ハード・ヘイターズ

「サニーフィールド神父」


 簡素な昼食を二人分持って食堂を出て行くところ、サニーフィールド神父は新任の神父に呼び止められた。


「…あの子の様子は如何でしょうか?」


 まるでサニーフィールド神父の顔色を伺う様に神父は尋ねた。 


「…出されたものはちゃんと食べているようだね。依然私の前では食べようとはしないが」


 そうですか…と言って神父はなにかを言うのを躊躇うように口を閉ざした。


 言外に何が言いたいのかは、その眼の奥に透けて見える感情からは明らかだった。


 恐怖。拒絶。


 得体の知れないものを人は排除したがるものだ。聖職者と言えどその理から完全に逃れるのは難しいだろう。それがまだ年若い青年であれば尚のこと。


「…サニーフィールド神父…正直なところ私はあの子供が恐ろしいのです…あの子はまだ幼い…改心の余地があるはずです…だが同時にあの冷たい目で見据えられると…こちらの何もかも…お、恐ろしい何かが白日の下に抉り出されてしまうのではないかと…ぞっとするのです…」


 神父はそこまで言うと落ち着かない様子で身じろぎをしていた。まるで私に許しを請うように。


 だが故郷で両親に大切に育てられ神学校への入学を許されるほどのいわば中流以上の青年の反応としては、それは一般的だと思えた。


 むしろ疑問を差し挟むまでもない。“あれ”の方が異質なのだ。


「…このように思ってしまう私は…罪深いのでしょうか?」


 年若い神父は濃い藍色の瞳をこちらに向けた。


 サニーフィールド神父は苦笑を浮かべた。そのような屈託のなさを自分と切り離して考えてしまう程度には自分は老いたのだという自嘲を込めて。


「気負うことはない…今はただ自らの恐怖を見据えなさい…そして“あの子”のことはすべて私に任せていればいい」


 ・ ・ ・


「ハーブ、昼食の時間だ。ここに置いておくよ」


 ハーブと呼ばれた少年は部屋の隅で自らの爪を気怠そうに齧っていた。


 いつもの如く返答はない。無言でただ視線が交わされるのみだった。


(まるで…野生の獣のような目をしている)


 ―半月前にこの地区で神父殺傷未遂事件があった。


 この地区は中央政府による諸々の規制が解かれたばかりのまだまだ不安定な情勢下にある。


 そんな中、おそらくマフィアによる指令だろう。ハーブは単身で私達主の岬の神父一行の暗殺を実行しようとしたが、現行犯で取り押さえられた。


 まだ幼く未遂だったということもあり押しても叩いても一向に響かない地元警察との話し合いの徒労の末、結局主の岬がこの少年を保護観察する流れとなった。


「50セント…」


「…?」


 ハーブはぼそりと呟き、サニーフィールド神父は真意を図りかねて次の言葉を待った。


「…お前の殺しの報酬や…つまりはそれがお前に掛けられた命の値段っちゅうことやな」


 ハーブはにい、と愉快そうに口の端を歪めた。


「…ボローニャサンドイッチ半切れくらいなら買えそうだな」


 ハーブはサニーフィールド神父の返答に乾いた冷笑を付け加えた。


 それは、二人の間で成立したほとんど初めての会話だった。


 サニーフィールド神父は古ぼけたパイプ椅子をベッドの近くに引っ張りそこに腰掛けた。


「ハーブ・サブシスト…変わった名前だ、本名か?」


「偽名なんて使わん…ワイの母親がつけた名前や」


 ハーブは西部で“ハッパ”を意味する隠語だ。


「そうか…君がどんな風にしてここに来たか、少しだけ分かった気がするよ」


 ハーブはサニーフィールド神父の言葉に興が冷めたとでも言うようにため息をついた。


「なんやねん…神父が警察気取って取り調べごっこか?くだらんわ」


「いいや、単純に君のことを知りたいと思っただけさ」


 サニーフィールド神父が机に脚の踵を載せるとゴツと硬質の音が響いた。


「なあハーブ、正直になれよ…“わざと”失敗しただろう?」


 ハーブの目の奥に驚愕が、次いで警戒が灯る。


「お前…何や…?」


 サニーフィールド神父は穏やかに笑っていた。だがその笑顔は先ほどとは全く違った印象があるようにハーブには思えた。


「…中央の行政とは途絶し、地元警察は機能していないも同然。そんな最中教会組織が相手なら未遂で処分されることはないとお前は踏んだ…私刑なんて当然教義ではご法度だ。お前ほどの年頃であればおそらく保護されるということも見込んでいただろう?スラムのギャングと後腐れなく縁を切る体のいいきっかけにもなる。適当なタイミングで改心したと言って入信すればまともな職にありつける可能性もある…大方こんなところだろう?」


