ありとあらゆる水曜日の朝
――めんどくさい。
そう思うと同時に僕は大慌てで布団から飛び出した。
――寝過ごした!
いつのまにか二度寝してしまったらしかった。カーテンからこぼれる朝日か、肉体のバイオリズムか、何がそう思わせたのかは分からないが、ともかく寝坊を確信した。
壁の向こうからはドンッと何かが落ちる音がした。どうやら隣人がベッドから落ちたようだ。その音に僕はとりあえず安堵した。ちゃんと隣人も寝坊したらしい。
思考を切り替えると、枕元のスマホを手にとった。スマホを見ると、時刻は判然としなかった。
スマホの時刻表示は、何かバグが起きたようで、ランダムな数字を表示した。99時かと思えば、目を離した瞬間に-44時に切り替わり、そうかと思えば今度は242分を表示する。今が何時か分からない。
けれども、とりあえずこの「寝過ごした!」と目覚めの瞬間に思った感覚を信じることにして、大慌ててでリビングへ超能力を駆使して、テレポートした。
テレビのスイッチを入れると、なぜだかテレビの時刻表示も狂っていて、僕のスマホと同じように適当な時間を表示している。
けれども、やっている番組の内容からして、どうやら寝坊したわけではないようだった。
テレビはいつもどおりに生活が変わると言いながらも変わらない政治改革を問題視して声高にコメンテーターが叫んでいる。
それに安心すると、超能力を駆使して、エアコンと電気ケトルのスイッチを入れた。
無重力に任せて、体を浮かび上がらせると、エアコンの吹き出し口の前に陣取って、ぼうっとテレビを眺めることにした。
いつのまにか政治ニュースは終わったようで、テレビはいつものように今日、僕に割り当てられた作業工程を映像付きで説明し始めた。それが終わって、テレビから『デハ、今日モ快適デ幸福ナ生活ヲ』とお決まりのフレーズが流れると同時に、電気ケトルのお湯が沸いた音がした。
宇宙港で購入した下から三番目の値段のコーヒーを入れると、混ぜもしないでそのままカップに口をつけた。熱いコーヒーで火傷をしないようにちびちびと口に運ぶ。
そうして半分ほど飲んだコーヒーをテーブルに置くと、キッチンの戸棚から今日の日付が入った“朝食”を取り出した。
薄青色のブロックと透明なプラスチックの容器に入った白い液体のセット。それを取り出して食べようと思ったが、そういえば、この“朝食”は不味いのだったと思いだし、それを元の場所に戻すと、別な棚からバナナを取り出した。
バナナを食べると幸福感を得られるという研究結果がある上に、超能力と魔法力が増強されるのはご承知の通りだ。だから毎朝僕はバナナを食べる。
何より毎朝、朝食を食べることは健康に良い。
バナナを食べた僕は、残ったコーヒーをまた手に持って、とんっと床を蹴って無重力に浮かぶと、やはりエアコンの吹き出し口に前に戻って、テレビを見た。
テレビは、今日も昨日と同じようなニュースを垂れ流している。宇宙コロニーの環境問題、顔と名前だけ知っている芸能人が管理AIに処分されたこと、誰が食べたくなるのだろうと首をかしげてしまう今話題のスイーツや新開発の人工肉。
毎日、繰り返されるようなニュースは、同じ日が繰り返されているのではないかと誤解しそうになる。
いや、実際毎日は繰り返されているのだから仕方有るまい。
昨日、僕が無意味に浪費した“今日”がなかったことになって、また“今日”が来た。ただ意味もなく“今日”を消費して、また“今日”が来て、いつまで経っても未来は来ない。全く以て嫌になってしまう。
僕の人生にとって、何一つとして意味を持たないこの朝の情報番組を見ている理由は、左上に時間が表示されるから。何も考えずにテレビを見ているというのは、実は正確ではなくって、テレビの時刻表示を見て「あぁ、あと5分だけこのままでいれるなぁ」って確認するためだ。
しかし、今朝に限って、その意味は失われてしまった。時刻表示は乱暴に適当な数字ばかりを映し出す。今は7777時7777分。なんだか少しラッキーな気分になった。やっぱり次の朝もテレビを見ようかと思ってしまった。
そうしていると、洗面所から勝手に歯ブラシが飛んできたのが見えた。時間はよくわからないが、どうやら歯磨きの時間らしい。
ループする僕の朝は、毎日のルーティンを僕に強制する。それに抵抗しようとしても決して抗えない。それに腹が立っていたけれど、しかし、こうやって時間がわからない状態となると、意外と便利だ。
強制的に歯を磨かせられながらに、僕はクローゼットに向かう。
クローゼットの前に来ると、僕は立ち尽くしてしまった。
――僕は今日一体何を着れば良いんだ!?
