第23話 これは俺の、戦いなんだ

 しかし俺が今、どうしてもここで倒さなければならない強大な敵が『壁』だなんて。


 なんとなく、それは過去を連想してしまう。


 俺は、変わらなければならないのだと――……そう、言われているかのように感じた。


「【イーグルアイ】」


 自分自身の動きにすらついて行けていなかった目が、劇的に向上する。これで、速度に振り回されることは無いはずだ。


 あいつの移動速度が遅いのが、せめてもの救いか。


 あとは、あの壁を突き破る火力。俺に足りないのは、それだけだ。


 四倍の【キャットウォーク】。それに、こいつを追加する。


 もう一度、ゴーグルを装着した。


「【ソニックブレイド】!!」


 十六倍の速度。それは電光石火で、マッシュルーム・マウンテンの広大な傘の上、端から端までを一瞬で通過した。


 あまりの速度に、両手が震えている。


 狙ったのは足だ。片方でもやられてくれれば、これで身動きが取れなくなるはず――……そう思った時、異変に気付いた。


 チークから貰った長剣が粉々に砕け散っている。慌てて、俺は振り返った。


 まずい……剣の方が耐えられなかったのか……!!


 振り返ると、すぐそこにビッグ・ルーウォーが迫っていた。拳を振り被っている。


 あ……。


「ぶっ――……!!」


 強烈な衝撃に一瞬、意識が飛んだ。


「ラッツ!!」


 駄目だ。気を失ってはいけない。もう少し。もう少しだけ、耐えるんだ。


 ぎりぎりの所で、意識を繋いだ。


 今のは、直に殴られたのか? 速すぎて、何も見えなかった。


 どうやら相当な距離を転がったようで、俺は先程まで立っていた場所とは全く違う所で寝ていた。なんとか右の指を地面に引っ掛けたのか、傘から落ちるギリギリの所で止まっていた。


 今の攻撃で左肩が折れたようだった。千切れなかったのは【ホワイトニング】のお陰だろうか。


 でも、この状況で片腕を失ったら、打ち破る事なんてとても――……。


 頭が、ガンガンと痛む。


 どうすればいい? 片腕でも、こいつを倒す方法は……。




「グオオォォォォ――――――――!!」




 ビッグ・ルーウォーが、俺に向かって吠えている。


 駄目だ……!!


 諦めたら、駄目だ。こんな所で終わったら、駄目だ。


 そう思っているのに、意識が遠のいていく。ビッグ・ルーウォーが一歩ずつ、俺に近付いてくるのが見えている。


 見えているのに、動けない。


「……へへ」


 わけも分からず、笑みがこみ上げてきた。




 またか。


 また俺は、失敗するのか。


 全力を振り絞って、自分にどうできるか知恵を巡らせ、何度も打ちのめされながらも戦って、光を掴む。


 でも、その光は幻のようなものだ。


 すぐに俺の手を離れて行ってしまう。


 いつもそうだ。……いつも。


 もう視界がぼやけて、何も見えない。


 みんなに助けてもらっても、結局最後は、俺は――……。




『彼らは私達を魔物と呼び、危険な存在としている』


『マモノ?』


『邪悪なる者の遣い、という意味だよ』


 どうしてこんな時に、ジンの言葉を思い出すんだろうか。


 確かに、危険なヤツは居る。どうしたって心を通わせられない生物が、この同じ世界にゴロゴロ存在している。


 目の前の、こいつだって。


 それは、事実だ。


『ラッツは魔物に育てられたから、親はいないそうだぞ』


 そんな危険な生物達を、人間が『魔物』と呼び、蔑み、忌み嫌う。


 その気持ちだって、分からない訳じゃない。


 この世界では、いつ、何をされるか分からない。どこで死ぬか分からない。だから、より安全な方が良いに決まってる。


 分かってる。


 そんな事は、分かってるんだ。


『まー、そしたらさ。俺が冒険者になった時は、人間のみんなに伝えるよ。リンドウルフは悪い奴らじゃないってこと』


 その時、気付いた。




 そうか。




 これは俺の、戦いなんだ。




「……お前が街に行ったら、きっともう二度と、俺たちは分かりあえない」


 立ち上がった。


 転がった時に石に頭をぶつけたのか、視界が血で半分塞がれていて、よく見えない。全身の感覚は無いし、左腕は動かなかった。


 でも、まだ、メノアの魔法の効果時間内だ。


「だから、ここは通せない」


 ジン。


 ジン……!!


