第128話 幕間~帝国


 長きにわたる人族と魔族の戦争の歴史。


 そこには、グノワルド王国と双璧を為してきた、とある王国の名前も刻まれてきた。

 しかし、その王国は今はもう存在しない。

 グノワルドと非常に似通った政治体系を採ってきたその王国は、とある暗愚な王と腐敗しきった貴族政治の果てに滅び去った。

 これが約百年前の出来事である。


 この政変に、ほぼすべての貴族、騎士が巻き込まれる形で互いを殺し合ったため、新たな王を戴くことすらなく、その王国は内部から凄まじい勢いで崩壊していった。

 当然対魔族戦線も維持できなくなり、すわ人族の敗北かと思われたその時、一人の男が立ち上がった。


 その男は類まれなるカリスマと指揮で瞬く間に生き残った貴族や騎士を纏め上げると、自ら最前線に立ち対魔族戦線を押し戻した。

 返す刀で元王都に凱旋すると、腐敗の温床となっていた王都の旧勢力の名残を一掃し、民衆から絶大な支持を集めることとなった。


 当然、男が新たな王となり王国を再建すると誰もが夢想したが、歴史は思わぬ方向へと転がり始める。


 絶対的な権力を手に入れ英雄となった男は、今度はこれまで自分を支持してきた貴族や騎士を旧王国時代の罪を暴き突如一斉に排除、密かに集めていたと思われる平民を側近に抜擢すると、王をはるかに超える権力を持つ皇帝の座に就くことを宣言し、政治、経済、軍事を始めとしたあらゆる分野の改革を断行したのである。


 こうして、瞬く間に支配体制を確立していった帝国だったが、この時の記録は帝国だけでなく、隣国にして同志でもあったグノワルド王国の中にすら、ほとんど残っていない。

 帝国内で旧王国の記録が禁書扱い、または徹底的な焚書が行われたのは歴史家の中では有名な一方、初代皇帝の暴政に憤った当時のグノワルド王の意向が反映され、グノワルド貴族の中でもタブーとされたと思われる。

 一方、領地を接するグノワルド西部の貴族達は帝国への警戒を強めると同時に、一部には密かによしみを通じている者達もいると噂されている。






「補充兵はまだか!」


「伝令は送っていますが未だに……」


「これで三度目だぞ!ここを抜かれればどれほどの味方が孤立するか、司令部は分かっているのか!」


 グノワルド王国と並んで魔族の脅威から人族の領域を守り続けている帝国軍だが、騎士と魔導士を中心としたグノワルド軍とはその陣容はまるで異なる。

 百年前の帝国建国時の貴族と騎士の大量粛清による影響は当然軍部にも及び、それまでの戦術がまさにごみ屑と化してしまったのだ。

 その代わりに抜擢されたのが、平民の中から適性を認められて昇進した元下士官達だ。


「とにかく負傷兵の移動を最優先にしろ!生きてさえいれば、また前線に復帰できる!最悪、それまでの時間さえ稼げれば反攻の機会もある!」


 だが、彼ら新時代の軍幹部をもってしても、戦況の維持は困難を極めた。

 当然だ、主力の騎士がほぼいなくなり、いざという時の頼みの綱が消失したのだから。

 そんな絶望的な窮地に立たされた帝国軍だったが、希望はあった。

 どのような奇跡を起こしたのか公にはされていないが、初代皇帝はあのマリス教国と協定を結び、治癒術士の大量派遣を要請、見事受諾されたのだ。


「急報!ここが手薄なのを見て取った魔族軍が、正面に魔導士部隊を配置、一斉魔法攻撃の構えを見せています!」


「っ!?とにかく、塹壕から顔を出すなと各所に今すぐ伝令を送れ!多少の敵部隊は素通りさせても構わん!とにかく一兵でも生き残って、後方の回復の時間を稼がせろ!」


 兵の質が落ちれば、その分死者が増える。

 だが、マリス教国の治癒術士の後方投入は、怪我人の死亡率を一気に引き下げた。

 後方に送る間もないほどの致命傷以外なら、大抵の怪我は悪化する前に治療が可能になり、兵士の「回転率」が大幅に上昇した。

 また、死者が減ったということは、それだけ経験豊かな兵士が増えるということでもある。

 治癒術士の大量投入は回り回って兵士の質を上げることにも成功し、押され続けていた帝国の対魔族戦線は数十年の時間をかけることで、徐々に旧に復するようになっていった。


「急報ー!装甲魔物部隊が我が隊の側面を急襲!まっすぐこの指揮所に向かってきています!」


「ちぃっ!!魔導士共は囮か!!」


 だが、いくら兵士の質が上がろうとも、それは決して帝国軍の弱点、いざという時に味方の危機を救える主力部隊の不在を補えるわけではない。

 特に、刻々と変化する前線において、少しでも弱みを見せた部隊は魔族軍の精鋭による奇襲を許し、その結果全軍が大きく前線を後退させる、という失態を幾度となく犯していた。


