銀の雪(殺伐百合短編)
晴海ゆう
銀の雪
この国には渓流はあれど、橋脚はない。
国土を二分して川が流れるこの国で、橋を架けるのは大罪にあたる。これは「川向こう」でも「こちら」でも同じことだ。この国を管理しているさらに大きな国は、「川向こう」をユタ族、「こちら」をタヤ族と呼ぶ。土地の民からしてみれば馴染みのないその呼び名はたいてい使われず、互いに相手を「川向こう」と呼び、そうでない側を「こちら」と言い表す。「川向こう」と「こちら」では昼間は交易のための車のみが、川の始まりのある険しい山を経由してお互いの「川向こう」に渡ることを許されている。夜間には、山間にあるという交易門に錠がかかり、土地と土地を完全に分断する。
「川向こう」への滞在は禁忌。
「川向こう」の者と結ばれることは禁断。
それがこの国の暗黙の了解であり、皆が泥のごとく足を埋める慣習だった。
もう五十も過ぎた「こちら」、大きな国風に言うならタヤ族の私は、まだその泥がなく清流で足を遊ばせるように皆が自由だった頃を、わずかばかり知っている。
これは私が十二の頃の話だ。
二人の女たちと、一人の罪人の話だ。
❇︎
その頃、私はカタンと呼ばれていた。橋造りの職人の家で、その弟子として学んでいた。
最初は年頃の娘が手に職をつけるなんて、といい顔をしなかった近所の人間も、カタンが才のかけらのようなものをちらつかせ始める頃には、やれカタンはいい職人になるなどと言ってはやし立てた。
当時は国家を川に二分されたこの土地では、橋はそれだけ尊ばれるものだったのだ。
カタンの家の隣には、ユーイと呼ばれていた娘が住んでいた。カタンはユーイのことを良く覚えている。橋となる木材の生い茂る村の中で、葉の緑を照り返すほど肌が白かったからだ。行商人が彼女を見て「ユキのような肌の娘だ」と言ったのをよく覚えている。ユキという言葉が分からず問い返せば、ずっとずっと北に行った国には、ユーイの肌の白さを持った粒が天から降るらしい。
それはそれは美しい光景だろうと。そう憧憬に似た感情を覚えた。
当時、それを憧れだけで終わらせない娘が、カタンの隣には居た。
彼女は当時「川向こう」から橋造りの技術を学びに「こちら」に来ていた娘だった。私は橋造りの家の子供として彼女と競い合う立場だったため、今となってもあまり彼女を褒める言葉を紡ぐのには抵抗がある。しかし評するなら、彼女、ミヤは生まれながらの女王だった。
ミヤとの思い出にこんなものがある。これはカタンとユーイ、ミヤが3人で居た時のことだ。何が発端だったのかはもう忘れてしまったが、小さな橋を架けようという話になったのだ。ユーイが渡るに相応しい橋を架けようと。カタンは小さくても安心して渡れる橋を、と考えて木材をカンナで削り、父に教わった手順通りに橋を作った。わずかに装飾の彫り物をしたのは、子供ながらに見栄だったのだろう。
カタンが黙々と作業に励むのに対して、ミヤは少し考えるそぶりを見せた後、どこかに行ってしまった。そうして夕暮れ、カタンの橋がすっかり完成する頃になっても戻らなかった。
「ミヤが喰い殺されてしまう」
森の猛獣を恐れてそう泣くユーイを宥めながら、カタンはミヤの向かった下流の方へ向かった。足がダメになるほど歩いた先に、ミヤは居た。
ミヤは橋もどきを架けようとする労働者たちに指示を出していた。なんとも豪気なことで、ミヤは橋造りの現場に飛び込んだらしい。そうしてそのまま労働者たちに、やれここはこうした方がいい、やれここはこうだと指示を出しているのだ。労働者たちは戸惑いつつも、突然現れた娘のそのあまりの堂々たる指示の出しっぷりに唯々諾々と従っている。ミヤの夏の風に靡かせた黒髪、天に伸びる木のようにまっすぐな目を見て、カタンは心臓が嫌なかんじに打つのを感じた。
「ミヤ、何してるの?」
カタンが問えば、ミヤは答えた。
「ユーイが『こちら』から来れるように、あたしが『川向こう』からいつでも来れるように橋を渡すのよ!」
ユーイが小さく息を飲むのが、ずいぶん大きく聞こえた。
その時からかも知れない。
カタンが、私が、美しい幼馴染も家の後継という立場も全て奪われるとミヤに感じ始めたのは。
❇︎
それでも、私たちは3人で居た。不穏な火種が燻っているのを見ないふりをして。
火種が燃え上がってしまったのは、冬の日だった。
冬と言ってもこの国では、多少乾燥し山火事の危険があるくらいで、対して気温が下がらない。かつて行商人に聞かされて憧れた「ユキ」もこの国では見えない。降るのは山が燃えて生まれる銀の灰だけ。カタンにとってはそれが当然だった。変わらない現実で、これからも変わらないのだと思い込んでいた。
しかし、カタン以外の二人にはそうではなかった。
ある冬の夜、隣の家から物音がしてカタンは目を覚ました。家の入り口の戸を細く開ければ、闇に浮かぶ白い肌が見えた。