ここにはありとあらゆる朝がある。それを思い出したからだ。
スーツか、宇宙服か、はたまたあるいは管理ナンバーの入った行動服か。それとも鎧か、着物か、制服か、いやいや、それともパワードスーツか。
一体、ここがどんな世界なのか、僕に知る術はなかった。カーテンを開けて窓の外を見てみても、外には地球が太陽光を反射して光りつつ、管理されて整然と並んだビル群が見えるし、その一方では荒れ地にモンスターが跋扈している。また、別の窓を見れば、そこには超能力者が空を飛び、道にはゾンビが歩いてる。
ありとあらゆる世界を過ごした僕が見てきた世界の全てがあった。世界は混ざり合ってしまったらしかった。あるいは玄関をドアを開けると、窓から見えたのとはまた別の世界が広がっているのかもしれない。
僕は悩んだ末に、とりあえず宇宙服を着ることにした。
なぜかと言えば、今日がどんな世界でも、宇宙服を着ていれば、とりあえず死ぬことはないはずだ。万が一、鎧なんか着込んで宇宙空間に放り出されたら、窒息してしまう。
リスク管理という意味で、僕は宇宙服を着込んだ。一応、行き先が会社であることを考慮して、宇宙服の上からネクタイを締めた。
着替えを終えると、足は自然と玄関へと向かった。いや、自然と、という言い方は誤りかもしれない。ループする朝の強制力で、勝手に足が動いているだけなのだから。
廊下を無理矢理に進んでいる内に、「やっぱり今朝は寝坊してしまったのでは?」と急に心配になった。そう思うとなんだか気が急いてしまって、強制力を無視して廊下を駆けだして、玄関へと向かった。
――全力疾走しなければ間に合わない気がする!
昨日まで仕事に行きたくなくて、遅刻ギリギリ、なんなら少しくらい遅刻してもいいと考えて、気だるい朝をのんびりと過ごしてきたが、しかし、今日に限っては間に合うように急がなくてはならない。
ちょうどバタバタと同じように急ぐ乱暴な足音が隣室から響いた。
――よし! 間に合った!
玄関のドアを乱暴に開けると、ひと息先に隣からも同じ音が響いた。
「今だ!」
全力疾走で僕が走り出すと、突然、ドンッと大きな衝撃があって、マヌケにも尻餅をついて転んだ。まぶたに火花が散った気がした。
「いたたたた……」
僕は、同じように玄関から飛び出した隣人とぶつかってしまった。
地面に転んだまま、顔を上げると、そこには僕と同じように痛そうな顔をして転んだ女子高生がいた。いや、隣人は僕と同じくらいの年の社会人――OLのはずだ。
窓からいつも見かけていたが、間近で見ると、とても美人な人だった。ただし残念なことに年齢相応にきれいな顔立ちには、セーラー服が全くに合っていなかった。まるで出来の悪いコスプレのようだ。
「あっ、すいませ……なんですか、その格好?」
彼女は宇宙服を着込んだ僕の姿を見てそう言った。転んだということは、どうやらここは無重力の宇宙空間ではないようで、僕の心配は杞憂に終わったようだった。
彼女は驚いたような、それでいて何だかうれしそうな顔をして僕の答えを待っていた。
「そっちこそ、なんだい、その格好」
彼女はセーラー服を着てこそいるが、その上からプレートをつなぎ合わせたような鎧を腕や足に装着し、背中には大きな剣を背負っていたのだ。
挙げ句の果てに、口には食パンを咥えているではないか。いくらこの世がありとあらゆる世の中だとしても、まるでファンタジー世界の冒険者のような格好で、しかもラブコメのように食パンを咥えて遅刻しそうなコスプレ女子高生がいるものか。
「そ、そんなの、あたしの勝手じゃないですか!」
「だって、食パンはないだろう」
「だって……だって今日は恋愛マンガの世界な気がしたから! イケメン転校生とぶつかるかもって! でも、それが万が一、モンスターだったらまずいから、一応、剣と鎧を……」
「ぶつかったのが、冴えない宇宙服のサラリーマンで悪かったね」
「……っふふ」
「あはははは」
互いの格好に僕らは自然と笑い合った。奇妙きてれつな格好なのはお互い様だ。
そうしてまた、“今日”という日が始まった。
どうせまた無意味な“今日”に“明日”は決してやってこない。
けれども、“今日”にはありとあらゆる全ての世界が同化していた。人々は繰り返す“今日”をまた無為に過ごしていく。
スマホを見ると、時刻は『遅刻しない時ゆっくりでいい分』と表示されていた。
急ぐ必要がないと分かると、彼女と僕は少しばかり談笑しながら駅へと向かった。
ありとあらゆる水曜日の朝、少しだけ時間は進んだ。
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