朝食のバナナは幸福をもたらす
僕は繰り返す“今朝”の中で、欠かすことなくバナナを食べ続けた。
朝食にバナナを食べると人は幸せになる。
それが本当か知らないが、しかしバナナが超能力や魔法を増強することだけは確かだ。そして、バナナによる超能力と魔法の成長は決して消えたりはしない。
僕は繰り返し続ける“今朝”の中でバナナを食べ続けていた。
コーヒーを飲んで、バナナを食べて、惰性でテレビを見る。
これが僕の朝のルーティーンだ。
時にそれができない世界――そもそもバナナが存在しないだとか――そういう世界もあったが、しかし、可能な限り僕はバナナを食べ続けていた。
ループしているという記憶があってもなくても、僕はバナナを食べた。
何より朝食にバナナを食べることは、きっと健康にいいからだ。
そして、その結果、僕の超能力と魔法は繰り返し続ける“今朝”の中で、バナナによって成長し続けた。次の“今朝”が来ても、その成長は決して消えない。
たとえ僕が超能力を使えない世界であっても、魔法が存在しない世界であっても、バナナは僕の“力”の成長の糧となっていたのだ。
繰り返し続ける“今朝”――実に様々な世界の“今朝”はいつのまにか混ざり合った。世界が混ざり合い、混沌の中で世界は壊れつつあった。
だから僕は混ざり合っていく世界の中で超能力と魔法を使った。使い続けた。
最初のうちは、僕の“力”が部屋の外へ干渉することは不可能だった。
しかし、バナナを食べて僕の“力”は成長をし続けた。
窓の脇に生えた樹木の葉を揺らすのが精いっぱいだった超能力は、次第にその射程距離を伸ばし、ついには僕の隣の部屋にまで干渉することができるようになった。魔法はテレビを貫通して、アナウンサーを眠らせるまでになった。
僕のやったことは単純だ。
得意の眠り魔法を使って、隣の部屋の住人を朝いつもより少しだけ眠くさせた。
超能力を駆使して、しばらくしてからベッドから突き落として起こした。
この二つだ。
するとどうだろう。寝坊した上に、ベッドから落ちて目覚めた隣人は――彼女は思ったに違いない。
――今日はラブコメの世界だ、と。
そんな素っ頓狂な起き方をするのは、ラブコメの世界ぐらいだろうから。
この水曜日の朝が繰り返されるのは、僕の隣の部屋に住む住人に原因があった。
彼女もまた僕と同じで、似通った毎日に飽き飽きとしていたのだ。
“昨日”と同じような”今日”を無駄にする――そんな“毎日”を浪費する日々に嫌気がさした彼女は思ったのだ。
――毎朝起きたら、いろいろな世界にいたら面白いな。
たわいもない空想だ。誰だって少しくらいは戯れにするような空想。それを彼女は考えた。
人類が宇宙に進出している世界、ファンタジーのような異世界、超能力者がいる世界。そんなちょっとした遊び心ある空想を考えたのだ。
それだけなら何のことはなかった。僕だってそんな空想をときには考える。
だけれども、彼女は超能力者だった――それも無自覚な超能力者だった。
彼女が思い描いた空想は、本人の意思とは無関係に、その超能力が現実にしてしまった。
超能力者としての彼女の才能は僕の比ではなかった。
だから、朝起きるたびに世界は変わった。
実に多種多様で様々な世界に、世界は“毎朝”移り変わった。本当に彼女の想像力には感服するばかりだった。
だが、それでも彼女は変わらなかった。いや、変われなかった。
いくら住んでいる世界が違っても、彼女は彼女自身のままだった。
――つまりは毎日に退屈している彼女だ。
彼女は――質の悪いことに――無自覚な超能力者で、自分自身がその能力を使っていると知らない。彼女は朝起きて、昨日とは違う新しい世界にいるが、無自覚ゆえに昨日までの記憶は書き換えられていた。
――その世界で毎日を過ごしていて、そして退屈している。
そんな記憶に彼女の“昨日”は書き換えられていたのだ。
だから彼女はやり直した。
つまらない”今日”をなかったことにして、そして新しい世界でまたもう一度“今日”をやり直す。それも彼女の超能力だった。
結果、世界は水曜日の朝を繰り返し続けるようになった。いろいろな世界の水曜日の朝を。
彼女が変わらないのと同様に、違う世界に移動したからと言って、僕もまた違う僕にはなりえなかった。彼女と同じく毎日に退屈している僕自身は、どの世界でもおんなじだった。
だから僕もまためんどくさい、気だるい朝を過ごし続けていたのだ。
ただ、彼女が僕と違うのは、見切りが早すぎるってことだ。
僕にとって、ループした“今朝”が終わってしまうのは、ちょうど玄関から足を一歩踏み出した頃だった。そして、その頃彼女はというと通勤を終えて会社にたどり着くらしいのだ。
つまり彼女はその日何か特別なことが起きないか期待して、朝会社に行くわけだが、しかし何事も起こることなく、出勤出来てしまう。
「もういいや。どうせ今日もつまらない日が始まる」
会社に着いて彼女がそう考えると、その瞬間に世界はループする。
彼女は人よりも諦めが早かった。おかげで毎日朝の時間だけがループすることになってしまった。もうちょっと――せめて一日くらいは様子を見ても良いと思うのだが、彼女の性格はそうではなかったらしい。
さらになぜだが知らないが、彼女があきらめるその時間は、いつもちょうど僕が玄関を出る瞬間だった。一体なんで連動しているのか、僕には全く理解できない。あるいはそれはバタフライエフェクトとかそういうやつなのだろうか?
