【嘘を吐く正直者】④

「それで、なんですか?」

 要が、自販機の搬出はんしゅつぐちに手を入れている照良に言った。要の姿にはジ、ジジと軽いノイズが走り、声と身長も『京谷要』としてのものに戻っている。遮断していた『与えない』能力が復活したのだ。さっきまでかけていた黒縁くろぶちの眼鏡も綺麗さっぱり消えている。

 一度賭けで負けたこともあってか、照良の前ではさすがの要も飄々とした態度を抑えている。

「僕の秘密は全部話しましたよ。それでもまだ何か?」

「うん。まぁな」

 そう言うものの照良は一向に本題へ入ろうとしない。缶コーヒーの蓋を開け、のんびり口に運んで一口飲む。

「それにしてもいいスーツ着てんじゃねえか。俺のよりりそうだな。一着ぐらいくれよ」

 照良は要の着ている服に目をやった。冗談みのこもった言い方だが、照良の目は全く笑っていない。上辺うわべだけで気持ちがこもっていないことが簡単に見て取れた。

「話がないなら戻りますよ。僕は暇じゃないんで」

 要は背を向けて立ち去ろうとする。

「まあ待てって。あれで無理やり縛り付けてもいいんだぞ?」

「……」

 あれとは「賭け」のことだ。要の表情にほんのわずか力が入る。そんな要の顔を見ながら照良は言う。

「君らって面白いよなあ。賭けって言ったら何でもするんだからよ。で、どうすんの?」

「……話って、なんですか?」

 要は素直に照良へ向き直り、そう聞き返した。照良は青色のUSBメモリを取り出して見せる。元は要が持っていた物だ。

「これさあ、全然ぜんぜん役にたねえんだけど。どういうことかなあ」

「そんなこと言われても僕にはどうもできませんよ。りんちゃんに聞いてみたらどうですか?」

「……ふぅん」

 照良は缶を傾け、中に残ったコーヒーを飲み干す。

「本当に、何も知らないって?」

「ええそうですよ。僕は何も知りません」

「……それを君が言っちゃうのかあ」

 照良は、ぼそりと言った。

 そして空っぽになった缶をごみ箱に放り投げると、照良は一歩前に出て要との距離を詰める。

「あのさあ、今さら『僕は何も知りません』じゃとおらねえのよ。分かってる?」

 鼻の頭がれそうなほどの距離で、照良が言った。煙草のにおいに混じり、まるで暗闇が自分の上に乗っかってきたような重圧を要は感じる。

「……そんなことを言われても、僕は何も――」

 次の瞬間、照良は置いてあった机のあしを軽くった。軽く蹴っただけだが、廊下まで響き渡るほどの大きな音に、要の体がびく、と小さく跳ねる。何事かと、壁越かべごしに捜査官たちのざわめきが聞こえてくる。

「おっとすまねえな。足が当たっちまったぜ」

 なんて照良はわざとらしく言う。要の体がジジと一瞬ぶれて、何もなかったように元に戻った。

「あのさあ」

 照良は要のむなぐらをつかみ上げた。要の足が床から数センチ浮き上がる。

「君さあ、今さら何言ってんの? わざとらしく『かなめ』なんて名前を使ってんのに『自分は知りません』は言っちゃだめだろ。知らないで通したいなら、そんな偽名今すぐ捨てちまえよ」

「……」

 要は何も答えない。ジジジ、とわずかに姿がみだれているだけだ。

「死にたくねえから命を賭ける? 馬鹿ばかかてめえは。死にたくねえから他の奴を全員殺す、ぐらい言えねえのかよ。自分以外の奴を全員殺せば、もう誰からも殺されねえぞ。良かったな」

