第24話 そして時が動き出すように、ラッツは駆け出した
メノアが自室として割り当てられた部屋に戻った、昼下がりの出来事だ。
どうもフィーナいわく『傷が治るまでは絶対安静』らしく、目覚めてからもベッドに居ることを強制された。俺は眠っている時間が長かったので、警戒しているようだった。
……と言っても、もう治っているんだけどな。
だから、俺はベッドの上で特に理由もなくごろごろしていた訳なのだが。
「ラッツの目が覚めたって聞いたんだけど!?」
そう言いながら勢いよく扉を開けたのは、我らが下チチークである。
まさか、俺の事を心配して来てくれたのだろうか。フィーナの自宅と思わしき場所でベッドに寝転がっていた俺は、なんとなくその光景に感動してしまった。
この場所がフィーナの自宅であるという事を差し引いても、これは嬉しいことだ。
きっと、チークも俺が目を覚ました事に喜んでくれるに違いない。
「ラッツ!!」
「おお、チーク。俺は無事だぞ」
「御託はいいから一発殴らせて!!」
んん。喜びが一周しすぎて愛が鞭と化しているが、これは一体どういう状況かな。
涙ながらに入ってきたチークが、謎の金属と思わしきアイテムを見せる。
見た目、黄金色でとても綺麗な色をしているのだが、それはあちこち曲がっていて、とても何かの道具とは思えない形をしていた。
「何だよこれは」
「あんたに!! 貸した!! ハンマーよ!!」
目の前でチークに大声でそう言われて、俺は暫しの間、時を止めた。
ハンマー……?
俺は、過去を思い返す。
『チーク!! お前の持ってる武器の中で、一番硬いのってなんだ!?』
『えっ、ええっ!? 武器!?』
……ああ、ちょっと思い出してきた。
『私の、鍛冶で使うハンマー。レアアイテムだから、たぶん一番硬いと思う』
『良いのか?』
『使って良いから、みんなを助けて』
『分かった。任せろ』
あーあーあーあーあー。
そういえば借りたな、ハンマー。ビッグ・ルーウォーを倒すのに全力すぎて、借りた事さえすっかり忘れていた。
そうか。そういえばこれを持って、俺はメノアの強化魔法込みでビッグ・ルーウォーを打ち破ったのだ。
「ありがとな、おかげでビッグ・ルーウォーを倒せたよ」
「くっ……その件があるから、いまいち怒るに怒りきれないのよね……!!」
まあ……確かにこんなになってしまったら、もうこのハンマーを修復するのは難しいだろう。俺は苦笑して、チークに言った。
「悪かったよ。まあ、ハンマーは弁償するから許してくれ」
「五百万セルするけど払えるの?」
俺の時は、再び止まった。
「……そんなに高いんですか?」
「ローン組んで買ったのよ!? パアよパア!! これがないと武器も作れないのに!! パアよ!!」
目尻に涙を浮かべながら謎のテンションで語るチークに、俺は若干引いていた。
「そりゃ、払えねえな。いつもの俺なら」
「いや、私だってあの状況では仕方なかったとは思ってるのよ!? でもね、割り切れる事とそうじゃない事ってやっぱりあるのよ!! だからね、一発殴らせて!?」
今回、アイテムカートの件といい武器を作らせた事といい、一番後に残る苦労を背負ったのはチークだ。確かに、そうなる気持ちも分からないではない。
俺はテーブルに置いてあった小切手をチークに渡した。
「まあいつもの俺なら払えないんだが、今日の俺は払えたりする」
「ちなみに嫌だと言っても殴……えっ? あんたこれ……」
「シルバードさんにもらったんだ、ダンドを止めてくれた報酬ってことで。みんなで分けてくれって話でさ」
チークは衝撃の眼差しで、小切手を見つめた。
「ほ、ほんと? ……嘘じゃない? あんたいつも嘘ばっかりだから」
「嘘だと思うなら返してくれて構わないぞ」
「うそうそうそ!! ちょっと待って!!」
ごくり、とチークは喉を鳴らして、明後日の方向を向いて考え始めた。
「私のハンマーが五百万セルで、残りが五百万よね。そしたら、それをラッツと私とレオとフィーナちゃんと……メノアさん? で、五人で分けたら良いわよね。よし、一人あたり百万ね」
チークのハンマーが異様に高額だったせいで、わりと現実的な数値になってきた。
「あっ、でもフィーナちゃんは雇われだったんだっけ? どうしよう、みんな治療を受けてるし、全体から引くべきかな?」
「それには及びませんわ」
「ひいぃっ!?」
唐突にチークの背中で声がしたと思ったら、いつの間にかフィーナが入ってきていた。至近距離からの声に、チークがすくみ上がった。