 俺は人から忌み嫌われて、冒険者になった。


 たくさんのものを壊して、たくさんの人間を不幸にしてきた。




 護れなくてごめん。迷惑をかけてごめん。






 ほんとに、……ほんとうに、俺は――……






「おおおおおぉおぉぉおぉぉぉ――――――――!!」




 がむしゃらに、わけも分からず、俺は叫んだ。


 岩でできた巨人への、小人の抵抗。単身、巨大なビッグ・ルーウォーに向かって、飛びかかった。


 その壁に、体当たりをかました。


 一発なんかじゃ駄目だ。たった一度の挑戦で、壁を打ち破れた事なんかない。


 着地して、もう一度体当たりする。


 何度も。何度も。


 ビッグ・ルーウォーが傾き、その場に倒れ込んだ。


 その身体に、飛びかかる。


「グオオォォォォォ!!」


 不思議だ。あれだけ怖かったはずのビッグ・ルーウォーに対して、恐怖を感じない。


 口が開き、俺を迎えた。噛み砕くつもりだろう。


 だが、行く。


 鋭く尖った牙にハンマーを打ち立てると、牙はヒビが入り、あっさりと折れた。


 口を開くのは得策ではないと思ったのだろう。すぐにそれは、元の壁に戻る。


 そうか。こいつは、外側は頑丈で何も通さないけど、内側はもろく、柔いんだ。だから、食べる時にしか牙を見せなかった。


「【ダブルアタック】!!」


 手にしたのは、チークが渡してくれたハンマーだ。


 迷わず、壁に向かってハンマーを突き立てた。


 俺の、壁に向かって。


「割れろ!!」


 俺はどこかで、あの日の贖罪がしたかったのかもしれない。


 でも、償いたかった人はみんな、俺から離れてしまった。あるいは死に、あるいは心を壊されてしまった。


「割れろ!!」


 俺は言いたかった。


 誰にも言えない『ごめん』を、ずっと。


 でも、もうそれを言うことは叶わないことだ。


「割れろ!! 割れろ!!」


 もう、それは諦めることにした。


 その代わりに、俺もやってみようと思う。


「割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろ割れろおあああぁぁぁぁぁあぁぁぁああ――――――――!!」


 俺も誰かの知らないどこかで、誰かを助けて生きていく。


 だって俺は、そうして助けて貰ったから。


 何百、何千と突き立てていると、ビッグ・ルーウォーにヒビが入った。


 ぼろぼろと、欠片がこぼれ始めた。それは光の粒になって、空中に舞い始めた。


 そして――――…………。




 ◆




「ラッツ!! ラッツ!!」


 俺は、目を覚ました。


 見慣れない、どこかの建物の一室。いつもの宿と違って、部屋の中は白を基調とした色合いになっている。天蓋付きのベッドに、高そうな椅子。随分と豪華だ。ここはどこだろう。


