第129話 幕間~???


 雨が降っていた。

 土砂降りと言ってもいいその雨量は、至る所で視界不良に陥らせるほど激しく、外は通行人どころか車の往来さえまばらだ。

 そんな大雨の中を、しかも最も近づいてはいけない場所の一つである山の中で、何かを探す――誰かを捜す人影があった。


「武人様……」


 彼女の名は、みかづき沙耶香。


 竹田武人の婚約者である。






「沙耶香、お前は武人様の妻となるのだ」


 土砂降りの中を傘を差し、もう片方の手で懐中電灯で照らし、夕暮れの薄暗い山の中を歩く沙耶香は思い出す。


 朏沙耶香は物心つく前から、もっと言えば生まれる前、まだ母親の胎内にいた頃からそう言われ続けて育った。

 後に、両親や親族たちからの「教育」で知っていくのだが、武人の竹田家と、沙耶香の朏家は元々縁戚関係にあり、明治時代までは主従の契りを交わした関係だったらしい。

 その後、何らかの事情で代々の土地を手放した竹田家は平民身分となり、朏家との縁も切ったそうだ。

 一方、代々竹田家の用人の役目を務めていた朏家は、竹田家から譲り受けた広大な土地持ちな上に近隣の名士にも顔が利いたため、時代の流れにうまく乗りながら、現代に至るまでに近隣の県も含めて屈指の名家となった。

 これにより、竹田家と朏家は毎年時候の挨拶をするだけの儀礼的な関係となったそうだ。


 そのいつ切れてもおかしくない希薄な関係から、再び主従の関係――を越えた崇拝にも似た敬意を朏家が竹田家に捧げるようになったのは、戦争末期の頃からだったそうだ。



 竹田武蔵たけぞう



 当時のことを知る者達は、武蔵の名を直接口にすることはない。

 御屋形様とか、御大とか、果ては守り神などと呼んで崇める者までいる始末だ(もちろん陰でだが)。

 実際、それに値する伝説が生まれているので、大げさだと断ずることもできない。


 戦争末期といえば、当時の日本が敗色濃厚となり、敵国の新兵器たる爆撃機が至る所に飛来するようになったことで有名だ。

 だが、この頃すでに日本の軍の航空戦力は壊滅状態に陥っており、高高度を飛行する敵の爆撃機に対して精々当たりもしない高射砲で応戦するしか対抗手段がなかった。

 だが、いくらなんでもそんな絶望的な事実を国民に知らせるわけにはいかない時の政府は、ひたすら精神論に頼った。その象徴的な出来事が、竹槍による武装だった。

 当時、資源不足の日本は武器弾薬の捻出のために国民に金属類の供出を命じた。その結果、国内の金属市場は高騰し、農具一つ、鍋一つすらままならない世の中になっていた。それゆえ、竹藪から切り出してくるだけでそれらしく扱える竹槍が、国民の中で浸透し、普及した。


 今から考えると、爆撃機相手に竹槍を持ち出すなど愚かの極みとしか言いようがない。

 だが、その愚かの極みをはるかに超える伝説を打ち立てたのが、竹田武蔵だった。



 誰が想像するだろうか。

 気休め程度に作られた竹槍で、高射砲も届かぬ高高度を飛ぶ爆撃機が落ちたなどと。



 普通の感覚の者なら、誰もが一笑に付すか、言った者の正気を疑うか、どちらかの反応を見せるだろう。

 実際、武蔵の偉業を疑う者は当時でもわずかながら存在した。

 しかし、空を睨みつけながら武蔵が放った竹槍の投擲と、やや間が空いた後に突如爆撃機が爆散した光景を、近くの防空壕から何十人もの住民が目の当たりにしたことは、紛れもない事実だ。


 その後、敗戦によって戦争が終わり、暫定政府として進駐軍がやって来た折も、武蔵の伝説は作られ続けた。

 住民に無体な真似をする進駐軍はもちろんのこと、利権や情報を奪おうとする暗部やスパイ、果ては武蔵の存在を邪魔に思った自国の秘密部隊まで、表裏に関わらず武蔵の戦いは続いた。

 その結果、この辺りでは戦後の財閥解体、農地改革の煽りを最小限にとどめることに成功し、現在の朏家を始めとした政治経済の強固な基盤が、現在に至るまで保たれている。


「武人様……」


 だが、時が過ぎれば人の記憶は薄れ行くもの。ましてや子孫への継承ともなれば容易なことではない。

 その役目を一身に背負ったのが、地元の名士である朏家のである沙耶香だった。

 有体に言えば、朏家の沙耶香を、同年代(というには少々年に開きがあるが)の竹田家の武人に添わせることによって、武蔵の威光を継承させようと、老人たちが考えたのである。


 この、時代錯誤としか言いようのない婚約に、当の沙耶香が最初から乗り気だったわけではない。

 すでに幼いながらも英邁さを買われ、朏家の次期当主としての教育を施されていた沙耶香は並みの子供ではなかった。


(この目で見て気に入らなければ、勘当されてでもお断りしよう)


 武人と初めて会うその日、そう心に決めた沙耶香、六歳。

 朏家が実質的に運営する私立小学校に入学したのを契機として「お見合い」がセッティングされ、当時十歳の武人に沙耶香は初めて出会った。


(っ……!?)


