第22話 重複表現(デプリケート・スタイル)

「良い魔法がある」


 メノアが言った。


 気付けば、メノアは手に本を持っていた。あれは……メノアの唯一の持ち物だったという本だ。中に何が書かれているのか、俺が分かる日はたぶん来ないだろうと思う。


 メノアはその本を開いて、何かをひらめいたかのように見えた。


「だが、少し時間を必要とする。その魔法を、これからラッツにぶちかまそうと思う」


「俺に?」


 メノアは目を閉じて、意識を集中していた。そうすると、メノアの周囲がぼんやりと淡く光り出した。


 えっ、これは……魔力が集まっているのか? そういえば、位の高い魔法使いや聖職者が集中すると全身がそういう状態になるって、どこかで聞いたような。


 フィーナでさえ、光っているのは杖だけだというのに。メノアって本当、何者なんだ……?


「私が主に助けられるまで、どんな存在だったのかをおぼろげに把握した」


「おぼろげ……?」


「この本を読む限り、私は付与魔法の使い手だ」


 付与魔法!! なるほど、魔法が得意なわりに回復も攻撃もできないって言うから、何が得意なのかと思っていたけど……メノアはつまり、サポートを得意とするタイプなのか。


 そこまで考えて、ふと俺は気付いた。


「レオの方が良いんじゃないか? 俺じゃ、その……たぶん、パワーが足りないだろ」


「いや。この魔法は、おそらく主が最も都合が良い」


 どういう意味だ……?


「も、もう限界です!!」


 フィーナの防御が破られ、ついにフィーナがその場に崩れ落ちた。咄嗟に、フィーナの身体を支える。


 顔は青ざめ、ひどく汗をかいている。明らかに魔力切れだ。


 もう、メノアの案に賭けるしかない。


「レオ、あいつの注意を引き付けるんだ」


「お、俺が……ひとりで……?」


「メノアの魔法が俺にかかればバトンタッチだから、頼む。……ごめん」


 レオは耳まで真っ青になって、カタカタと震えていた。……気持ちは分かる。


 どれだけ絵画みたいなバケモノでも真正面から戦ったら、ちゃんとした生き物だから。つまりそれは、殺されるってことだ。


 フィーナが額に脂汗を浮かべながら、レオを見た。


「……片腕までなら、後で再生できますわ」


 レオは、歯を食いしばった。


「くっ…………そおおぉぉぉぉぉ――――!!」


 ヤケクソ気味に長剣を握って、ビッグ・ルーウォーに突っ込んでいく。


 本当はこんな役回り、させたくないんだけど。


 でも、この状況をなんとかできるとしたら、それはメノアだけだ。……俺は黙って、待っているしかない。


「ウル・セウル・アルタル・リゥラール・ソワル……」


 メノアがぶつぶつと、俺には分からない言葉を紡いでいく。それと同時に魔法陣がひとつ、メノアの指先から現れた。


 難しい魔法なのか、メノアは緊張している様子だ。チークとフィーナが、真剣にそれを見守っている。


「【ウエイブ・ブレイド】!!」


 ダンドのそれと比べると明らかに弱い斬撃波が、ビッグ・ルーウォーに当たった。ビッグ・ルーウォーは一瞬動きを止めたが、それ以降特に何も効いていない様子でレオに狙いを定めていた。


 レオの両足はがくがくと震えていた……さっきの、俺に向かって放たれた巨岩。フィーナの守りが無ければ、当たれば一発で終わりだろう。


 ……どのくらいかかるんだ、この魔法。


「ティェントワル・ギルハーバルワール・テントマル・リエル・ジルベール」


 指先から魔法陣がふたつ、みっつ。


 メノアが詠唱するたび、いくつもの魔法陣が空中に浮かんでいく。それらはまるで月のように、メノアを中心として回転を始めた。


 魔法陣っていうのは、基本的には地面に書くものだ。だからどれだけ熟練した魔法使いでも、巨大な魔法陣をひとつ、地面に書くので精一杯になる。


 戦う前に書ければ良いが、戦いの最中に書くことの方が圧倒的に多いからだ。


 だから言葉を使う魔法が主力だし、魔法陣というのは詠唱と組み合わせて、大技として使われる。


 それを、言葉と同時に空中に描いて……しかも、いくつも組み合わせるなんて。


 でも、時間がかかり過ぎだ……!!


「ラッツ!! まだか!?」


 レオが、ビッグ・ルーウォーに追い詰められている……!!