(ユーイだ)
これが全くの他人だったら、カタンは無視して床についていただろう。しかしユーイが夜間に出かけることなど今までになく、カタンは気づけば彼女の後を追っていた。ユーイは枝を巧みに避けながら、川沿いを登っていく。ひょこひょこと宙で動く彼女の灯を目印に、カタンは後を追った。
カタンの息がぜいぜいとあがる頃に、ようやくユーイはとまった。
「ユーイ」
カタンのものとも、ユーイのものとも違う声が響いて、カタンは咄嗟に物陰に身を潜めた。そうして月明かりを待った。その間、ユーイと誰かはまんじりとも動かずそこに居た。
カタンの髪と、枝が揺れた。風は上空の雲を吹き飛ばし、地面に月光を落とす。木々に遮られまだらな月光は、それでも二人を暴き出した。抱き合うユーイとミヤ、二人を。
「ユキを見に行く約束、ちゃんと覚えてたんだ」
「うん……」
ユーイの髪を撫でるミヤの手を見て、カタンは腹の底に燻るものを感じた。おそらく二人がどこかに行方をくらますつもりであろうことも、燻りを増すのに一役買った。ユーイも、ミヤも、カタンには理解が及ばなかった。たかが「ユキ」を見るためだけに故郷を捨てるユーイ。自分が欲しかった立場、橋造りの後継という立場に最も近いのに、それをドブに捨てて去るミヤ。カタンを村に一人残す二人。
燃える思考が冷静さも塵にしたのだろう。
カタンは堂々と月光の前に姿を現した。
抱き合う二人は、緊張にさらに隙間を詰め、まるで一人になろうとするようだった。
「ねえ……私も手伝おうか?」
許さない。その心の声に反して、唇はそう動いた。
❇︎
川の上流まで遡り、山越えをして隣国に渡る。そこまで言ったら隣国の国の人間が受け入れてくれる。
それが二人の計画だった。
ユーイはそれを無邪気に信じているようだったが、カタンはこの計画にミヤが何か取引材料を使ったに違いないと考えていた。隣国とこの国は表立たない争いのさなかにあるのだ。隣国はこの国を超えたさらに隣国の侵略に、この国が欲しくてたまらない。この国は民族こそ割れているものの侵略を良しとしない。何かの取引材料、例えば情報などがなければ、隣国がこの国の人間を受け入れてくれるはずはないのだった。
ユーイは蝶よ花よと育てられた。国の争いすら耳から遠ざけられて。だから信じてしまったのだ。
これが国を売ることであるとは気づかずに。
腹の底が熱かった。その熱さを憎しみと呼ぶのだと、ずっと後になって知った。
「カタン、協力してくれるなら山火事と言って村の人間を引きつけてくれないか」
ミヤはユーイを抱きしめながらそう言った。
カタンは、自分の頭が縦に傾ぐのを感じていた。
❇︎
腹の底は熱いのに、頭は汗をかいて風を受けた時のように冷えていた。
二人は今頃、隣国の人間と落ち合う場所に向かっていることだろう。カタンは必要なものだけ家から持ち出すと、再び山に登った。先ほどとは違い、枝を避けようなどという余裕はなかった。鋭い葉がカタンの手を傷つける。行商人の商品にあったビーズのように血が浮き上がった。そんなものにかまわずカタンは進んだ。
そうして、風通しの良い場所に来た。ここがいい。静かにそう思った。
「ユーイとミヤが悪いんだよ」
ころげ出た言葉は、自分でも言い訳じみていた。家から出たゴミを使うのに燃やしていたマッチを擦る。冬の乾燥で、マッチはたやすく火がついた。家から持って来た藁を、木の根元、低木が生えたそこに散らす。
投げたマッチの行方は見なかった。足首がもげるのではないかと思うほど、走った。走った。途中でユーイが自分を呼ぶ声を聞いた気がした。今となっても、あれは幻聴だったとしか思えない。
村までたどり着くと、銀の雪が降っていた。
初めて見るそれに、思わず目を奪われる。それが雪ではないと気づいたのは、狂乱する村の様子を見てからだった。どん!と下腹部に衝撃を感じる。下の妹が抱きついている。視線を上げれば、母親がこちらに向かってくるのが見えた。
「山火事だ」
3人でした約束通りにそう伝えた。あいにくそれは嘘ではなかったけれど。
カタンはそれから少し考えて、もう一言を付け加えた。
「ユーイとミヤが、山に行くのを見た」
❇︎
その後は、推して知るべしだ。
ユーイとミヤは銀の雪に混じってしまったのか、はたまた隣国へ渡ったのか、今の私には分からない。ただその山火事に乗じてこの国は隣国の植民地となり、ユーイとミヤは罪人とされた。彼女たちの民族が違ったから、川を渡ることは大罪となった。
橋を架けることは禁忌となったのである。
カタンは、私は今でも『こちら』で生き延びている。
二人の女たちと、一人の罪人の話を抱えて、終わりの時を待っている。
銀の雪(殺伐百合短編) 晴海ゆう @taketake111
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