 照良の口調から完全に軽薄けいはくさが消えていた。のんびりと日向ひなたぼっこをしていたライオンが、急に野生やせいの顔を見せたような切り替わりだった。

あまいんだよ。何が『嘘吐うそつき』だ。そう名乗るなら徹底的てっていてきにやれよ。最初から全部を嘘で固めてみせろ」

「それは……」

「怖いんだろ? 嘘で自分が消えていくのが」

 要の姿が、ジ、と大きくぶれた。

「嘘もつきたくねえ、かといって本当のことも言いたくねえ。だけど『私は嘘吐うそつきです』だ? 何言ってんだてめえ。

 うそをつきとお覚悟かくごもねえ奴が適当てきとうなこと言ってんじゃねえ。そういうのが一番ムカつくんだよ」

 照良は要の体を放り捨てる。要は照良の前で尻もちをついた。

「君のさあ、約束は守るっていうのも自分で自分の首をめてるよなあ。勝負の後に死ぬ約束をしたら素直に死ぬのか?」

 照良は言う。いつもの妙に語尾を間延びさせる口調へと戻っていた。

「そういうところなんだよ。君の弱いところは。

 約束通りに死ぬことを選んだら、死にたくないっていう本心が嘘になっちまう。約束を破って生きようとしたら、『約束は守る』が嘘になっちまう。なんでそんなに自分をしばけてるのかねえ」

「……」

 要は何も答えない。いつぞやと同じく立っている照良を見上げているだけだ。

「まあいいや。それで、これな」

 照良は懐から一枚の紙を取り出して要に渡した。受け取ったそれには大きく『特別捜査官任命書』と書かれている。

「俺に負けたら俺の部下になるっていう約束だっただろ? 約束は守れよ、ウソツキ君」

「……まさか、本当にそうなるとは思いませんでしたよ」

 言いながら要は立ち上がり、服についたほこりを払う。

 紙には、

『緊急時の特別措置として、以下の対象者を特別捜査官として任命する』

 という説明の下にかくばった武骨ぶこつな字で『泉小路照良』と書かれ、『泉小路』の判子が押されている。その下の対象者の欄には『風』から始まる人名と『風見』の判子が押されている。

「今日の朝書いたにしては、会長から許可りるの早すぎませんかね。まるで事前に打ち合わせしてたみたいな早さですよ」

「んなわけねえだろ。電話で確認したら『あ、どうぞどうぞ』って言われただけだぜ。君って結構、あの会長から嫌われてるんだな」

「それは……否定しませんけどね」

 要は受け取った紙を丁寧に折ると上着の内ポケットに仕舞った。

「そういうわけで、明日からよろしくなあ。俺がらくできるよう、きりきり働けよ。どこぞの事後じご報告ほうこくする奴みたいなことは勘弁かんべんだぜ」

 照良は要に笑いかける。威圧感いあつかん欠片かけらもない顔だ。

「君の最初の任務は、これの本物を俺のところに持ってくることだ」

 照良はもう一度USBメモリを見せる。

「他にあるんだろ?」

「まあ……あるにはありますけどね」

「うん。じゃあそれよろしくなあ。一週間なら待ってやるよ。俺は優しいからな」

 そう言うとUSBメモリを上着のポケットに仕舞い、違う物を取り出して要に手渡した。

「……なんですかこれは」

就職しゅうしょくいわいな。今これしか持ってねえんだ。やるよ」

「いらないんですけど……」

 要は照良が持っている缶の飲み物に目をやる。『おしるこ』と書かれているそれは少しばかり膨張ぼうちょうしている。放置してから軽く半年は過ぎているだろう。

遠慮えんりょすんなって。間違えて買ったやつだから気にすんなよ」

 言いながら、照良は要の上着のポケットにその缶を無理やりねじ込んだ。

「じゃ、明日は朝九時に捜査室な。遅刻すんなよう」

 そう言って要の横を通り過ぎ、照良は捜査室の方へと戻って行った。

 一人になった要は貰った缶をひっくり返す。缶の下に記載きさいされている賞味期限は三年前となっている。飲めなくはないが、少なくとも人にあげる物ではないのは確実だ。

「あの人、僕のことかなり嫌いだな……」

 要は休憩室の壁から顔を出して廊下の様子をうかがう。ちょうど照良が捜査室の扉を開けて中に入って行くところだった。

 要はそれを確認すると、貰ったおしるこをごみ箱の中にそっと入れた。

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