「前線を下げさせ――いや、装備も陣形も無視して全力で後退させろ!急げ!時間はないぞ!」


 もはや戦線の維持は無理だと判断した指揮官は、未だ危機を知らない前線に向けて次々と伝令を飛ばす。

 そして自分達も陣地を引き払おうとしたが、その行動はわずかに、そして致命的に遅かった。


「た、隊長!」


 天幕の陰から素早く駆け寄ってきたのは、全身を軽装甲で覆われた狼の魔物。元から持っている牙と爪という武器を装甲に仕込まれた魔法で強化された魔物の攻撃は、指揮官の鋼の鎧を容易く斬り裂くだけの威力を秘めている。


「逃げろ!逃げて戦況を司令部に伝えろ!」


 腰の剣を抜きつつも、頭脳労働こそを戦場としてきた指揮官にとって、狼の魔物が振りかざす爪は、死神の鎌にも似た絶望感を叩きつけていた。


「来い!帝国軍人の意地を見せてやる……!」


 それでも最悪相打ちにくらいには持っていってやる、そう指揮官が覚悟を決めたその時だった。


「――すまないな。その手柄、横取りさせていただこう」


 ズバアアアァァァン!!


 閃いたのは、赤い光。


 宙を舞ったのは、今にも指揮官の首に食らいつこうとしていた狼の魔物の首。


 そして、崩れ落ちた指揮官の目の前に音もなく降り立ったのは――


「こ、子供……?」


 黒の軍服に黒の軍帽、さらに黒のマントを羽織ったその姿は、一目で帝国軍人とわかる。

 だが、そのあどけなさすら残る若い顔が、強烈な違和感となって見る者に戸惑いを与えていた。


「馬鹿者!!」


 バシィ!!


「た、隊長?」


「よく見ろ!少佐殿にあらせられるのだぞ!」


 言われた部下はハッとしながら軍服姿の少年の肩を見る。

 そこには隊長の言う通り、佐官の証である階級章が黒の下地の中で確かな輝きを放っていた。


「し、失礼しました!!」


「いや、なにしろ新設の部隊ゆえに、まだまだ前線での名の通りが悪いことは理解しているつもりだ。次から気を付けてくれればいい」


(……ということは、ついに実戦投入されたのか!?帝都で極秘裏に研究されていた、陛下肝いりの実験部隊。その名は確か……)


 そう思いながら、指揮官は上官と思しき少年の手に視線を向ける。

 その手は黒一色の軍服の中で一際目立つ白の手袋がはめられており、そしてその手にあるのは、先ほど魔物の首を切り飛ばしたばかりの血に濡れた片刃の曲刀。

 その刀身に未だうっすらと赤い光を宿していることから、ただの武器でないことは明白だ。


 もし自分の推測通りなら。

 そう考えると、指揮官の気分は否が応にも高揚せざるを得なかった。


「幸いにも、正面には大規模な敵魔導士部隊が展開しているようだ。まずはここに我が部隊を投入して、反転攻勢の足掛かりとする。貴官の部隊にはその補佐を頼みたいのだが、よろしいかな?」


「は、は!喜んで!」


 主力部隊の不在ゆえに、これまで幾度となく好機を逃してきた帝国軍。

 その苦渋の歴史が、今大きく転換しようとしていた。






 その最前線から少し離れた場所に、見晴らしのいい丘がある。

 通常は帝国軍後方部隊が観測所として利用しているが、丘の頂上の崖に居るべき兵士の姿は今はなく、代わりに煌びやかな衣装に身を包んだ男たちが四人、騎乗姿でくつわを並べていた。