 ハーブは憎悪で目を見開いた。


「だったらなんやねん…餓鬼の浅知恵を言い当てられて満足か?腹黒クソ神父!」


「少々小賢しいからといってお前の扱いを変えようなんてつもりはさらさらないさ?」


 サニーフィールド神父は懐から煙草とマッチを取り出して言った。


「…こんな世界では信じるものは選ばなければならない…お前もそうだろ?」


 そう言ってサニーフィールド神父はタバコを一本ハーブに手渡した。


 胡乱な目をしながらハーブはそれを受け取った。


「お前…本当に聖職者か?」


 サニーフィールド神父は無言で微笑むと煙草に火をつけた。


「…そこまで分かった上でなんでワイを保護した?一体何が望みやねん…身体か?」


 サニーフィールド神父は何も言わずハーブを見据えた。ハーブには何を考えているのか分からない表情だった。


「…大人に保護されたことなら何度かあるで…?“いくらだ?”って聞いてこない大人はおらへんかったけどな?…ワイはそれなりに見目がええらしい」


 ハーブは得意げにそう言った。


「…そうか」


「…チッ…お前今同情したやろ?お生憎様やけどその逆や」


「逆?」


 ハーブは一息煙草をふかすと虚空を見つめて言った。グラデーションすら浮かばない、深い虚無の瞳だった。


「…ワイはいっそ生きとし生ける全員が腐れ外道なら一層清々するんや」


「…どうしてそんな風に思う?」


「それやったら面倒なこと言わんと全員ぶち殺せば終わりやろ?」


 乾いた笑いを浮かべてハーブはそういった。


「…お前かてそこそこ話が通じるさかいこうして話しとるけど正直なところ得体が知れへんし気持ち悪いわ」


「…お前は人を殺すことに躊躇いがないんだな」


「はっ…金持ちも貧乏もクズも聖人も皆どうせいつか死ぬ…何もかも早めにほっぽって楽に生きた方が身のためや…お前ら聖職者かて自分で自分を教義で雁字搦めにするんやからドがつくクソ変態やな?」


「…俺が1ドル払ってお前を抱けば楽になるのかい?」


「あ゛…?おま…何…」


 サニーフィールド神父はそう言うと、ベッドに乗り出した。


 ハーブは突然のことに後ずさり、目を細めた。


 サニーフィールド神父は相変わらず、感情の見えない微笑みを浮かべるだけだった。


「だが俺はお前を抱かない…聖職者だからな」


 サニーフィールド神父はからかうようにそう言って椅子に座り直した。ハーブの顔にすっと朱が差した。


「…死ねッ!クソ神父!」


「ハーブ」


 サニーフィールド神父は白い煙を吐いて言った。


「強くなれ、お前には才覚がある」


 ハーブは戸惑いと驚きを隠しきれなかった。


「はあ!?…何言うてるんやお前…?」


 サニーフィールド神父は試すような目をしながら無言で煙草の灰を指で落とした。


「…はっ…読めたで?お前ワイを組織の濡れ仕事屋としてスカウトする気やろ?」


「話が早いね…ハーブ、お前は聡い」


 ハーブはククッ!と愉快そうに笑った。


「せやねん端からおかしい思うたんや…孤児なら保護しやすいしお前らも色々と都合がええんやろ?体のいい殺人人形マーダー・ドール…使いつぶしてハイサヨナラや?」


「…お前はそんなタマじゃないだろ?」


 サニーフィールド神父は懐から銃を取り出すとハーブの手を取り、撃鉄に指をかけさせた。


「お前ッ…!?イカれとんのか!?」


「撃つかい?」


 そう言うとサニーフィールド神父は手を拳銃から離した。ハーブは両手に拳銃を構え直し、サニーフィールド神父を睨みつけていた。


 しばらく、無音のまま時間は過ぎた。サニーフィールド神父は悠然と笑みを浮かべてみせた。


「撃てないか…?違うよな、お前は撃たないんだ。お前は躊躇いなく人を殺せるが、相手の命と自らの損得を常に天秤にかけられる程度にはクレバーだ。それに加えて…」


 サニーフィールド神父は拳銃を持たせたハーブの手にゆっくりと両手を被せた。その手は微かに震えていた。


「…ほら、お前にも“ちゃんと“感情があるだろ?」


 サニーフィールド神父は少年の様に得意げにそう言った。


「…お前ど阿呆ちゃうか?所詮エサを与える飼い主には嚙みつかんだけや!この暗黒微笑ド外道神父!」


「…やれやれ、素直じゃないな?」


 サニーフィールド神父はハーブから身体を離した。


「…しっかし話がまるで見えへんわ…お前ら聖職者がなんでワイみたいな鉄砲玉抱える必要があるねん?」


 サニーフィールド神父は煙草をふかすと真剣な横顔で言った。


「時代は急変している…このまま中央政府の統治機構が機能しない状況が続けば自衛手段を持たない教会組織は遅かれ速かれ淘汰される…いずれ神すら金銭に換えられ信仰という体のいい目隠しの裏で取引される…時代の変遷を見誤れば待っているのは滅びの道だけだ」


「…外道には外道の考えることがよう理解できるゆうことや…」


「ちがうよ、リアリストなのさ」


「…わからんわ、そんな考え方をするお前がどうしてそこまで教会にこだわるねん?」


「勝手に見損なうなよ…生き残ることも自衛手段を持つことも手段であって目的じゃない…俺が守りたいものは…信仰そのものだ」


 サニーフィールド神父は拳銃を懐に仕舞いながら言った。


「…信仰は人の心と同様に脆弱だ…信仰だけでは人が救えないという事実を、俺は嫌というほど見てきた…」


 サニーフィールド神父は横顔を無言で見つめていたハーブに視線を合わせ、言った。


「強くなれハーブ、そうすればお前は…今よりもずっと自由になれる。そうすれば今よりもずっと見晴らしもよくなるだろ?…俺はお前を利用するよ…だからお前は俺を利用していい」


 サニーフィールド神父はそう言ってハーブに微笑みかけた。


「そういう訳でよろしく頼むぜ、相棒」


 ハーブは呆れたように煙草の煙を口の横から吐き出した。


「はっ…けったくそ悪いで腹黒クソ神父…せやけどお前の言う通り…どうせ同じゴミ溜めなら一番高いところから見下ろしたる」


 そう言って少年は不敵に笑った。


ハード・ヘイターズ(Herd haters) FIN

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界転生したら破戒僧だった件について 藤原埼玉 @saitamafujiwara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る