 柱に随分と手間のかかりそうな装飾が施されている様子を見ると、とても普段の俺が訪れるような場所ではないと分かる。


 呼びかけていたのはメノアだ。俺の顔を見ると、安堵している様子だった。


「良かった……全然目を覚まさないから、心配したぞ」


「メノア、ここは? ……いちち」


 体を動かすと、鈍痛が走った。


「ゆっくり動いた方が良いぞ。三日も寝ていたのだから」


「そんなに? どこだよ、ここは」


「フィーナ殿の自宅だそうだが」


「げえぇっ!?」


 思わず飛び起きた。何、あいつこんな豪華な家持ってんの!? 貧富格差やばすぎるだろどうなってんだ。


 あれ? 俺がここに寝ているということは、つまり……。


「ビッグ・ルーウォーは、どうなった?」


 問いかけると、メノアは嬉しそうに微笑んだ。


 俺の枕元にあった、金色の宝石を俺に見せる。


「これが、ビッグ・ルーウォーだったものだ」


「……なにこれ」


「ドロップアイテムだと、フィーナ殿が言っておったよ。ビッグ・ルーウォーの体の中に埋まっていたそうだ」


 そうか。魔物って倒すと、アイテムに変わるんだっけ。確か、そういう風にアカデミーで習ったような。


 俺はメノアから宝石を受け取ると、ぼんやりと考えた。


「……勝ったんだ」


「ああ。主のおかげでな」


「何言ってんだ。メノアがいなきゃ、どうにもならなかったよ」


 そうか。……勝ったんだ。


 途中からさっぱり記憶がなくて、いまいち実感がわかないんだけど。まあ、全員無事で帰って来ているのが何よりの証拠――……。


「そうだ、レオは?」


「ああ、フィーナ殿のおかげで無事、腕も復活したらしいぞ。あのレベルの怪我になると、フィーナ殿でもそう何度は治せないと言っていたが」


「そうなんだ。回数制限なんかあるのか」


「私は白魔法に疎いものでよく分からなかったのだが、なんでも人間の根本的治癒能力がどうだと言っていた」


「ふーん……」


 まあ何にしても、治ったんだったら良かった。


 俺はベッドに今一度体を預けて、ぼんやりと天井を見上げた。


「なんとかなったんだなあ」


 完全なる独り言だったが、メノアが椅子に座って、微笑んで言う。


「ああ。なんとかなった」


「メノアのキスのお陰だな……」


「いやっ、あ、あれは粘膜接触が必要でな!? 唇が一番都合がよかっただけで!!」


「鼻の穴と鼻の穴でも良いってことか」


「物理的に無理だろう!?」


 どうも、実感がない。途中で意識を失っていたからだろうか。


 達成感の代わりに、胸に広がるのは安堵感だった。


 誰も失わなかった事が、何よりの成果だ。


「ラッツは、こっちに――……お、ラッツ! 目を覚ましたのか!」


 扉を開けて、レオが入って来た。その隣には何度か見たことがある、美しい銀色の長髪を持つ男がいた。


「……シルバード・ラルフレッド?」


 思わずぽかんと口を開けてそう言った瞬間、レオが俺の頭をはたいた。


「さん、だ。さんを付けろ」


「あはは。別に構わないよ」


 シルバードさん? は、俺を見て柔和な笑みを浮かべた。


「目を覚ましてくれていて良かった。君がうちのダンドを止めてくれたという話を聞いてね、一言お礼を言おうと思って来たんだ」


「ああ……いや、別に……うーん、まあ、どうも」


「ラッツ・リ・チャード君だね。アカデミーから話は聞いているよ」


 アカデミー。


 その単語が出た時、無意識に体が強張った。ダンド・フォードギアの件をどう扱うつもりなのかは知らないが、俺は今回、何かを言われるような事は一切していない。はずだ。


 と思っていたら、シルバードさんは俺に向かって、頭を下げた。


「ダンド・フォードギアが、このたびは大変な迷惑をかけた。本当に、申し訳なかった」


 俺は目を丸くして、呆然とその様子を見つめた。


「……はあ」


「僕がギルドリーダーに就任されるのを、快く思っていない事は知っていたんだ。……でも、まさか魔物を呼び出して、名誉勲章の授与をめちゃくちゃにしようとするなんて、さすがに予想していなかった」


