とにかくサウナが好きなんだ!という思いが伝わってくる。
僕自身はサウナはほどほどで、温泉地に行ったら温泉(泉質による違い)を楽しみ、スーパー銭湯ならサウナといった具合。
サウナ―になり切れない理由は、サウナ内で地元の人たちがパチンコや競馬でやれ勝っただの、内輪だけにしかわからないネタで盛り上がっていて気まずい時が苦手。腕組みして背中を丸めてやり過ごすのがひたすら苦痛なんだよなあ。まあでも他人は他人で自分は自分。要は楽しんだもん勝ちなんだろうなあ。
サウナを楽しむためにどういう思考回路でもって体を快楽へ開放するのか?知識として、ネタとして面白い表現が多かったので今度ロウリェやスチームサウナ等行く機会があったら思い出して真似したい。
嫌いだったはずのサウナの魅力に取り憑かれた著者さんによる「サウナ賛歌」がこちら!
サウナと著者さんのなれそめから始まり、そこでの体験談なんかが語られていきますが、描写が実に写実的です。いや、抽象的な例えもふんだんに盛り込まれてるんですけど、たとえば「サウナ→水風呂→ベンチ」っていうだけの流れを、ご自身の体感や状況を濃やかに描き出してみせるんですよ。文章からサウナが「視える」ことで読者は追体験できる――これってエッセイのひとつの完成形なんじゃないかと思うのです。書き手の方は参考になる部分、大きいかと。
そしてその濃やかさは、著者さんの人となりや、サウナで育てられた哲学をも見せてくれます。エッセイで読者を共感させるには著者さん自身の内側を見せる必要があるんですけど、それが自然に演出できているんですよ。正直やられました。すごいです。
サウナ話から見える極上の人間ドラマ、読んで損なしです。
(ちょうどいい中編4選/文=髙橋 剛)