「いかがでしょうか陛下、魔剣師団の活躍は」


 その背後に控える魔導師らしきローブ姿の男が言う。

 声の向けられた相手――この帝国において「陛下」と呼ばれるに値する人物は、たった一人しか存在しない。

 騎乗した四人の内、左から二番目の男――帝国皇帝アルゼナル=アカツキは、手にしていた双眼鏡型の遠視の魔道具を目から離すと、少しの間沈思した後で言った。


「……初陣としてはまずまずの成果のようだな。威力、持続時間共に、所定の性能を発揮しているように思える」


「それはもちろん。魔導院の総力を結集してこの日に間に合わせましたゆえ」


「だが、わかっておろうな。予が目指す魔剣師団には、到底至っていないと」


「もちろんでございます。今回の実地試験の結果をすぐさま反映させ、改良型魔剣のお披露目にこぎつけてみせまする」


「ならばよい」と魔導院の者を下がらせる皇帝。

 そのタイミングを見計らったかのように、右隣の初老の男が口を開いた。


「いやはや、噂に聞いていた魔剣師団、驚くべき力ですな。これでまだ初期試作型に過ぎないとは、末恐ろしいとはこのことだ」


 そう言った男の風貌は、皇帝よりも一回りは年上。

 しかし、敬語を使いながらも帝国の絶対権力者である皇帝に対して畏れた風もなく、その品格と覇気は勝るとも劣らない。


「謙遜はよせ、ブラムド公。確かに単体での戦力において魔剣士を超える者はそうはおらぬだろうが、こと軍の完成度において、我が帝国は貴殿の配下に大きく後れを取っているのは事実だ」


「だからこそ、我らが手を組む価値があるというものでしょう。たとえ、様々な意味で、大きな賭けになるのだとしても」


 見様によっては、一触即発とも思える二人の会話。

 その様子を緊張感を漂わせながら聞いているのは、衣装こそ同等ながらも風格は二段も三段も落ちる二人の若者。

 会話に一区切りついた頃、初老の男が自身の右隣にいる若者に話しかけた。


「ところでマレウスよ、例の件、カトレアには話してあるのであろうな?」


「も、申し訳ありませぬ、父上。愚妹めは、こちらの意図に気づいているのかいないのか、地方巡察と称して滅多に王都に寄り付きませぬ。そのため、なかなか捕まらず……」


「たわけ!今日までにカトレアに言い含めるのがそなたの役目であろうが!必要とあらば、王宮に圧力をかけてでもカトレアの身を押さえるくらいの機転を利かせぬか!」


「まあまあ、ブラムド公。騎士の役目、大変結構ではないか。グノワルドも、今は東部が何やらキナ臭いと聞く。王国守護を一身に背負う四空の騎士ならば、多忙を極めるのはむしろ当然のこと。こちらとしては、期日までに帝国に来ていただければそれで済む話であるからな」


「父上、それはさすがに悠長に過ぎます。カトレア嬢にも、色々と支度もあることでしょう。できる限り早く帝国にお招きして、差し障りの無いように取り計らわねばなりません」


 そう言ったのは、皇帝の左隣の若者。

 初老の男の息子と違ってやや幼さの残る顔立ちで、育ちの良さが前面に出ている。

 その一方で、帝国皇帝の子としてはやや頼りなさげな印象も見受けられる。


「というわけだ、ブラムド公。せっかちな息子と思われるであろうが、それもこれもカトレア嬢を思ってのことだ。配慮してくれぬか」


「はっ」


 配慮、という名の強制。


 貴族としてはごく初歩的な常識に、当然初老の男も気づいていた。

 皇帝の言葉は、こちらの準備が整い次第で良いということでは決してなく、帰り次第すぐにでもカトレアを帝国に寄こせという言外のメッセージだと。

 とりあえずと右隣の自分の息子に目を向けてみるが、額に汗しながら首を振るばかりで、とても役に立ちそうにはない。


(……私自ら動くしかないか)


 そう決断すれば、男の行動は早い。


「承知しました。礼を失する行いだと重々承知ですが、今すぐ所領に戻り、カトレアを呼び戻しましょう。マレウス、この後は任せる。しっかりと帝国の視察をやり遂げるのだぞ」


「ち、父上!?」


「では失礼」と、皇帝の返事も聞かずに馬に鞭打って駆け出す男。

 男の推測した通り、背後からの制止の声はないため、手綱を絞ってさらに加速して丘を下る。

 その様子に気づいた男の側近達が慌てて騎馬でついてくるのを耳で聞きながら、男は己が娘のことを思う。


(あまりの才に、つい騎士の道を許したが、まさかこのような運命がお前に巡ってくるとはな。許せカトレア、これも貴族のならいだ)


 たったそれだけの、わずかな間の感傷。

 これを側近はおろか、実の娘にも打ち明けまいと決意しながら、グノワルド国境へと続く街道目指して、男は愛馬を走らせた。

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