気配消すの巧すぎだろ。本当に聖職者なのか。
フィーナはどす黒い笑みを浮かべて、いやらしい目で俺を見ている。
「もちろんわたくしの治療代金は、ラッツさんが一人で払ってくださるのですよね?」
「あー……まあ、いつかな」
いくら吹っかけられるんだろう。正直、こいつの手を借りたのは本当に正解だったのか怪しい。
今日のフィーナは休みだからか、聖職者の格好をしていない。白いフリルのついたボタンシャツにピンクのフレアスカート。いかにも女の子、って感じの格好だ。発している言葉以外。
フィーナはベッドに寝ている俺の上にまたがり、四つん這いになって俺を見下ろした。長い銀髪をかきあげる仕草がどこか艶めかしい。
「当然、百万セルごときでは払いきれませんものね。うふふ……わたくしの犬となるラッツさん……素敵ですわ……」
「いや待て。確かにツケで頼んだが、俺はお前の犬になるとは言っていない」
「なんならご主人様をペロペロしてもよろしくてよ?」
「えっ? ……どこをペロペロしてもいいの?」
「おいそこのエロ犬」
思わず興味を惹かれた所で、チークに殴られた。
しかし、今回はこいつの世話になりっぱなしだったからな。いまいち反論できない。
どうせ治療代金なんてフィーナの言い値だ。百万セルだろうが一千万セルだろうが、今となっては言ったもん勝ちである。
……今度、ちゃんとヒーラーの時間あたりの相場、調べておこう。
「フィーナちゃんも、あんまりこいつの事からかわない方が良いよ? いつか本気にするよ」
「えっ?」
チークがそう言う頃、フィーナはすでにシャツの第一ボタンを外していた。
「私、フィーナちゃんってもっと清楚なポジションだと思ってたよ……」
「失礼。もう少し清楚に迫る事を意識いたしますわ」
「……付き合いきれないので換金してきまーす」
「おいチーク。お前にはフィーナを止める役割があるだろう。おい待て行くな!! 待て!! まってー……」
行ってしまった。
やばい。チークなき今、この部屋には俺とフィーナの二人しか居ない。俺の初めてが危うい。
「あ、そういえば」
この体勢から繰り出されるこのセリフも中々に珍しいな。
「……なんだよ?」
「フルリュさんのお母様が来ていまして、今日発たれるということで、今屋上にいらっしゃいますが」
「それを早く言えよ!!」
慌ててジャケットを掴んで、ベッドから離れる。出入口の扉まで走って、フィーナに聞いた。
「屋上どっち!?」
「……右に行って、突き当たりですわ。心配しなくても、お見送りはメノアさんがしていますけど」
あれ。フィーナが少しむくれている?
気のせいだろうか。
「俺も行くよ。一応、最後まで見届けたいからな」
「では、ご案内いたしますわ」
すぐにフィーナはいつも通りの穏やかな笑みに戻って、ボタンを直した。フィーナに導かれるままに、屋上に向かって走る。
まだ間に合うだろうか。階段を上がって、屋上に続く扉を開いた。
「あ、ラッツさん!!」
扉を開けると、すぐにフルリュが気付いて、俺達の所に走って来た。
フルリュの妹、それからフルリュによく似た、大人びた雰囲気のハーピィが立っている。フルリュと同じ、金髪にエメラルドグリーンの瞳。あれがきっと、フルリュの母親なんだろう。メノアも一緒だ。
屋上に出ると、周囲は森ばかりだった。ここは……気を失って運ばれたから気付かなかったけど、この家はセントラル・シティからは少し離れた丘に建っているようだった。
フルリュは俺の所に走って来るなり、俺の両手を握った。
「ごめんなさい、まだ寝ていると聞いたもので、無理をさせてはいけないかと」
「ああ、いや。一応言い出しっぺだからな、見届けたいと思って」
フルリュの家族も、俺の所に来た。一番背の高い、フルリュの母親。近付いて見ると、完成された容姿に思わず見惚れてしまう。
ハーピィって、こんなに綺麗になるものなのか。フルリュも可愛いと思ったが、こうも整った顔立ちだと、もはや絵画か彫刻のように見える。
「このたびは、娘が大変なご迷惑をおかけしてしまい……申し訳ございませんでした」
「あ、ああー、いや、いいんすよ俺がやりたくてやっただけだから。無事に助け出せてよかった」
こんな人から丁寧に話されると、なんだかどんな言葉を選んで良いのか迷う。シルバードさんの時とはまた違った雰囲気だ。
フルリュの母親は、穏やかな微笑を崩さずに言った。
「人間界では、私達を助けるのは禁忌かと思いましたが」
