胡蝶の夢が覚める時

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胡蝶の夢が覚める時

 外界が見える窓は限られている。

 別段、それは隠されているわけでは無く、人々がそれを求めなかったからに過ぎない。

 誰だって、陰鬱な黒々とした雲と、荒れ狂う暴風と、激しい雨と、そして天の裁きの様な雷光を、来る日も来る日も変わらないその日常を、楽しもうとする気持ちは湧かないだろうから。


「鹿島」


 俺を呼ぶ声に振り返ると、同僚の榊がいた。


「また外を見てたのか?物好きだねぇ」


 彼の手からコーヒーカップを渡され、礼を言いながら、何度目か分からない答えを返す。


「やっぱり、諦められないんだろうね」


 人工太陽によって栽培されたコーヒー豆と、昔飲んだ「本物」のコーヒーの味を比べるには、少々時間が経ち過ぎてしまっていた。

 ただ、これは確かにコーヒーなのだが、いつも違和感を感じてしまう。


 きっと「バープ」のせいかも知れない。


 「バープ」とは、Virtual Augmented Reality Playerを略した名称で「仮想・拡張現実再生装置」と言う。

 人によっては、Playerを祈りと訳し、帰らない過去を思い「ささやかな祈り」と呼ぶ。


 昔、大きな戦争があった。

 もう誰のせいだとか、何が悪いとか、そんな事はあまり話題にならない。

 確かな事は、生き残った人々が暮らすこの施設の外は、明けない夜の世界になってしまったということ。


 もちろん、我々が生き続けることに直面する様々な問題はあるが、次世代の高効率エネルギー試験のために建設されたこの施設は、原子炉を初め、地熱、風力、水力、火力様々な種類のエネルギー源と豊富な資源。

 水や空気の完全リサイクルプラントも持ち、汚染された外界と遮断された状態での完全自給自足が可能である。

 人工太陽による農園も、牧場もある。食品加工の設備もあるし、ここに暮らす数百人の、おそらく地球上の最後の生き残りである我々は、こんな状態の中で完成された生活を手に入れたのだ。


 俺達は元々、この「次世代高効率エネルギー立証研究所」の社員で、施設自体を、完全に外界から隔離して生活するという大規模プロジェクトを行っていた。


 隔離に際し、生活に必要な設備は全てあり、自室といったプライベート空間はもちろん、映画館もスポーツジムもプールもあり、まるで豪華客船の様だった。


 外界との接触も出来るだけ避けるということで、ここでの実験参加には希望者を募る形になったが、高い倍率だったと聞いている。

 人間関係を煩わしいと思う人が多かったのか、単純に興味や研究意識が強かったのか、それは分からない。


 昔、アメリカのアリゾナで行われた「バイオスフィア」実験の完全版と言った感じであり、あそこでは失敗した様々な要素を、仔細に分析し、ほぼ完全な形で対策が取られた結果、我々は既に15年の歳月をここで暮らしている。

 もっとも、嫌になったところで、他に行く宛など無い。

 地球規模の戦争が、この実験期間を無期限にしてしまったのだから。


 最初の頃こそ、施設外にいる家族や知人を思い、事件や問題も発生したが、諦念というものは、人から行動する力を奪い、結果として無気力な、それでいて争いの無い、ただ生き続けるだけの存在に、我々は変化して行った。


「頼まれていたヤツ、やっと完成だ」


 俺が取りとめもない思考にふけっていると、榊がそう言って来た。


「ずいぶん、早いんだな」


「あ?だって、早く作らなくちゃ、今にもこの世からサイナラしちゃいそうな友人からの頼みだぜ?…ところで、ハードの方はどうなんだよ」と少し挑戦的な言い方をしてくる。


 俺の担当であるハード、機械装置も、実は先ほど調整が完了したばかりだ。

 強がって「とっくに出来てるよ」と笑った。



「早速、祈りを捧げてくるのか」


 という榊の問いに別の言葉で返す。


「確認だけど、自動生成はどこからの情報を収集するようにしたんだ?」


「基準となる1990年以降、史実に別の要因を含ませてシミュレートさせて、今とは違う時間軸にしたのは話したよな?似て異なる世界ってヤツだ。いくつかのポイントにAIを配置して、事件や事故など引き起こす特殊な要素が自然発生するようにした。今までの固定式と違って、ランダム要素が半端ないぜ」