ともかくも彼女の優れた想像力とやたらに諦めが早いのと、そして強力な超能力。その三つが組み合わさって、水曜日の朝を繰り返していたわけだったのだ。
重要なのはラブコメの世界だった。
ラブコメの世界だけは僕は外へと出ることが出来た。ほかの世界では玄関から足を一歩出した瞬間に次のループに進むというのに、ラブコメの世界だけは例外だったのだ。
それがなぜかと言えば、ラブコメの世界で彼女は寝坊するからだ。
いや、彼女は毎日走って会社に向かっているぐらいなのだから、毎日寝坊しているに違いないのだが、しかしラブコメの世界の彼女はただの寝坊ではなく、大寝坊をするのだ。
――寝坊して、パンを咥えて、走って登校する。
これがラブコメの世界のあるべき姿で、彼女がすべきことだ。そして、登校するまでのあいだに角で転校生のイケメンとぶつかって、それで物語は始まる。
だから、ラブコメの世界では彼女は大いに寝坊しなくてはならない必然性がある。
彼女は僕と同じくらいの年だから、高校を卒業して十年くらいは経っているのではないかとか、会社に行かずどこの高校に行く気をしていたのかとか、いい年こいて高校の制服を着るのはどうなのかとか、確かに疑問は尽きないが、しかし重要ではない。
重要なのは、ラブコメの世界では彼女は必ず寝坊することだ。
だから彼女が目的地に着く前に、僕は家から出ることが出来る。これはラブコメの世界でしか起きないことだ。
だが、ラブコメの世界は何万回とループする中で、僕はたったの二回しか巡り合わなかった。
しかも、割と最初の頃に二回引いただけで、それからずっと巡り合わなかった。たぶんパンを咥えて登校しても、イケメン転校生とぶつからなかったのだろう。そもそも水曜日などというキリの悪い日に転校してくるやつがいるのだろうか。普通は月曜日だ。
ともかく僕はバナナを食べ続けた。バナナを食べて超能力と魔法を強化した。
――ラブコメの世界に巡り合えないのであれば、ラブコメの世界にしてもらえば良い。
僕はそう考えた。
そして、今日、僕は鍛え上げられた眠り魔法を駆使して、彼女を寝坊させた。ちょうど彼女が僕と鉢合わせることが出来る時間になるように、サイコキネシスでベッドから彼女を落として、彼女を起こした。
ぶつかるのが高身長のイケメン転校生ではなく、中肉中背で顔も整っていない、しがないサラリーマンの僕で申し訳ないが、手近に用意できるイケメンがいなかったのだから仕方がない。
だが、彼女はそれでも満足してくれたらしかった。
イケメンかどうかより、何か事件が起こるかどうかが重要だったらしい。僕が超能力者だったことも良かったのかもしれない。不可思議なことが起きてほしいと願う彼女に超能力者で魔法使いの僕はうってつけだ。
こうして僕と彼女は、ようやく繰り返す水曜日の朝を抜け出した。
駅前の喫茶店で僕らはコーヒーを楽しんでいた。
スーパーで三番目に安いコーヒー以外のコーヒーを口にするのは、ずいぶんと久しぶりだ。この喫茶店のコーヒーは一杯700円もする。高いだけあってコーヒーはうまかった。僕がいつも飲むコーヒーひと瓶よりも、一杯の値段が高いのだから、それも当然だ。豆が違うよ、豆が。
今度からはスーパーでもう少し高いコーヒーを買ってみるのも良いかもしれない。
僕は幸福な気分で朝を過ごしていた。
コーヒーがうまいからというのもあるが、それよりも朝のひとときを彼女と一緒に過ごしているからだ。
朝、彼女とぶつかって、それで意気投合した僕らは、朝からゆっくりお茶をすることになったのだ。僕の容姿はとても美人な彼女のお眼鏡にかなうとも思えないのだが、しかし、僕が“いつもの朝”には表れない人間というだけで彼女には十分らしかった。
だから今日はいつのもの朝とは違った。
宇宙服にネクタイをつけたサラリーマンと、セーラー服に鎧と大剣を装備したOL、奇妙奇天烈な僕ら二人はのんびりと朝のコーヒーを優雅に楽しんでいる。
え? 会社はどうしたって?
別にいいじゃないか、そんなもの。たまに会社をサボったって構わないだろう。
だって、この喫茶店の窓の外を見てくれよ。
巨大なロボと大怪獣が戦って、あちこちにUFOが飛び交っている。道行く人はファンタジーの住人のように鎧と剣を装備していたり、はたまたぴったりとした未来的なジャンプスーツを着込んでいたり、ときにゾンビだったり、はちゃめちゃだ。
同じ朝を繰り返すことのなくなった世界は、それでも相変わらず、ありとあらゆる世界が入り混じっている。
こんな世界で会社をサボるくらいどうってことないだろう。
「あっ、ロボが合体した。ロマンあるなー」
僕がそう言うと、彼女も窓の外を見て、目を輝かせていた。
今日もまた世界は“無意味”にありとあらゆることが起こっていて、意味不明だ。だが、どんな世界であろうと、一つだけ確かなことがある。
――朝食にバナナを食べると幸せになる。
それだけは本当だ。
〈了〉
ありとあらゆる水曜日の朝 井戸川胎盤 @idonga
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