと体を丸めて激しく咳き込む。それに伴って姿がジ、ジジ、ジと大きく乱れ、座高が高くなったり低くなったりしている。『見せている姿』と『本来の姿』の調整ができていないのだと小夜はすぐに理解する。

「……あの、大丈夫ですか? 水でも買います?」

 一向いっこうに咳が止まらない要に、さすがの小夜も心配になって声をかける。

 ジジ、ジ、ジジジと激しいノイズを纏わせている要は、腕で顔を隠して首をぶんぶんと横に振っている。どうやら大丈夫と言っているらしい。腕と髪で隠れていない耳が真っ赤になっている。まだ咳き込んでいる要を一瞥いちべつし、小夜はとりあえず前方に見えるコンビニを通り過ぎた。

 要がいつもの調子を取り戻したのは、それから数分後。小夜の車が組合の駐車場に到着した時だった。


 車を降りた二人は組合の出入り口に向かって歩く。小夜の後ろには要がついて来ている。

「あ、要君おかえりなさい」

 と、入口の前に立っている男が二人に気がついて声をかけた。小夜と会ったいつぞやの太った男である。

「そっちの捜査官さんもおかえりなさい。ええと……」

「泉小路です。この間は急に飛び出してしまって申し訳ありませんでした」

「ああ、いえいえ。気にしないでください。よいしょっと……」

 男は小夜にそう言うと、『本日は閉館いたしました』と書かれた立て看板を出入り口の前に置いた。

「午後三時になったので一旦閉めますが、急ぎの用があるならうかがいますよ。今は誰もいませんので」

「いえ、大丈夫です。要君を送りに来ただけですから。まだ正面から入れますか?」

「ええ。どうぞ」

 と、男は横に一歩ずれる。軽く礼を言った小夜は、自動扉を通って建物の中に入った。

 男の言った通り待合室はからっぽだった。受付のカウンターにもソファにも誰一人としていない。人がいる時しか知らない小夜にとっては、なんだか不思議な光景だった。

 組合が次にくのは午後五時だ。それから二時間ほどで完全に閉館し、あとは裏口の夜間受付で対応するのだ。

 からっぽの待合室と受付を通り過ぎ、小夜は左側の通路へ向かう。

 ほどなくして隔離棟に繋がる分厚ぶあつい自動扉が見えてきた。その時、後ろにいた要が小走りで小夜の隣に並び、こう言った。

「何か、改めて僕に聞きたいことがあるんでしょ? 今なら周りに誰もいないよ」

「……」

 小夜は、目に「また思考を読んだのか」との言葉を乗せて横の要を見る。

「周りに気をまぎらわせるものがなかったら、分かっちゃうんだよ。いろいろね」

 と、要は言った。小夜の顔がぴくりと不快ふかいさで一瞬動く。この男の持つ対価とはいえ、勝手に頭の中をのぞかれるのはいい気分ではない。

「……あなた、本名があると言いましたよね」

 これ以上頭の中を読まれるのは不愉快なので、小夜は浮かべていた言葉を口に出すことにした。

「うん、言ったね。本当にあるよ。ウソじゃない。あの遺書に全部書いてたよ。小夜ちゃんがやぶっちゃったけどね」

「……」

 小さな山になった手紙の欠片が小夜の頭に浮かぶ。あれは本物なのか。本当に本名が書いてあったのか。破り捨ててしまった今では、もう確かめることなどできない。自分がしてしまった事の重大さに、小夜は改めて複雑な気持ちになった。