 昨日と同じ一日、毎日変わらない一日。

 エネルギーに満ち溢れ、設備の保守や維持に掛ける以外は、変化をもたらさない。

 未来を語れない者同士では、創造が生まれないのだ。


 「バープ」は、そんな中で生まれた。

 と言うか我々は元々、これを開発する技術者としてここにいた。

 試作段階の「仮想・拡張現実再生装置」は、限られた空間の中で、人々の娯楽をサポートする設備、福利厚生の一部として計画されたのだ。


 マッサージチェアの様な椅子に座り、ヘッドセットを取り付ける。

 以前は外科手術が必要だったが、脳への五感に繋がる入出力信号の送受信が非接触で行える様になり、その臨床実験も含め試作一号機がこの場所に運ばれたのだ。


 そして結果として、この装置は生き残った人々の心の拠り所になった。

 仮想現実として体感できるのは、平和だった頃の、何気ない町の中、春の桜並木、森や林、夏の照りつける太陽と青空、波打ち際、秋の街路樹、夜の交差点、冬の雪景色。

 データを取るために人気の無い場所を選んだ事が、何気ない、それでいて変化に富んだ記憶として、ここの人々の心を満たして行った。

 もう二度と手に入らない景観を、香りや暑さや風の囁きや温感と共に、懐かしみ涙することで何人かの人は、確かに立ち直る事が出来たのだ。


 ただどうしても、記録されたデータだけでは飽きてしまう。

 俺と榊は、この活動こそが、自分達の生きる意味と理解し、改修と改善を重ね、「バープ」を進化させることに没頭した。


 幸いな事に、この施設では、ケーブル類などの物理的な外界との接点は無かったが、電波に類する情報の送受信機能は完備していたので、テレビ、ラジオ、インターネットといった情報は、施設内サーバーに大量のデータとして残っていた。

 これは、いざ外界との接続が絶たれても、ネット上の主要なデータをバックアップしておくことで擬似的なインターネット環境を構築することを目的としたものだ。


 特に、ニュースサイトの主要な事件や事故などは記事だけでは無く、動画情報も保管されている。


 要は仮想空間の中で見聞きする出来事は、ある一定の時間軸に合わせ、過去を追認する形で、再現する事となった。


 保管データの限界から1990年からの生活を体感出来るようにしたが、人の作るプログラムには限界があった。

 利用者の要求は、ただ没入することから、色々な要望が出始め、榊は来る日も来る日もデータの変更を行い彼らの個人的な「趣味」にも対応して来た。


「バープ」の体感は想像以上だった。実際に体感している時は、データのバグや映像のズレなどを実感するのだが、五感に繋がる脳神経に、信号を直接介しているために、脳内補正が適度に働き、プレイを止めて現実に戻る時には、実際の記憶と遜色無い、「実際の出来事」と感じることが出来た。


 そうなると当然次の求めは、在りし日の自分と家族。平和なまま行き続けた人生、訪れるはずだったifを体感したいという思いに至るのは、必然だった。


 俺が榊に頼んだのは、保存された固定データだけでなく、そのデータに指向性を持たせることで、新しいデータを自然発生させられないかというものだった。


 過去に生きるのでは無く、新しい未来を作る。


 現実の世界は終わってしまったかも知れないけれど、人々の生活を存続させることは出来る。例えそれが「実体」は無くても、人の記憶に残すことが出来るならば、人類の文化は続いて行ける。


 例えそれが神の領域だとしても。


 俺が夢想している間、榊は事象の自動生成、偶発的な出来事の発生率について熱く語っていた。

 そこに問いかける。


「話の途中で悪いんだけど、”記憶喪失”はどう処理したんだ?」


「なんだ、話なんか聞いてなかったくせに。ま、いいや。その”記憶喪失”なんだけどさ、止めないか?」


「なんで?」


 俺はちょっと驚いて聞き返した。

 ”記憶喪失”に関しては、今までさんざん話し合ってきた内容だ。

 これまでの仮想現実は、自我を保ったままなので「仮想」と言えた。


 しかし今回目指したのは、現実の記憶を抜きにして「バープ」に入る事。

 これが出来なければ「バープ」は「現実」に昇華出来ない。榊も承知していたはずだった。


「技術的な問題か?」


「いや、現在の記憶を消去するなんて危ない事は出来ないから、あくまで現記憶の特定の領域に”蓋”をする。先生にも確認しこれは何とか出来る」


 先生とは、我々技術サイドの人員に対し、脳神経の専門医、佐々木先生の事で、既に現状の運用にはほとんど関与しなくても済んでいる。

 

 彼は「バープ」にはまったく興味を示していない人の一人だが、我々の活動には一定の理解を示してくれて、アドバイスもしてくれる。


「”胡蝶の夢”か?」俺の問いに榊は頷く。


 胡蝶の夢とは、夢の中で蝶になった人が、目を覚ました時に、「一体自分は、人なのか、それとも人になった夢を見ている蝶なのか」というパラドックスを語る話だ。


「バープ」に入る際に、今の自分の記憶を持っていると、「バープ」の中が作り物と気付いてしまう。


 なので、プレイしている間だけでも、現行記憶にブロックをかける事を”記憶喪失”と称しているのだ。

 プレイヤーは実際に、記憶喪失という設定でスタートする。これによって様々なバックボーンを事前設定することなく、物語へ入って行くことが可能になる。

 よく、ゲームなどでも取り入れられている手法だが、こちらは、プレイ中はそういった設定すらも忘れる事を目的にしている。


 榊も同意してプログラムを進めていたはずなのに、今になって”記憶喪失”を止めないか?と蒸し返してきた。

 現行記憶を残したままでは、そこが虚構の街、夢の国であることを自覚してしまう。

 もしそこに愛する人を望むなら、こんなに空しい事は無い。


「帰って来れなくなるぞ」


 榊の、もう何度も聞いた警鐘に


「そのための強制遮断じゃないか」と返す。


 現実の体を維持する為に、食事も排泄も必要なのは当たり前で、栄養剤や処理装置も併設はするが、脳に与える影響を考えると、連続したプレイは20時間を限界と設定してある。