「あー、……そういう理由だったんすね」


「もちろん、詳しい胸の内は話してくれない。でも結果としては、そういう出来事が起こった。それは事実だ」


 どうにも、奥歯に物が挟まったような物言いだ。この様子だと、ビッグ・ルーウォーを呼び出した本当の理由は、この人にも伝えられていないのだろう。


 随分と恨んでいたようだったからな。間違ってもこの人には話さないだろうとは思う。


「ラッツ君にも、レオにも、今回は本当に申し訳ない事をした。すべて、僕の能力不足故に起こったことだ」


「いや、良いんすよ。俺が好きでかかわっただけなんで」


「しかし、君はどうしてダンドの企みに気付けたんだい? ソードマスターの内部でも分からない事だったのに……」


 無言で、俺はレオを見た。レオはバツが悪そうにしている――……そりゃあ、そうか。知らないハーピィを助けたなんて、この人に言えるわけがない。


 ダンドもこの様子だと、ハーピィを捕まえた事は話していなさそうだ。


 俺が黙っていると、シルバードさんは苦笑した。それ以上は詮索するべきではないと悟ったように見えた。


「何にしても、今回のお礼がしたい。僕にできることはあるかな」


 少し、俺は考えた。


「……そうしたら、冒険のための資金をくれないか」


「おいラッツ……敬語……」


 レオが呆れた顔で俺を見た。うるさい。敬語は苦手なんだ。


 シルバードさんは、特に気にしていないようだった。


「いくら欲しい?」


「十日くらい、宿に泊まれるだけの金。見合わないかもしれないけど、それくらいもらえると、助かる……ます」


「十日?」


 シルバードさんが、少し驚いたような顔で呟くように言った。俺はベッドから体を起こした。


「俺は、家族を探すために冒険者になったんだ。でも今は、旅立つための資金もなくて……んす」


「敬語のクオリティ……」


 レオが頭を抱えていた。ほんとこいつうるさいな。


 今は、フルリュの羽根がなければ生活もできないような状況だ。当然セントラル・シティ以外の場所に行くなんて考えられないし、どうにかしないといけない。


 シルバードさんはくすりと笑って、懐から紙……? 紙を取り出した。


 俺の目の前で、円形のテーブルに紙を置いて、何やらペンを走らせる。


 そうして、俺にその紙を手渡した。


「これを、セントラル銀行に持って行ってくれ」


 そこには、金額が書いてあった。って、おお。これはアレだ。見たこと無かったけど、小切手じゃないか。


 一、十、百、千、万、十万、百万……一千万セルと書いてある。


 えっと? ……確か宿が、一泊八千セルだから。


 ……?


「いっせんまん!?」


 思わず、聞き返した。


 レオはあまりの衝撃に、開いた口が塞がらなくなっていた。シルバードさんは笑って、俺に向かって手を広げて言った。


「いにしえの強大な魔物を倒したんだ。それくらい報酬があっても良いだろう? 君が動かなければ、街は壊滅状態だったんだから」


「い、いや。俺は別に、十万もあれば」


「ただし、君たちみんなでだからね。ラッツ君とレオと、もし他に関わっているメンバーがいるならそれぞれ、分けてあげて欲しい」


「いやいや、それにしたって多すぎるだろ……」


「感謝の気持ちだ。受け取ってくれないか」


 俺は、呆然とシルバードさんを見つめた。


 この様子だと、いらないと言っても置いて帰りそうだ。


「……うす」


 俺がそう言うと、シルバードさんは安心したようで、微笑を浮かべた。


「でも、鐘を吹っ飛ばすのはちょっと勘弁してほしかったな」


 俺はベッドから落ちた。


「いっ、いやあ、あれは!!」


「いやいいんだ、英断だよ。幸い修繕はできそうだし怪我人もいなかったので、安心して欲しい」


 マジか。シルバードさん、めちゃくちゃ良い人じゃないか。正直、絶対怒られると思ってた。


 しかし、怪我人いなかったのか。ほんと、良かったなあ……。


「ダンド・フォードギアは、降格になるんすか」


「処罰はある。でも、僕の至らない部分が招いた結果でもある。だから厳重に監視するとしても、クビにはしないつもりだよ」


「……そうなんすね」


 ダンドが何か、強いコンプレックスを感じていたのは確かだ。今回あいつがやったことは許される事ではないにせよ、あいつ自身の問題も解決すれば良いと……ぼんやりと、そう思う。


 シルバードさんは目を閉じて、何かを考えているようだった。


「……それでは、ね。ラッツ君、同じ冒険者として、これからもよろしく。レオ、行こう。恋人の前で長居しては申し訳ない」


「いやいやいや、私は冒険者仲間で!」


 メノアが慌てて反論したが、シルバードさんは笑っただけだった。


「ラッツ、またな。次に会った時は俺、もっと強くなってるから」


「おう」


 レオの言葉に俺が頷くと、シルバードさんは背を向けて、部屋の扉に手をかけた。レオもそれに付いて行く。


 俺は、拳を握り締めた。




「俺は、危険じゃない魔物もいるってことを、いつか人間が分かるようになればと思う」




 シルバードさんは視線をこちらに向けた。俺は、しっかりとその目を見た。


「危険じゃない魔物は、いるんだ。ちゃんと話ができる魔物がいるんだ。……それは、差別されるような存在ではない、はずだ」


 なぜか、宣戦布告せずには居られなかった。


 今、セントラル・シティで冒険者の一番上に居る男に、それだけは伝えておきたかった。


「――ああ、知っているよ」


 シルバードさんは、また先程までのような、微笑を浮かべた。




「だが、人々の意見が簡単に変わらないのも事実だ。だから、もしそうなったら、僕も嬉しい」




 その言葉に、驚きを隠せなかった。


 てっきり、俺はまた……何を言っているんだと、蔑まれるものかと思っていた。


 そんな事を言われたのは、俺は初めてだったから。なんとなくその人に、人としての器の大きさというのか、そのようなものを感じてしまった。


「はい」


 俺もいつか、こうなれるだろうか。

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