エピローグ
【エピローグ】
小夜が運転する車は組合へ向かう道路を走っていた。隣の助手席には当たり前のように要が座っている。
「……ところで。あなたの名前を書いた推薦状を室長に見せに行ったら、なぜか気持ち悪いぐらい満面の笑みで紙を破り捨てられたんですけど。あなた、あの人に何かやりましたか?」
と、運転しながら小夜が聞く。
「何かって、
頭の後ろで手を組んでいる要は、目だけを向けてそう返した。その声は出会った時と同じく、男性にしては少し高くやわらかいものになっている。
要が着ているのは値が張りそうなスーツのままだが、かけていた眼鏡は綺麗さっぱりどこかへと消え去っている。ジジ、と小さなノイズがはしる全身も最初に出会った時と同じ見た目だ。
駐車場へ向かう途中に小夜がそのことを聞くと、自身の『与えない』能力を
一つため息をつくと、小夜は要の言葉にこう答える。
「あの事務所でやったことをそのまま室長にやったら、すごくいい笑顔で手首を
小夜の声は恐ろしいほどに真面目である。
「そんなに怖い人が上司って、小夜ちゃん大丈夫? 転職した方がいいんじゃない?」
「残念ながらお給料がとても
「ふうん、そうなんだ。大変だね」
要はまるで
小夜は赤信号を視界に入れ、
「それで、本当にあの人に何もやってないんですか? 目の前で
自分でそう言っている途中で、
「あんまり他人のお父さんのことは言いたくないけどさ、室長さん、ちょっと人としてどうかなって思う時はあるよね」
「あなたも同じようなものじゃないですか」
「ん? 何か言った?」
「いえ、何も」
ニヤニヤする要に、小夜はすかさずそう返した。
小夜は、脳内にとてもいい笑顔を浮かべながら拳を鳴らす父親の姿と、人を
信号が青に変わる。小夜がアクセルペダルを踏みこんだと同時、隣に座る要が唐突にこう言った。
「あ、そうだ。僕、明日から特別捜査官として
「はあ⁉」
小夜は思わず
「そ、それでその……捜査官として出勤するとはどういう意味ですか?」
気を取り直した小夜は、横にいる要をちらりと見てそう聞いた。要はいつもと変わらない軽い調子で言う。
「
そうしたら室長さんから任命書っていうやつ渡されてさ、負けるなんてちっとも思ってなかったから、僕はそれにちゃんと本名を書いたし名字の判子も押したよ。
で、負けちゃった。室長さんに僕の秘密も全部バレちゃったし、僕の嘘も効かなくなっちゃった。まさか本当にあの人の部下になるなんて思わなかったよ。あの人、怖いね」
「……つまりこういうことですか?
私があなたに特別捜査官の推薦状を見せる前に、あなたは室長から渡された任命書に自分の名前を書き、判子も押していたと」
「そうだね。そういうこと。小夜ちゃんがあの紙を見せてきた時は、ちょっとびっくりしちゃったけどね」
「なるほど。そうですか……」
小夜は片手を額に当て、ため息のように言った。『推薦状』より『任命書』の方が決定権が強いことは、当然ながら小夜でも分かっている。しかも室長
つまり、一言でまとめるとこういうことだ。
先にこの男に『特別捜査官』という首輪をつけたのは、あの上司だったのだ。
「だから推薦状が破り捨てられたんですか……」
小夜はため息を吐き出した。上司が紙を受理しなかった理由は分かったのだが、見せに行った推薦状を破り捨てるのはやりすぎのような気もする。
「室長はああいう人なので仕方ないとして……。あなたね、どうしてそのことを
「言ったほうがよかったの?」
要がきょとんとして聞き返した。目をぱちくりさせて、本当に驚いたような顔をしている。その考えはなかった、というような表情だ。
「僕だって、まさか小夜ちゃんが同じような紙を出してくるとは思わなかったんだもん。やっぱり親子だからかな、やり
どっちに転んでも僕には特別捜査官になるしか