「ま、あの遺書がなくてもね」

 と、『彼』は言う。

「僕の本名は、最初からずっと言ってるよ」

「最初から?」

 小夜の足が止まる。聞き返した小夜の反応は、いつぞやのレイジのようだった。

「うん。『京谷要』……最初からずっと言ってるそれが、僕の名前だよ」

 小夜の一歩前で足を止めた要は、振り返りながらそう言った。

 分厚い自動扉の前にはタグを認証させる機械が設置されている。ここから先は捜査官でも許可がないと入れない場所だ。小夜は当然、ここを自由にできる立場ではない。

「あと一つ、あるでしょ?」

 要が小夜を見つめる。心の奥底を覗かれているような錯覚を小夜は感じる。何もない深い穴のようでいて、誰よりも生きたいという感情をたたえた二つの

 嘘と偽りと矛盾で作られた自称『うそつき』。ただの『嘘つき』なのか、真実さえも嘘でかためた本当の『嘘吐うそつき』なのか、何一つ分からない。この男について信じられることなど……本当にあるのだろうか。

「……あなたって、本当に嘘つきなんですか?」

 小夜は問いかけた。さぐるような確かめるような、不安に満ちた言い方だった。

「僕は『嘘吐うそつき』だよ。周りをまどわせる虚言者きょげんしゃだ」

「……」

「小夜ちゃんが僕のことを『ただの嘘つき』だと思うのなら、僕はそうかもしれないね。『正直者』だと思うのなら、僕は嘘なんか言わない人間なのかもしれない。全部を嘘で固めた人間だと思うのなら、僕はいきくように嘘を言う『嘘吐うそつき』だ。

 小夜ちゃんは『僕』を見てきてどう思った?」

「……分かりません。あなたのことなど何一つ……分かりませんでした」

「じゃあそれが答えなんだよ」

 と、『彼』は言う。ジジ、と姿を乱れさせながら、『彼』は続ける。

「レイジ君に言われたよ。お前はとんでもない嘘つきだ、ってね。その通りだよ。僕は嘘で何もかもを勝ち取ってきた。積み重ねてきた記憶と自分を対価にして、命と一年の猶予ゆうよつかってきた。いくら血を吐こうが脳をかき混ぜられて死にかけようが、それでも僕は勝者しょうしゃになった。

 それぐらい僕はね、死ぬのが怖いんだ。ほんとうに」

 ジジジ、と姿がぶれているのは本心を言っているからだろうか。それとも『そう見せている』からだろうか。小夜には分からない。

「小夜ちゃんが僕のことをどう思おうがかまわない。疑われるのはもうれたからね。僕は『うそつき』だし」

 言っている途中、ほんの一瞬だけ、ジ、と彼の姿が激しくぶれた。段々とおさまっていくノイズを纏わせながら、彼は優しく微笑みかける。

『与えてもいいって思ったことしか相手は認識できなくなるんだ。だからこれ、使いようによっては誰にでもなれちゃうんだよ』

 小夜は、彼がいつか言ったことを思い出した。見せる姿を自由に変えられるのなら、今、浮かべているその笑顔は。その姿は……。

 そこで小夜は、急いでその考えを頭の中から霧散むさんさせる。いくらでも疑うことはできるのだ。その思考の沼にはまるのは簡単だが、本当に納得のいく答えを手にして抜け出すことは難しい。それこそ、全ての人間の中から「本当に嘘をついたことのない人間」を見つけ出そうとすることと同じだ。

 嘘なのか、嘘ではないのか。

 本当に嘘つきなのか、それとも本当は正直者なのか。

 自分が手にしたものは本当に真実なのか。それとも、らぬに信じ込まされた「嘘」だったのか。それを確かめる方法は、この自称『うそつき』でも分からないのだから。

 小夜は、足元に広がる思考の沼から目を離す。そして自分の前に立つ男を見つめる。

「まあとにかく。この僕に勝つなんて本当にすごいよ。お疲れ様。楽しかったよ」

『彼』……京谷要はそう言って右手を差し出してきた。

「改めて、明日からよろしくね。あ、先輩って呼んだほうがいい?」

「やめてくださいよ。しょくわるい。吐き気がします」

 小夜は心底しんそこからの嫌悪けんおを浮かべ、差し出された手との握手を拒否した。

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偽称の虚言者 ー嘘を吐(は)く正直者ー ハギヅキ ヱリカ @hagizuki_wanwan

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