それを聞いて、俺は思った。
人間の間でルールになっているものは、人間以外の生物から見ても、ルールになっているんだ。
このセントラル・シティに人間ばかりがいるのは、きっと……そうやって、他の色々な生物、人間が『魔物』と呼び蔑んでいるものが、気を利かせて居なくなっているが故の結果なんだ。
薄々感じていた事ではあったけど。改めて、そう思った。
だから、俺は言った。
「禁忌だ。……少なくとも、今はまだ」
「そうですよね。ご自身のお立場も、大切になさってくださいね」
「良いんだ、俺は。やりたくて、やっているんだ」
この世界は、常識で満ち溢れている。
でも、俺達が常識だと思っている事の中には、最善ではないものが沢山ある。
だからきっと、もう一度初心者の目で、それを見直さないといけないんだ。すべてをイチから、いや、ゼロから見直していくことで、きっと世界はもっと良くなっていく。
俺は、フルリュに握手を求めた。
「また、どこかで会おうぜ」
フルリュは少し目尻に涙を浮かべて、握手に応じた。
「はいっ。私、ラッツさんに会えてよかったです」
フルリュの母親は魔法を唱えた。目の前に光の柱のようなものが出現した。
母親と、妹。そして最後に、フルリュが光に呑み込まれていく。
フルリュは最後まで、俺に手を振っていた。
やがて光が消えてなくなるまで、俺はそれを見ていた。
ふと、メノアが言った。
「よかったな」
「そうだな」
色々、大変だったけど。
俺は、作ろう。
俺だけの、『超・初心者の手引き』を。
◆
深夜。朝方まではまだ少しだけ時間のある、夜の出来事だった。
俺は慎重に窓を開き、後方を確認。綺麗に浮かび上がる満月を見て、ほくそ笑んだ。マッシュルーム・マウンテンの一件でチークに取り寄せてもらった、先端にフックのついたロープを窓枠に引っ掛ける。
「なあ……本当に行くのか?」
正装に着替えたメノアが、気まずそうな顔でそう言った。
「当たり前だろ。よりにもよってフィーナの家に寝泊まりでしかもヒモとか、これから何を要求されるか分かったもんじゃねえ」
「しかし、泊めてくれた礼くらいは……」
「言ったら逃げられなくなるだろーが!」
おっと、いけない。声が大きいと、どこかの部屋で寝ているフィーナが起きてしまう。俺は静かに慎重に、リュックを背負ったままでロープを下った。仕方なく、メノアも付いて来る。
着地して、ロープを窓枠から外すために短剣を鞘ごと投げた。爪が外れ、短剣と一緒に落ちてくる。キャッチして、すぐにそれらをリュックの中に戻した。
「さーて、新たなる旅立ち、って所だな」
チークから報酬の百万セルも貰った後だし、準備は万端だ。
「フィーナ殿、怒ると思うな……」
「せめて、金が貯まってからな。金欠の時から連れ回してたら、俺達一生フィーナの下僕だぜ」
「むう……」
いまいち納得していないメノアだった。
「なんだよ。俺は、親父を探す。メノアは、仲間の所に帰る。どっちも、ここに居たら達成されないだろ?」
腕を組んで、メノアはため息をついた。
「……わかった、わかった。行こう」
「よーし、そうと決まればまずはセントラル・シティを出る所からだな。あ、森のダンジョンはしばらくやめような。俺じゃ勝てる気がしない。迂回しよう」
「私も、あの森は嫌だな……我ながら、よく無事で生き延びたものだ……」
「しかも全裸でな」
「もうそれ言うのやめてくれないか!?」
「あっはっはっはっは!!」
笑いながら、走り出す。
セントラル・シティには、夜明け前の冷たい風が吹いていた。俺はリュックにありったけの荷物を詰めて、セントラル・シティを駆け出した。
ダンジョンに入らず、ここから向かう事ができる道は――まあ、どこでもいいだろう。どんな事でも何とかなる気がしてしまうのは、夜明け前のテンションがそうさせているのか、どうなのか。
「それで、どこに行くつもりなんだ?」
「とりあえず南に行ってみようぜ」
「おお、南に何かあてがあるのか?」
「あったかそうだなと思って」
「そんな理由!?」
何はともあれ、俺達の旅は今、あらためて始まったのである。
to be continued...
【新訳】超・初心者(スーパービギナー)の手引き - 全職業スキルレベル1のままで最強を目指す男 - ヨーキなくらげ @jellyfish1023
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