 だが、まさか一種の英才教育を受けているとは、予想だにしていなかった。

 この頃、すでに武蔵の薫陶を受け始めておよそ五年、全身傷だらけの肉体を和装で包み隠して、祖父に連れられて現れた武人の姿は、沙耶香ばかりか朏家の大人たちをすら驚愕させた。


(まるで、戦国の世の武士の子のよう……)


 見惚れる沙耶香の美的感覚が大人たちによって作られたものだとしても、武人の一本筋の通ったような立ち姿は、見る者に清々しい印象を与えた。

 そして沙耶香のその感覚は、一通りの挨拶の後に、朏家のたっての願いということで行われた、武蔵と武人の竹田無双流槍術の演武によって、より確かなものになった。


(きれい……)


 大人たちは数々の伝説を打ち立てた武蔵の力強い動きに釘付けとなっていたが、沙耶香は武人の未熟ながらも必死に師匠に食らいついていこうとする姿に、目を奪われ、心を奪われた。


 その後、大人たちの「心遣い」によって、武人と二人きりの時間を設けられたが、この時自分が何を言ったのか言っていないのか、沙耶香の記憶は残っていない。

 ただ一つ確かなのは、武人の婚約者になることを、朏家次期当主としてではなく、一人の沙耶香として決意したという、事実があるだけだ。






「武人様……」


 土砂降りの山の中を、今日も沙耶香は探す。

 もちろん、こんなことで武人を発見できるとは沙耶香も思ってはいない。

 武人失踪直後、朏家を中心とした大規模な捜索隊が(もちろん公権力も含む)約一か月もの間、現場と思われるこの竹田家裏山を中心に、それこそ蟻の這い出る隙間もないほどに調べつくしたのだ。

 その結果、僅かなタケトの持ち物以外の発見はついぞなく、この厳然たる事実に、さすがの老人たちも捜索を打ち切らざるを得なかった。


「武人様……」


 すっかり暗くなった山道を懐中電灯で照らしながら、沙耶香は竹田家のことを思う。


 本来武蔵の跡を継ぐべき長男、武人の父親は、なぜか家督も竹田無双流も継承せずに一般人となった。

 そこに、武蔵のどんな思いがあったのか、故人となった今では知る由もない。

 だが、唯一の孫である武人に厳しい稽古をつけていることから見ても、師弟共に、竹田無双流を、竹田家を継承していく意思があったと見るべきだ。

 そんな中での武蔵の死去、そしてタケトの失踪。

 大人たちの間では好悪が入り混じった噂が流れているが、沙耶香が思うのはただ一つ、武人の心情だ。


「武人様……」


 あれだけの演武を見せた武人が、竹田無双流の継承を嫌って失踪したとは、夢にも思っていない。

 例え十年の月日が流れていても、武人の決意は変わっていない、そう沙耶香は確信する。

 だからこそ、不本意な形でこの地を去ることになったであろう武人のことを思うと、沙耶香の胸は張り裂けそうになる。

 武人の行方の手掛かりが掴めれば言うことはないが、せめてその思いのひとかけらでも見つけられれば、そう思い、今日も沙耶香は武人の痕跡を探す。


「武人様……」


 そう決意してから、何日経っただろうか。

 少なくとも毎朝、それが無理なら下校後に自宅で着替えてからの毎夕、竹田家に断りを入れた上で沙耶香は裏山を歩き回っていた。


「武人様……」


 最初の頃は、捜索のたびに叫んでいた。

 だが、やがて喉が潰れ血を吐くようになってから、両親を始めとした親族全員に懇願されて、叫ぶのはやめた。

 それでも、武人の名を呼ぶことだけはやめられなかった。


「武人様……」


 ポタリ


 土砂降りの雨の中で地面に落ちた、熱を持った一滴。

 沙耶香が泣くのはここだけ。独り武人を探してさ迷い歩くこの時間だけ。

 いくら決意が強くとも、時に心はくじける。

 その弱さをさらけ出せるのも、どうにか立て直せるのも、武人に最も近い場所であるこの裏山以外にあり得ない。


「武人様……!!」


 だが、誰にも見られない、誰にも聞こえないこの土砂降りの中ならと、沙耶香はたった一度だけ、思いのたけを叫ぶことを自分に許す。

 今日だけ、今だけと心に決め、明日以降の勇気を溜める時間。



 それは、どこにも届かずに雨と共に地へと還るはずだった。



 ブウウウウウウゥゥゥン



 それが、一体どこから来たのかは、その眼で見たはずの沙耶香にもわからなかった。

 まさか涙が落ちた地面をすり抜けるように出現したなどと、さすがの沙耶香も認められなかったからだ。


 しかしそんなことはどうでもよかった。沙耶香の眼には、それ――飛んできた竹とんぼに見覚えがあったからだ。


「武人様……?」


 普通なら、見間違いか、幻だと思うだろう。

 だが、あの一度だけのお見合いが終わった時に、いつの間にかに武人から握らされていた竹とんぼの形と、なぜか重なって見えたのだ。


「お願い……!」


 消えないで、と、頼りなさげに回転する竹とんぼに、懐中電灯を取り落としながら手を伸ばす。

 そんな微かで純粋な沙耶香の願いは、か細くも確かな竹の感触と共に叶えられた――



 ――瞬間、沙耶香の体が宙に浮いた。



「っ……!?」


 いや、浮いたのではなく地面が消失した。

 そう沙耶香が自覚する頃には、すでに体は暗闇の中を自由落下していた。

 片方の手で掴んでいたはずの傘は、いつの間にかに手放していた。

 それよりも、いや絶対に、手放してはならない物が、もう片方の手にあったからだ。


(もしあなたが武人さまのところから来たのなら……お願い、武人様のところへ……!!)


 夢幻か、超常の仕業か、神隠しか。

 理解の及ばない暗闇の中を猛スピードで落下していく沙耶香が竹とんぼに願ったのは、武人の元への導き、ただそれだけだった。

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竹侍推参〈たけざむらいおしてまいる〉~竹の力で異世界を生き抜く~ 佐藤アスタ @asuta310

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