「レオ!! 避けろ!!」


「づっ……!!」


 ビッグ・ルーウォーの巨岩が、レオを捉えた。とっさにレオは、長剣を構える。


 瞬間、俺は目を見開いた。




「駄目だ避けろレオおぉぉぉ――――――――!!」




 俺の言葉は、虚しく空を切った。


「いぎっ……!! ぎゃあああああ――――――――!!」


 心のどこかで、まだ実感が無かったんじゃないか。


 これだけの人数で挑めば、まだ勝てる可能性があるんじゃないかって。それはつまり、少しは痛い思いをするかもしれないけど、全員が無事に帰れると、そう思っていたんじゃないか。


 巨岩の勢いを長剣で逸らそうとしたレオの剣は、消し飛んだ。


 肩で支えようとしていた、レオの左肩ごとチリになった。


「あああああ!! ああああああ!!」


 その場で左肩を押さえて、バタバタともがいた。


 口がカラカラに乾いて、心臓が止まったような気分だった。


 ビッグ・ルーウォーが、レオに向かって拳を振り上げている。


「ま……まだか!? まだか、メノア!! おい!!」


 どれだけ絵画みたいなバケモノでも真正面から戦ったら、ちゃんとした生き物だから。……つまりそれは、殺されるってことだ。


 レオが死ぬ。


「レオッ……!!」


 あまりの光景に、チークが両手で口を押さえた。


 これを……黙って見ていろって言うのかよ……!!


「だ、誰か……助け――」


 俺は思わず、目を閉じた。ドスンと、地面から振動が伝わった。


 レオが。……死んだ……のか。


 こんなところで、一瞬で……。




「……はっ、……はっ」




 いや、聞こえる。


 俺は目を開いた。


 ビッグ・ルーウォーの周囲に、レオが居ない。……避けた? どうやって!?


 周囲を見回した。


「ラッツさん!!」


 思わず、涙が出そうになった。


「フルリュ……!!」


 フルリュがレオを抱えて、空中に避難していた。


 助けてくれたのだ。妹を視界から外しながらも、レオのために動いてくれた。


 ビッグ・ルーウォーが、俺達の方に振り返る。それよりも早く、フルリュは俺達の所まで戻って来た。


「ラッツさん、チークさん、肩口を布か何かで縛ってください、早く!!」


「ああ、ありがとう」


 レオは口をぱくぱくと開いていたが、言葉になっていなかった。


 チークがアイテムカートから小瓶を取り出して、封を開ける。


「レオ!! パペミント!! 飲める!?」


 パペミントというのは、薬草の一種だ。体力回復に効果がある……が、その効果は精々、疲労を癒やす程度。左腕が肩ごと無いこの状況では、気休めにしかならない。


 俺はレオの服を破って、肩をきつく縛った。……長くはもたない。急がないと。


 すぐに、ビッグ・ルーウォーを見る。くそ……また、こっちに巨岩を投げるつもりだ……!! 準備動作はゆっくりなのに、動く時が速すぎる。


「しばらく、私が注意を引き付けますから!!」


 確かに、レオと比べればフルリュは速い。今だって、ビッグ・ルーウォーの攻撃を前にして、レオを救ってみせた。


 でもそれは、同時に防御力に乏しいという事でもあるんじゃないのか。つい、そんな事を考えてしまう。


 フルリュがビッグ・ルーウォーの周囲を飛び回ることで、ビッグ・ルーウォーの意識はフルリュに向いた。どうにか俺たちから遠ざけようと、フルリュは動いた。


 ビッグ・ルーウォーの手のひらに、またも巨岩が――いや、今度は岩じゃない。


「チーク、フルリュを回収する準備をしてくれ」


「え、えっ?」


「急いでくれ頼む!!」


 わけも分からず、チークがフルリュに向かってアイテムカートを走らせる。


 ……さっき、フルリュの妹を助ける時に、気付いてしまった。


 ハーピィは、人間と比べて異様に軽い。


「えっ……」


 フルリュが呟いた。先程までと違ったからだ。


 ビッグ・ルーウォーは無数の石を出現させて、それを力任せにフルリュへ投げ付けた。散弾だ。当然その石は、点ではなく面となってフルリュを襲う。


 しかも、岩と比べて軽い。あの巨体から放たれるそれは、たやすくフルリュの身体を突き抜ける。


「ぐっ……!!」


 どうにか避けようとフルリュは飛んだが、とにかくハーピィは翼がでかい。左の翼に喰らって、フルリュが落下していく。


 それを、チークのアイテムカートが受け止めようとしている。


 メノアが叫んだ。




「主よ、こちらへ!!」




 きたか……!!