「そうですか……」
小夜は肺の中の空気を絞り出すようにため息をつく。
「あ、そうそう。りんちゃんがまた今度、改めて挨拶に来るってさ」
と、要が話を変えた。小夜は頭の中に、メイド服を着たあの少女の顔を浮かべた。とても『最強』などと呼ばれているとは思えないほど
「風見りんさん……と言いましたよね。その、本当に……」
「りんちゃんは本当に強いよ。単純な能力だけの勝負だったら、組合の中でりんちゃんに勝てる人はいないんじゃないかな」
と、小夜の頭の中を読み取った要は答えた。また思考を勝手に読み取られたことに、小夜は何か言いたげな顔で開けていた口を一旦閉じる。そんな小夜に向けて、要は続ける。
「小夜ちゃんが疑うのも無理ないよ。りんちゃん、十二歳ぐらいの可愛い女の子にしか見えないもんね。あんな見た目をしてるけどさ、東條さんよりかなり年上だよ。確か、死んでから五十年ぐらい
「そうなんですか……」
小夜は、さらにあの少女……風見りんの姿を脳内に思い起こす。あんな女の子が、死亡してから五十年以上を生きているとはとても思えなかった。
「あの子……」
小夜がぽつりと漏らす。片手を顎に当て、もう片方の手でハンドルを操作する。
「うん。りんちゃんが何?」
と、窓の外に顔を向けている要は聞き返した。
「……いえ、やっぱりなんでもありません。私の勘違いだったのかもしれませんので」
小夜は顎に当てていた手をのけて、しっかりと両手でハンドルを握る。
「いいから言ってみなよ。僕も答えられることなら、りんちゃんのこと教えてあげるからさ」
「……対価が戻ったんでしょう? さっきと同じように私の考えていることを読めばいいじゃないですか」
「うーん。そうしていいなら、そうするけどさ」
と、窓の外を見たままで要は言った。
「僕の対価は『知りすぎてしまう』ことだよ。今は外の景色に集中することでその対価をなるべく抑えてるけど、小夜ちゃんに意識を向けたら情報量の多さで気分が悪くなっちゃうんだよね。この対価で他人の頭の中が読めるのは、あくまでオマケっていう感じかな。できれば、あんまり使いたくはないかな」
「最初会った時は
「まぁ、少なからず警戒してたからね。それで、りんちゃんがどうかしたの?」
「……そうですね。
要に言われ、小夜は話を戻す。そして言った。
「……あの子、どうして下着を
いたって真面目な小夜の声色に、窓の外を見ている要が吹き出した。気管の変なところに
「……あの、大丈夫ですか? 水でも買います?」
ジジ、ジ、ジジジと激しいノイズを纏わせている要は、腕で顔を隠して首をぶんぶんと横に振っている。どうやら大丈夫と言っているらしい。腕と髪で隠れていない耳が真っ赤になっている。まだ咳き込んでいる要を
要がいつもの調子を取り戻したのは、それから数分後。小夜の車が組合の駐車場に到着した時だった。
車を降りた二人は組合の出入り口に向かって歩く。小夜の後ろには要がついて来ている。
「あ、要君おかえりなさい」
と、入口の前に立っている男が二人に気がついて声をかけた。小夜と会ったいつぞやの太った男である。
「そっちの捜査官さんもおかえりなさい。ええと……」
「泉小路です。この間は急に飛び出してしまって申し訳ありませんでした」
「ああ、いえいえ。気にしないでください。よいしょっと……」
男は小夜にそう言うと、『本日は閉館いたしました』と書かれた立て看板を出入り口の前に置いた。
「午後三時になったので一旦閉めますが、急ぎの用があるなら
「いえ、大丈夫です。要君を送りに来ただけですから。まだ正面から入れますか?」
「ええ。どうぞ」
と、男は横に一歩ずれる。軽く礼を言った小夜は、自動扉を通って建物の中に入った。
男の言った通り待合室は
組合が次に
ほどなくして隔離棟に繋がる