 「あちら」での時間は圧縮してあり、20時間で200時間分の時間を体感できるが、プレイ中の睡眠は擬似的なものなので、脳は常に過負荷状態になっている。


 その為、最大20時間で強制的にプレイが終わる様になっている事を”強制遮断”と呼ぶ。


「記憶喪失状態での強制遮断の経験が無い以上オレ的にはいつだって否定するさ。先生だって意識障害の可能性は認めているんだから」


「それにな」榊は続ける。


「お前が被験者ってことが、オレとしては一番の懸念なんだ」


 それは初耳の意見だった。


「俺がそんなに現実逃避している様に見えるのか?」


「ああ、見えるね。帰りたいんだろ?切実に」


 榊の言葉に、帰りたくない人なんていないだろ?と返そうとしたが、榊には家族を失った辛い過去があることを思い出し、それ以上言葉は続かなかった。


「オレはさ、もう仕方無いと思うし、先生や、他の人達と一緒でさ、生きるの不自由しない、ある意味楽園みたいなこの環境で、好きな事だけやって、そして死んで行くのもいいと思うんだよ」


 榊はそう言って、手製の紙巻タバコに火を着けた。

 タバコの葉を栽培し、オリジナルのタバコを作る事が、彼の数少ない娯楽だった。


 吐き出す紫煙にむせ返りながら


「こいつはなかなか上手くできたんだ」と笑った。そして


「お前も、オレ的にうまく出来た友人だ。”胡蝶の夢”に囚われて欲しくないんだな」



 結局、彼を押し切る形で俺は実験を決意した。


 センサーや、ヘッドセット。排泄用の機器などを取付け「バープ」に身を任せる。

 起動の際、操作用のコンソールに座る榊は「また会おう」と悲しげに笑った。


「ああ、20時間後にな」俺はその言葉の途中意識を手放した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 覚醒と共に、ピッピッピッと電子音が断続的に聞こえる。


「お、起きたみたいだね。どうだい気分は」


 榊の声だ。失敗だったのか。

 ゆっくり目を開けると、そこは清潔そうな白い部屋。俺はベッドに寝ている体勢のようだった。

 何らかの事故が起きて、医療室に運ばれたのかと考えるが、施設のどこの部屋にも該当する場所は無い。


「はい。これで治療も完了だ。どうだった?今回の仮想現実の世界は」


「…仮想現実?」


「あれ?鹿島さんが望んだ、ディストピアの中で生き残るシチュエーションだったはずだけど、体感できなかった?」


「…ディストピア?」


「終末戦争後に閉鎖空間で生き残るってヤツ?面白そうだって言ってたけど、面白く無かった?」


「え?…だって15年も、え?」


「あれ?仮想世界なんだから記憶なんてどうにでもなるでしょ?世界5分前仮説と同じですよ。珍しいですね、こんなに記憶の混濁が起きるなんて、ちゃんと自分の名前、憶えています?」


「…鹿島、洋二郎」


「ここには、何をしに?」


 記憶を探る。違和感と共に浮かんだ言葉を告げる。


「…病気の治療の為…時間がかかるから、その間、仮想空間へのダイブサービスを受けていた…」


「はい。大丈夫そうですね。それにしても今回はずいぶん感情移入でもしちゃってたんですか?あ、そうか。今回はこっちの記憶を”記憶喪失”モードにしていたんですもんね。あれ、慣れないと混濁することがあるんですよ。ま、すぐはっきりしますよ。脳みそってヤツの補正機能は大したものです」


 俺のよく知っている榊は、俺の知らない雰囲気を纏い、俺に貼りついたいくつもの機器をはずしながらそんな事を言う。


「次は一週間後、同じ時間にね。忘れると命の保障はできないからね。念のため、はいアラーム」


 ブレスレット型のアラームを受け取り、軽い挨拶と共に治療室を出た。

 通路も、会計待ちの待合室も、駐車場も、車も、全部記憶にあるものだ。


 病院から帰宅すると、「お帰りなさい」と、妻と娘が笑顔で迎えてくれる。

 とても久しぶりに会ったような気がした。


 ただ、あの世界で記憶していた、妻と子供ではない。15年の体感で渇望していたあの二人は、一体どこの住人なんだろう。


 次に治療を受ける際、別の世界を望んだ場合、俺はどうなるのだろう。

 昔読んだ、仮想現実を扱った小説で、主人公は今どこにいるかを確認するために自ら命を絶った。

 俺にはそんなことは出来そうにない。


 あの15年の苦しみの世界からやっと抜けることができたんだ。

 それは勝負事でもなんでもないが、最良の選択だと、勝利だったんだと、俺は嗚咽をこぼしながら、今だけはそう思うしかなかった。

 

 それが一週間後、違う蝶に生まれ変わるまでの夢だったとしても。

 

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