 俺は言われるままに、急いでメノアの真正面に走った。


 幾つもの魔法陣が宙を舞う。メノアの身体から、髪と同じ赤い色の光のようなものが放たれている。


 メノアに両手を握られると、じんわりとそこから、力が伝わって来るのが分かった。


「制限時間は、五分くらいだと思う」


「……了解。何が起こるんだ?」


「これから五分の間、主が放つあらゆる魔法が、重複される」


「重複?」


 重複って……どういうことだ……?


 俺が何も理解できていないままに、メノアはその魔法を口にした。




「【重複表現(デプリケート・スタイル)】」




 メノアは俺に唇を重ねた。


 瞬間、俺の中にあった『何か』が、急速に変化していくのを感じた。はっきりとこれがとは言えないが、身体の内側にある何かが、音を立てて組み替えられていくような感覚だった。


 魔法は、一瞬。特別何か、俺の外側に影響はない。メノアが唇を離してからも、変わりは無かった。


 ……あ。でも、俺自身の身体がぼんやりと光っている。さっきのメノアと同じだ。


「あとは、頼む」


 メノアに頷いて、俺はすぐに走り出した。


 まったく理解はできていない。……できていないが、今は理解よりも行動が優先だ。


 飛べなくなったフルリュが、チークのアイテムカートに収まっている。ビッグ・ルーウォーを目の前にして、チークは膝をついていた。


 この距離じゃ、間に合わないか……!?


「【キャットウォーク】!!」


 そう唱えた瞬間、俺はものの一瞬でチークの目の前にいた。


「えっ……」


 あまりの速度に、俺の方が反応できなかった。


 アイテムカートごと、チークとフルリュを突き飛ばす。


 避けた瞬間、今の今まで俺たちが居た場所を、高速の岩が通り過ぎていった。


「あっつ……」


 チークが転んで、痛そうに顔をしかめた。フルリュもアイテムカートが倒れて、投げ出された。


 左の翼があちこち抉られて、穴が開いている。……これじゃあもう、飛ぶのは無理だ。


「悪い、大丈夫か?」


「ラッツ……うん。ありがと」


 チークも膝を擦りむいていたが、見た目には大きな怪我はなさそうだ。チークは恐怖に青ざめたままで、俺に微笑んだ。


 使った魔法が、重複する付与魔法。まさか、ただの【キャットウォーク】がこんなに速いとは。いくら効果が二倍になると言ったって――……いや、待てよ。


 そうか。ただ単純に効果が二倍になる訳じゃなくて、これはいわゆる『重ねがけ』なんだ。


 つまり、【キャットウォーク】の上から、もう一度【キャットウォーク】を――……。


 そうか。


 メノアがレオではなく俺を選んだ理由が、なんとなく分かってきた。


「ラッツ、これ」


 チークは俺に、アイテムを投げてよこした。俺はそれを左手で受け取る。


 これは……ハンマー。


「私の、鍛冶で使うハンマー。レアアイテムだから、たぶん一番硬いと思う」


「良いのか?」


「使って良いから、みんなを助けて」


 俺は、ハンマーを握り締めた。


 俺はチークに向かって、頷いた。


「分かった。任せろ」


 まるで弾丸が飛ぶかのように、俺はビッグ・ルーウォーに向かって飛び出した。


 移動速度が二倍になる【キャットウォーク】の効果が重複すれば、それは四倍ということになる。だから間に合わない距離でも、一瞬で詰めることができた。


 ビッグ・ルーウォーの背後に回ると、俺はもう一つの魔法を口にした。


「【ホワイトニング】……!!」


 身体能力の強化も、四倍に。


 走り出し、俺は叫んだ。


「こっ!! ちだ!! バアアァァァ――――――――ッカ!!」


 地面を蹴って、ビッグ・ルーウォーの背後にドロップキックを浴びせる。


 ズドン、と音がして、ビッグ・ルーウォーの動きが止まった。俺はビッグ・ルーウォーの背中を蹴って反転し、再び距離を取った。


 ちっ……さすがに転ぶくらいは、と思ったんだけどな。そう簡単には行かないか。


「グオオォォォォォ……!!」


 しかし、怒りは買ったようだ。無言で俺たちを攻撃し続けた殺戮マシーンから、地鳴りのような声が聞こえてくる。


 長時間の戦闘は、こっちが不利になるばかりだな。


 俺は、リュックから長剣を取り出した。



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