「何か、改めて僕に聞きたいことがあるんでしょ? 今なら周りに誰もいないよ」
「……」
小夜は、目に「また思考を読んだのか」との言葉を乗せて横の要を見る。
「周りに気を
と、要は言った。小夜の顔がぴくりと
「……あなた、本名があると言いましたよね」
これ以上頭の中を読まれるのは不愉快なので、小夜は浮かべていた言葉を口に出すことにした。
「うん、言ったね。本当にあるよ。ウソじゃない。あの遺書に全部書いてたよ。小夜ちゃんが
「……」
小さな山になった手紙の欠片が小夜の頭に浮かぶ。あれは本物なのか。本当に本名が書いてあったのか。破り捨ててしまった今では、もう確かめることなどできない。自分がしてしまった事の重大さに、小夜は改めて複雑な気持ちになった。
「ま、あの遺書がなくてもね」
と、『彼』は言う。
「僕の本名は、最初からずっと言ってるよ」
「最初から?」
小夜の足が止まる。聞き返した小夜の反応は、いつぞやのレイジのようだった。
「うん。『京谷要』……最初からずっと言ってるそれが、僕の名前だよ」
小夜の一歩前で足を止めた要は、振り返りながらそう言った。
分厚い自動扉の前にはタグを認証させる機械が設置されている。ここから先は捜査官でも許可がないと入れない場所だ。小夜は当然、ここを自由に
「あと一つ、あるでしょ?」
要が小夜を見つめる。心の奥底を覗かれているような錯覚を小夜は感じる。何もない深い穴のようでいて、誰よりも生きたいという感情をたたえた二つの
嘘と偽りと矛盾で作られた自称『うそつき』。ただの『嘘つき』なのか、真実さえも嘘で
「……あなたって、本当に嘘つきなんですか?」
小夜は問いかけた。
「僕は『
「……」
「小夜ちゃんが僕のことを『ただの嘘つき』だと思うのなら、僕はそうかもしれないね。『正直者』だと思うのなら、僕は嘘なんか言わない人間なのかもしれない。全部を嘘で固めた人間だと思うのなら、僕は
小夜ちゃんは『僕』を見てきてどう思った?」
「……分かりません。あなたのことなど何一つ……分かりませんでした」
「じゃあそれが答えなんだよ」
と、『彼』は言う。ジジ、と姿を乱れさせながら、『彼』は続ける。
「レイジ君に言われたよ。お前はとんでもない嘘つきだ、ってね。その通りだよ。僕は嘘で何もかもを勝ち取ってきた。積み重ねてきた記憶と自分を対価にして、命と一年の
それぐらい僕はね、死ぬのが怖いんだ。ほんとうに」
ジジジ、と姿がぶれているのは本心を言っているからだろうか。それとも『そう見せている』からだろうか。小夜には分からない。
「小夜ちゃんが僕のことをどう思おうが
言っている途中、ほんの一瞬だけ、ジ、と彼の姿が激しくぶれた。段々と
『与えてもいいって思ったことしか相手は認識できなくなるんだ。だからこれ、使いようによっては誰にでもなれちゃうんだよ』
小夜は、彼がいつか言ったことを思い出した。見せる姿を自由に変えられるのなら、今、浮かべているその笑顔は。その姿は……。
そこで小夜は、急いでその考えを頭の中から
嘘なのか、嘘ではないのか。
本当に嘘つきなのか、それとも本当は正直者なのか。
自分が手にしたものは本当に真実なのか。それとも、
小夜は、足元に広がる思考の沼から目を離す。そして自分の前に立つ男を見つめる。
「まあとにかく。この僕に勝つなんて本当にすごいよ。お疲れ様。楽しかったよ」
『彼』……京谷要はそう言って右手を差し出してきた。
「改めて、明日からよろしくね。あ、先輩って呼んだほうがいい?」
「やめてくださいよ。
小夜は
偽称の虚言者 ー嘘を吐(は)く正直者ー ハギヅキ ヱリカ @hagizuki_wanwan
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